ライフスタイル
マルコが徳島県神山町でクライミングジムを開くまで。/後編
2026年4月19日
photo: Koshiro Noda, Studio AKARI
text: Toshiya Muraoka
edit: Kosuke Ide
誰かを助けられなかった自分を許せていないことに気がついた。
金融ジャーナリストとして働いていたマルコは、トレイルランニングを始めて、マサイ族と一緒に走る大会に参加すべくケニアを訪れた。ナイロビに滞在中、仕事をするためにショッピングモールに行った。1階のカフェのコーヒーはすでに飲んだことがあったので、3階の店を選んだ。パソコンを開いて為替の動きを追いながらコーヒーを飲んでいると、いきなり爆発音がして、停電になった。まあ、途上国にはよくあることかとそのまま仕事をしていると、今度は階下から銃声が聞こえた。それでもマルコは身の危険を感じていなかったが、しばらくすると多くの人が叫びながら店の外を走っていく。友人が「これはヤバいよ、逃げよう」と席を立つ。通路にはすでに多くの人たちが逃げ惑っている。爆発音が再び鳴り響く。現地の言葉で「アルシャバーブ」と叫ぶ声が聞こえた。マルコと友人は、人の流れに押し出されるように通路を走り、3階から隣の2階建てビルの屋上へと飛び移った。それから必死に走って、草むらに身を潜めた。
「アルシャバーブは、ソマリアのイスラム組織のことで、ケニアの政府軍が国連と連携してソマリア国境に軍を送ったことに対する不満をテロで爆発させたらしい。まず1階のカフェに爆弾を投げて、警備員を集めてからビル内に侵入して、3階まで回ってきていたみたい。1階のカフェを選んでいたら、その時点で死んでたと思う。後にHBOのドキュメンタリー映画になったんだけど、監視カメラの映像に僕と友人が逃げる姿も映っていた。数十人が亡くなって、数百人が3日間拘束されたままだった。屋上で子どものための料理イベントがあって、ガスタンクを銃で撃って爆発させたから亡くなった被害者には子どもが多かったみたい。
僕は大人で、しかも男性で、隣のビルに飛び移ることができたけれど、後ろにいた子どもがママに『大丈夫?』って聞いていた声が今も耳に残っている。「Survivor`s guilt」って、つまり罪悪感だね。助けるためにもっと何かできなかったのかって自分を責めてしまう。こうして誰かに話せるようになるまでに、3〜4年はかかったから。
日本に戻ってまた同じように金融の世界で働いていた時に、同僚が具合悪くなって倒れたのね。意識が無くなってしまって。僕はすぐに動いて救急車呼ぶように言ったり、指示を出して彼は無事だったんだけど、家に帰ってから『どうしてみんな助けないんだ!』って怒ってた。彼女から『みんな、どうすればいいかわからなかっただけだよ。なんでそんなに怒ってるの?』って言われて初めて、ケニアで誰かを助けられなかった自分を許せていないことに気がついたんだよね」
ケニアでの生命の危機が脅かされる体験を経て、少しずつ抱いていた「何のために働いているのか」という疑問が顕在化していく。ランナーとして足を痛めた際に、整体治療院で2〜3回のセッションで身体を整えてもらった経験が、「誰かの役に立っているという実感」への渇望を後押しする。治療をすればその効果がすぐにわかり、目の前で喜んでもらえる。その身体的な感覚を求めて、整体治療院の先生に教えを乞うようになった。
平日は〈Bloomberg〉で働き、週末には整体治療院で手技を学ぶ。その生活を半年続けた後、「オーストラリアにルーツがあるから」と勧められ、仕事を辞めて、渡豪。そのマッサージの学校で、後に妻となる日本人女性と出会った。2年間学び、免許を取った後に友人に誘われてニューヨークへ。再び金融ジャーナリストとして働きながら、根本的な身体の改善のためのボディメイクの仕事を始める。脳と身体。そのバランスを取りながら働き、子どもが生まれるタイミングで日本へ戻ってくる。そして神山町の物件と出会った。
数年単位の目まぐるしい変化の過程にも多くのドラマがあるのだが、根底には落ち着ける居場所を探すような感覚があったのかもしれない。社会的なキャリアよりも、自身の感覚に従う日々を増やしていったマルコに、「ホーム」の感覚について聞きたかった。誰もが心やすく集えることが、マルコにとって居心地の良い場所の条件だったはずだ。
「香港はかつて自由があって、民主主義の街だった。香港大学は特に『自由』や『freedom of speech』を何より大事にしていたところだったから。『Magic20』と言われた新聞学部の最初の20人は、誰も香港でジャーナリストをしていない。社会学専攻だった友だちが、最後まで観察しておこうって香港に残っているけれど。
僕を含めて、みんな香港に対するパッションがなくなったのかもしれないね。自分はアイデンティティの部分ですごく悩んでいたかな。政府の弾圧に対抗する雨傘運動が2014年頃で、その時代に僕は香港にいなかったから。Magic20の仲間たちも弾圧されていて、香港に帰るたびに彼らや街との距離をすごく感じた。香港人なのに、共通する記憶や体験が僕にはない。大事な時代にいなかったから。でも、日本にいたら『あなたは香港人ですよね?』って言われる。『出身はどこ?』っていう言葉が一時期、すごく抵抗があった。『香港だけど、だったらどうなの?』って。神山に会う前は、いつかまたどこかへ出ないといけない気持ちがあった。誤解されるかもしれないけど、日本は窮屈だから。香港人の枠に当てはめて僕を見るでしょう?
香港では、今も父が一人で暮らしている。あまり連絡も取っていないが、幼い頃に一緒に散歩をして飲茶をした時間をはっきりと覚えている。父は歩きながら周囲を観察し、前から歩いてくる人をプロファイリングしていた。歩き方を見て怪我の箇所を当て、鞄を見て職業を言い当てる。その観察力は、マルコがジャーナリストとして働いたこと、そして現在の映像カメラマン、ディレクターという職業にも影響があるだろう。マルコは聡明で視野が広い分だけ、とても優しい。人の良いところを見つけて、それを言葉にすることができる。
倉庫を改装してつくられたクライミングジムは、世界中を旅してたどり着いた、現在の着地点だった。
マルコはこの「のまのま」を新たな起点として、神山の町でできることを探していくという。トレイルランナーとして山に入り、森を次の世代に繋げる林業にも可能性を見ている。
「つい『街に還元する』とか『人のために』っていう言葉を使ってしまうけれど、多分、面白いことが起こるかなって思ってる。だいたい思ったようにはいかないから、それが面白いよ。自分が始めたこと、体験したことにどんな意味があったのか。それは後から振り返って考えれば良いことだからね。」
プロフィール
マルコ・ルイ
1985年、香港生まれ。香港大学卒業後、金融ジャーナリストとして働く。〈Bloomberg〉東京支局に勤務中から整体について学び始め、オーストラリア、ニューヨークを経て再び日本へ。現在は、映像制作を行う〈Studio. AKARI〉を立ち上げ、主にアウトドアのフィールドで活動している。
インフォメーション
のまのま
徳島県神山町野間にて、5月3日にオープンするボルダリング・ジム。地域の人々の憩いの場を目指している。
Official Website
nomanoma.jp
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