TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#4】それでも人生は続くから
執筆:橘玲
2026年3月2日
フランス・ヌーヴェルヴァーグの到来を告げる『勝手にしやがれ』、アメリカン・ニューシネマを代表する『俺たちに明日はない』『明日に向って撃て!』などの反抗の物語には共通点がある。主人公が最後に死んでしまうのだ。
絵画を額縁に収めなくてはならないように、映画も2時間ほどで終わらせるために、「物語の額縁」に入れなくてはならないという制約を抱えている。もっともよくあるのがハッピーエンドで、恋人同士がさまざまな困難を乗り越えて最後に結ばれるというストーリーはこれまで数えきれないくらいつくられてきた。
ところが「アンチヒーロー」を主人公にすると、この常套手段が使えなくなってしまう。法を犯した者が幸福な人生を手に入れるという話では、観客が満足しないのだ。こうして、「だったら殺してしまえばいい」というシンプルな“額縁”が使われることになるが、“死”によって物語を終わらせるというプロットは、何度も使っているとすぐに飽きられてしまうだろう。
これはハッピーエンドの物語でも同じだ。観客は、恋人同士が抱擁するシーンで満足するかもしれないが、すぐに「それからどうなる?」という疑問を抱くだろう。これを「人生は続いていく(Life is going on)」問題と呼ぼう。
アメリカン・ニューシネマの初期の代表作である『卒業(The Graduate)』(1967)も、大人の常識への反抗がテーマだ。
マイク・ニコルズが監督したこの作品では、東部のエリート大学を優秀な成績で卒業したベンジャミン・ブラドック(ダスティン・ホフマン)が、カリフォルニアの実家に戻るために飛行機に乗っているシーンから始まる。機中のベンジャミンはずっと放心したような表情で、空港に降り立ってもそのままだが、迎えに来た家族を見つけて満面の笑みを浮かべる。この映画の音楽を担当したのは当時、人気絶頂だったサイモン&ガーファンクルで、ここまでの映像は、ヒット曲「サウンド・オブ・サイレンス」のミュージック・ビデオのようだ。
ベンジャミンは飛び級で学部を卒業し、奨学金まで決まって親から大学院への進学を期待されていたが、将来を決められずに悩んでいた。彼が求めていたのは優等生の平凡な人生ではなく、「なにかちがうもの(I want to be different.)」だった。
そんなベンジャミンにとって、両親の知人から次々とお世辞をいわれる21歳の誕生日パーティは苦痛でしかなかった。ところが、父親の会社の共同経営者であるロビンソン氏の妻ミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)を家まで送ることになり、彼女から思わぬ誘惑を受ける。
将来の目標がなく進路も決めらないベンジャミンは、いちどは彼女の誘いを断るが、実家での退屈な毎日が耐えられず、ミセス・ロビンソンとはじめての性体験をして、その後はホテルでの逢瀬を繰り返すようになる。そんなところに、バークレーの大学に通っていたロビンソン家の娘のエレイン(キャサリン・ロス)が帰省してくる。なにも知らないベンジャミンの両親は、無為な日々を送る息子を心配して、エレインをデートに誘うよう強引に説得する。
ベンジャミンはしぶしぶそれに応じ、無謀な運転をしたり、ストリップクラブに連れて行くなどして嫌われようとするが、涙を流す純真で一途なエレインを見て思わずキスをする。エレインは、ベンジャミンがホテルのスタッフたちから偽名で呼ばれていることを知って、彼が既婚女性と不倫関係にあることに気づくが、ベンジャミンは「もう終わったこと」と納得させる。
ところが、エレインとのデートを認めないミセス・ロビンソンから、娘とつき合うなら2人の関係を告げるといわれ、追いつめられたベンジャミンは不倫の相手が誰なのかをエレインに告白してしまう。衝撃を受けたエレインはベンジャミンを家から追い出し、バークレーの大学に戻って医学生の男とつき合うようになる。
