ファッション

「常に柔軟に、何が美しいかを“真面目に”探し続ける」。コシノヒロコ、89年の軌跡と今思うこと。/前編

photo: Kazufumi Shimoyashiki
text: Fuya Uto

2026年6月18日

「POPEYEって大人になれない人たちの雑誌でしょう? とっても光栄だわ」

 挨拶を交わす際に差し出した僕らの名刺を見て、コシノヒロコさんは微笑みながら言った。世界的なファッションデザイナーであり画家。1980年代に和洋折衷の美を世界に知らしめたパイオニア、ローマのオートクチュール・コレクションに参加した初の日本人……などなど、戦後のファッション界の歴史そのもののような巨匠からズバリ言われると、なんだか妙に納得してしまう。

 1937年に大阪で生まれ、来年1月に御年90歳を迎える。新陳代謝の激しいファッション界を70年近くも走り続けている氏は現在、その膨大な創作活動を紐解く展覧会「(UN)KNOWN HIROKO KOSHINO ―新説/真説 コシノヒロコ―」を清澄白河の『東京都現代美術館』にて開催中だ。冒頭のようにクールにものごとの本質を見極める大人でありながら、会場ではときに子供のように純粋無垢な表情を持つコレクション作品が約200点、そして約130点の絵画が一挙に並ぶ。一体、自身のクリエイティビティの根底にはどんな記憶や思いがあるのか? 4月某日、兵庫県は芦屋にあるアトリエを訪ねて、幼少期のことからじっくりお話を伺った。

戦後の歌舞伎の美しさに心奪われて。

500号超えと思しき巨大キャンバスから卓上サイズまで、自宅兼アトリエには自身の絵画が大量に無造作に置かれている。

「3歳のころに歌舞伎の綺麗な役者さんを見たことがきっかけで、絵を描き始めました。うちのおじいちゃんは芸能が好きな人だったから、一緒に私を連れて行ってくれて、なんて綺麗なんだろう……これを絶対に描きたいと思ったんです。着物の色や三味線の音、いろんなお話があって。『また行こう、行こう』とせがみ、おじいちゃんの膝に乗って、カラスミとか食べるようなマセた子供でしたね」

祖父との記念写真。

 3歳児といえば、したいこと/やりたくないことの自我が発達するころだと言われているなか、歌舞伎に美しさを覚えるのは、早熟と呼ぶほかない。しかも侍が斬り合う花形の芝居ではなく、心中モノに惹かれていたという。

「2人でイチャイチャと死にに行く姿が、子供心になんてセクシーなんだろうと思っていました。だから、私の絵はいつも心中モノ。芸者さんたちのところへしょっちゅう行って、色々な話を聞いていたから、そういう感性が育ったんだと思います。子供のときって、自分がすごく好きなもの見つけたら、嬉しくて嬉しくて、もう最高って感じですよね。そして、おだてられて上手になっていく。周りの大人に『お前は上手いんだから、もっとどんどん書け』『あの人が絵を上手いって言ってたよ』とか、色々なことを言われているうちに『そうか、私は上手いんだ。一生懸命やると、おじいちゃんも喜ぶだろうな』っていう感覚で夢中になっていく。そうして好きだから続けていると、いい結果が出る。小学校のとき、雑誌にマンガを掲載させてもらったりしました」

アクリルガッシュやパステル、クレヨンといった多彩な画材が並ぶ光景からは、その豊かな表現の世界が伝わってくる。

生き生きと躍動感溢れる人物描写は、長きにわたりスタイル画を描き続けてきたからこそ。

雑誌『それいゆ』でスタイル画と、
文化服飾学院で立体裁断と出合う。

 芸の世界をたっぷり見て、感性を肥やしたコシノヒロコ少女。ときに漫画を、ときに心中モノの絵を描き続けた。地元の岸和田高等学校では美術部に在籍し、憧れの画家に思いを馳せ芸大を目指す日々を送る。しかし。

「洋裁店を営む母が反対をしたんです。私は実家を継ぐのも縫うのも嫌だったから、本当どうしようかと思いましたね。ただ、そのときに当時の女性誌『それいゆ』に載っていた中原淳一先生の「スタイル画」を見つけて。そこではじめて、絵を描くことがファッション(洋裁)に必要であることがわかったんです。私がデザインをする世界を見つけました」

迷いのない滑らかな線、その筆のタッチはスタイル画としての用途を超えた美がある。

 そうしてスタイル画を勉強するために上京し文化服装学院のデザイン科へ入学するも、半年目で胃潰瘍になり、半年間休学することに。ここでも描くことへの欲求は増す一方だった。

「休学中、『筆で一日30枚』とノルマを決めて絵を描いていました。すると、次第に筆が自分の手のように使えるようになってきたんですね。頭の中で考えてることが筆に移り、手が勝手に動くようになった。でも、肝心の洋服作りはというと、当時の主流だった平面裁断が全く肌に合わず、『なんで身体は立体的なのに、平面でものを解釈しなきゃいけないのか』と、先生にすごい追求したことも。ちゃんとした答えをもらっていないまま『裁断というのはこういうものです』と言われるもんだから、『めんどくさいな、こんなこと。私は考えられないわ』とか言いながら、不機嫌にやっていました(笑)。ただ、幸運だったのは在学中にフランスでイヴ・サンローランと机を並べた小池先生という方が帰国して、日本で初めて立体裁断を習える一期生になれたことです(人の身体に直接布をあてがい、立体的な状態で洋服の型紙を作っていく技法のこと)。私にとって、雷に打たれたような衝撃でした。絵という一つのやり方を持っているから、そのイメージをそのまま立体で表現していけばいいわけで、非常に簡単にデッサンができる。間違いなく立体裁断と絵を描く楽しさが、60年間以上続けられている一番の原動力ですね」

プロフィール

「常に柔軟に、何が美しいかを“真面目に”探し続ける」。コシノヒロコ、89年の軌跡と今思うこと。/前編

コシノヒロコ

1937年、大阪府生まれ。ファッションデザイナー、画家。文化服装学院卒業後、1964年に大阪心斎橋にオートクチュールのアトリエを開設し、’78年には日本人として初めてローマのコレクション「アルタ・モーダ」に参加。現在は東京都港区に本社を移し、自身のブランド〈HIROKO KOSHINO〉のほか、ライセンス商品やユニフォームデザインなど多方面で活躍する。今年5月26日から7月26日まで、膨大な創作活動を紐解く大展覧会「(UN)KNOWN HIROKO KOSHINO ―新説/真説 コシノヒロコ―」を『東京都現代美術館』にて開催中。

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