TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#3】私の影に男あり

執筆:浅野順子

2026年4月29日

3人目の男
絵描きとしての道

私は思いきって53歳で自営業を始めました。
松見坂のBARでその名も『come on people』。おもしろいお客さんと賑やかな日々でしたが、それと並行して母の介護も始めました。母とは子供の頃のように二人暮らしに戻り58歳まで一緒におりました。もし親の介護をいままさに直面されている方やこれから同じ境遇になられる方には、ひょっとしたら「浅野順子流介護」はお役に立てれるかも。このときの体験談はいつかお話できる機会があったら嬉しいです。
それから母を看取り自分一人の生活が始まりました。
相変わらず3年周期で新たな動きをしてしまう私はBARの場所は知り合いへ譲り、母がいなくなった家で愛犬と一緒に自分の時間をスタートさせました。
痛手も癒えた63歳のときに「三番目の方」が登場します。

出会いは、私の親友のアーティストがアトリエとして利用していた山梨県の別荘のパーティーでその方とお話したのがきっかけでした。彼は芸術家で巨大な作品を作っておりまして、そのアーティストとしての生き方とお話にとても興味が湧きました。私は自分から握手を求めて「また会いたいですね!」と積極的な挨拶をしたのです。それから彼の展覧会に呼んでいただき再会となりました。あれよあれよと、まぁ、お付き合いすることになりましたね。笑

ある日、私はトイレに行く前にさらっと絵を描いたのでした。そして戻ってきたときに彼から言われた言葉があるのです。

「これ君が書いたの?」
「そうだよ」
「個展やってみたら?」

そのときの絵が私の個展のポスターになりましたね。
「もっと大きな絵を描いた方がいいよ」とも言われて、芸術家の彼の言葉でどんどんと絵を描くようになっていったのです。
最初は防水紙に油クレヨンで手袋をして指でゴシゴシ伸ばして描いていたのですが、すぐに破れてしまい指の肌荒れが酷くなり…それからアクリル絵の具へ変えまして「素手で描く」いまの順子スタイルが生まれました。
60歳で絵を始め63歳で初の個展を開催したのですが、この個展のおかげで本気で絵描きの道を歩く覚悟をしたのです。

今考えると最初の頃の展覧会はとても雑だったのでは、と思いますね。ちゃんとした意識でやれてはいませんでしたから。絵を購入していただくということは、自分一人だけが気持ちよくなればいいということではないと思うのですね。75歳の今の方が意識も含めだいぶ丁寧ではありますが、それがいいのか悪いのか、まだまだ旅の途中ですね。

芸術家であるその方は、私に絵を描くきっかけを作ってくれた人でした。
それからその人から離れて、私はひとりアトリエで創作するスタイルで毎年個展を開催するようになりました。年に2、3回のペースで行っていましたね。もう今年で13年目になります。絵を描く時間は本当に楽しくて愛おしいです。今も毎日、何もかも忘れて時間も忘れて没頭しています。不思議ですが自分の気持ちが乗ってる時はまるで疲れないのです。ほんと、何かを始めるのに年齢は関係ないですよ。

それから画家として歩く私に新たな転機が訪れるのです。
3年前の72歳の時に、あるアート・キュレーターと今までで最も大きな個展を開催することになるのです。
息子よりも年下であるそのキュレーターの方は、私の何を見出した人物なのでしょうか?
いよいよ「4人目の男」の登場です。

続く。

プロフィール

浅野順子

あさの・じゅんこ|画家、モデル、俳優。1950年、神奈川県横浜市生まれ。日本人とアメリカ人の両親をもつ。俳優・浅野忠信の母親。
モデル・俳優・画家として活躍する佐藤菫(SUMIRE)とミュージシャン・俳優の佐藤緋美(HIMI)は孫にあたる。
60歳を過ぎてから独学で絵画を描き画家としてのキャリアをスタート。
63歳のとき、初の個展「Willma Asano Junko」を開催。以降、多くの発表の場を設けている。
75歳でモデルと俳優を始める。
高齢の現役モデルとしてファッションや生き方に幅広い年齢層から注目を浴びている。

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