だがエレインをあきらめきれずに追ってきたベンジャミンから愛を告白され、結婚を申し込まれると、エレインは自分もまた彼を愛しているという。だがそこにすべてを知った父親のロビンソン氏が現われ、娘につきまとえば投獄するとベンジャミンを脅し、娘には大学を辞めて医学生と結婚するよう強要する。
ベンジャミンはエレインの結婚式がサンタバーバラの教会で行なわれることを知り、結婚を止めさせるために車を走らせるが、教会の手前でガソリンがなくなってしまう。彼は教会までひたすら走り、結婚式が終わる直前に、窓越しにエレインの名前を叫ぶ。それを聞いたエレインはウエディングドレスのまま教会を飛び出し、2人は手をとりあってバスに乗り込む――。
『卒業』はベンジャミンが絶叫するシーンで映画史上に名を残したが、このようにストーリーを紹介するだけで、これがかなり微妙な話だとわかるだろう。
あらためて観なおすと、「悪人」扱いされているロビンソン氏は不倫の「被害者」で、ベンジャミンは「加害者」だ。そのうえ、母親から娘に乗り換え、エレインに結婚を迫るベンジャミンの行動は最初から最後まで身勝手で、いまならストーカー扱いされるだろう。
母親と不倫し、父親を裏切った男を愛するようになる純真な女子大生というエレインの設定も、現代の価値観ではPC(政治的正しさ)的に問題になるかもしれない。この作品は、「愛があればなにをやっても許される(とくに男は)」という、かなり特殊な時代の雰囲気を前提にしないと理解できないのだ。
『卒業』が社会に大きなインパクトを与えたのは、「母親と不倫し、娘と結婚しようとする」若者を主人公にしたことで、保守的な価値観を揺るがしたからだ。じつはこの映画には原作(チャールズ・ウェブが1963年に発表した中編小説“The Graduate”)があり、ストーリーの骨格もほぼそのままなのだが、監督のマイク・ニコルズは、この「反社会性」に魅力を感じたのだろう。――ニコラズは3年後の1970年に反戦映画(軍隊の不条理を描くコメディ)『キャッチ22(Catch-22)』を監督している。
映画の序盤で、ベンジャミンが実家の部屋でぼんやりと水槽を眺めている姿が執拗に描かれる。そんなとき、両親が友人たちを招いたパーティで、潜水服に身を包んでプールに潜るというかなり変わった余興をさせられる。この場面を強引にはさんだのは、プールの底に沈んだまま動かなくなるベンジャミンの姿に、「何者になりたいのかわからない」若者のアイデンティティの危機を象徴させたかったのだろう。この余興のあと、ベンジャミンはミセス・ロビンソンと不倫をはじめる。
その意味で『卒業』は、もっとも初期の「自分さがし」の物語だ。ベンジャミンはエレインと出会って、「愛する自分」を発見する。だからこそ「ほんとうの自分」になろうとして、ストーカーのようにエレインに結婚を迫るのだ。いまではちょっと想像できないだろうが、この映画が公開された60年代後半には、一途に(自分勝手な)愛を追い求めるベンジャミンのような若者に共感する文化的な雰囲気があったのだろう。
『卒業』が興味深いのは、「ハッピーエンドのあと」が描かれていることだ。ベンジャミンとウエディングドレス姿のエレインがバスに乗り込むところで映画を終わりにしてもよかっただろうが、カメラは、驚くバスの乗客のあいだを通って最後部の座席に座った2人の笑顔が、徐々に放心した表情に変わっていくところまで追いかける。
ベンジャミンの最後の顔は、映画の冒頭、カリフォルニアへと向かう飛行機のなかの表情と区別がつかない。『卒業』は一般に思われているようなハッピーエンドの純愛映画ではなく、かなりコワい話なのだ。
『卒業』の成功でスター監督の仲間入りをしたマイク・ニコルズは、それから4年後に『愛の狩人(Carnal Knowledge)』(1971)を撮っている。いまではあまり言及されることがなくなったが、これもアメリカン・ニューシネマを代表する作品で、日本公開時のパンフレットには「1971年度のアメリカ映画界に最大のセンセーションをまき起こし、アメリカの若者を熱狂の渦にまきこんだ」とある。この映画で監督のニコルズは、『卒業』では中途半端に終わった「人生は続いていく問題」に答えを出そうとした。――”carnal”はラテン語の“canis(肉)”に由来する言葉で、それが性欲、官能などの意味で使われるようになった。“Carnal Knowledge”は直訳すると「肉体の知識」だが、「性交」の婉曲な言い方でもある。
ジョナサン(ジャック・ニコルソン)とサンディ(サイモン&ガーファンクルの活動を停止したばかりのアート・ガーファンクル。ニコルズは前年の『キャッチ22』でも俳優として起用している)は東部の名門大学で同室になった親友だ。1946年、2人は大学のイベントで名門女子大の魅力的な学生スーザン(キャンディス・バーゲン)を見かけ、ジョナサンはまだ性体験のないサンディに声をかける役を譲る。
スーザンはうぶで誠実なサンディに好意を抱き、2人はデートするようになるが、肉体関係をもつことにスーザンは乗り気ではなかった。そんな煮え切らない関係をサンディから毎日のように聞かされていたジョナサンは、あるとき電話でスーザンを誘う。サンディとちがって女たらしで、それいでいて少年ぽさを残すジョナサンの誘惑を断りきれず、スーザンはジョナサンと肉体関係をもつようになる。
ところが、そのことに罪の意識を感じていた彼女は、サンディの懇願を断ることができず、彼とも関係をもってしまう。それを知ったジョナサンは、スーザンに対して、ほんとうのことをサンディに打ち明けるよう求め、彼女がそうしないのであれば、自分が話すと迫った。
スーザンは、なにひとつ疑っていないサンディに残酷な事実を告げることができず、ジョナサンとの関係を絶つことにする。最初は抵抗していたジョナサンもそれを受け入れて、なにも話さないままサンディはスーザンと結婚する――。
ここまでが映画の前半で、これで終わってもそれなりの作品になるだろうが、『愛の狩人』ではそこからのジョナサンとサンディの24年間が描かれる。
1960年、30代半ばになったジョナサンはニューヨークのやり手の弁護士で、享楽的な独身生活をつづけていた。サンディは医者になり、スーザンとのあいだには子どももでき、世間的にはなにひとつ欠けることのない結婚生活を送っていた。
ジョナサンは独身主義で、「完璧な女性」を追い求めていたが、その基準はスタイルのみだった。そのうえ彼は、勃起に時間がかかるという問題を抱えていて、そのことで若い女性から馬鹿にされ、傷つくこともあった。そんなとき、ジョナサンはCMのモデルをしている29歳のボビー(アン・マーグレット)と出会う。
完璧なスタイルのボビーとのセックスで自信を取り戻したジョナサンは、高級アパートで彼女と暮らすことにする。だが、ジョナサンにいわれて仕事を辞めたボビーは、部屋の掃除も料理もせず、酒を飲むか、あとは寝ているだけの自堕落な生活を送るようになった。彼女の望みはジョナサンと結婚して子どもを産み、上流階級の専業主婦の幸せを手に入れることだったが、ジョナサンにはそんなことはとうてい耐えらなかった。
一方、誰もがうらやむ幸福な家庭を築いたはずのサンディも、妻のスーザンとの性生活に不満を感じていた。シチュエーションを変えるなどして2人でいろいろ努力するのだが、若い頃のような興奮はもう得られないのだ。
その話を聞いたジョナサンは、シンディ(シンシア・オニール)という女友だちを紹介する。サンディとシンディはつき合うようになり、パーティに行くために、ジョナサンとボビーのアパートを訪ねる。そのとき2人は口論の最中で、うんざりしたジョナサンは、それぞれの恋人を取り替えてセックスしたら楽しめるんじゃないかと提案する。
サンディがそれに同意し、ジョナサンはシンディを口説きはじめる。シンディは「誘うなら堂々と誘って。期待してたのよ」というものの、サンディがボビーとセックスするのは許せないといってアパートから出て行ってしまう。寝室が静かなことに気づいたジョナサンが様子を見に行くと、ボビーは薬を大量に飲んで意識を失っており、サンディが病院に通報して集中治療室の手配をしているところだった。
それからさらに10年後の1970年、40代半ばになったサンディはジェニファーという18歳の恋人とともにジョナサンのアパートにいる。そこでジョナサンは、自身の女性遍歴を記録した“Ballbusters on Parade(「オレの金玉を叩きのめした女たちの行進」くらいの意味か)”というスライドショーを見せる。そこにはサンディの初恋の女性で妻でもあるスーザンの写真があり、ジョナサンはそれを慌てて飛ばすが、サンディは気づいた。自殺未遂したボビーとは結婚して女の子ができたものの、別居して生活費と養育費を払っている。スライドショーが終わると、サンディはなにもいわずに若い恋人を連れてジョナサンのアパートを出る。
別の日の夜、サンディとパークアベニューを歩きながら人生とセックスについて話したあと、ジョナサンはルイーズ(リタ・モレノ)という娼婦のもとを訪れる。ジョナサンの勃起不全はさらに重くなり、娼婦に彼の「パワー」と男としての完璧さを讃える科白を一字一句間違えることなくいわせないと、セックスできなくなっていたのだ。ベッドに横たわり、娼婦の朗読を聞きながら、ようやく勃起したジョナサンは宙を見つめ、スケートリンクで見かけた、フィギュアスケートをする魅力的な女性を思い出す――。
この作品が注目されたのは(男にとっての)性の問題を正面から取り上げただけでなく、「どのような青春の物語にも続きがあり、ほとんどの場合、それは退屈か、そうでなければ悲惨だ」という残酷な事実を突きつけたからだろう。60年代とともに思春期を迎え、カウンターカルチャーのムーブメントを支えたベビーブーマーも、壮大な「お祭り騒ぎ」が終わると大人への鳥羽口に立つようになり、「人生は続いていく」ことに否応なく直面したのだ。
1960年代というのは価値観の大きな転換点で、音楽でも映画でも、ファッションや美術でも、あるいは宗教(キリスト教)であっても、エスタブリッシュメント(旧来の文化)を揶揄し、否定し、解体することがすべて正しいと信じることができた。『俺たちに明日はない』の反道徳的なアンチヒーローや、『卒業』の身勝手な愛が受け入れられたのは、そんな時代背景があったからだ。だがこの“奇跡”は、10年もたたないうちに商業主義(消費資本主義)に飲み込まれて陳腐化してしまう。
マイク・ニコルズはアメリカン・ニューシネマを代表する映画監督の一人だが、『愛の狩人』の次に撮ったのは『イルカの日(The Day of the Dolphin)』(1973)という“動物映画”だった。その後もジャック・ニコルソンを起用したが、それはロマンティックコメディやホラー(狼男)だ。
『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』などの舞台演出家としても知られ、グラミー賞(音楽)、アカデミー賞(映画)、トニー賞(映画)、エミー賞(テレビドラマ)の4賞を受賞したニコルズは、そのたぐいまれな才能によって、60年代的な物語がもはや成立しないことにいち早く気づき、『愛の狩人』によってアメリカン・ニューシネマの終わりを告げたのだろう。わたしたちは、ハッピーエンドもバッドエンドもない世界で、みっともなく生きつづけるしかないのだ。
なお、60年代的な「愛こそすべて」の文化の正当な後継者は、『愛の狩人』と同じ1971年に公開された『小さな恋のメロディ(Melody)』だろう。イギリスの公立学校に通う11歳の男の子ダニエル(マーク・レスター)が、同い年のメロディ(トレーシー・ハイド)という女の子に恋をして、大人たちの理不尽な抑圧に抵抗して、同級生たちと協力して結婚式を挙げるという話だ。
この映画はイギリスやアメリカではほとんど話題にならなかったが、日本で大ヒットし、とりわけ主演のマーク・レスターはすさまじい人気だった(日本以外ではアルゼンチン、チリなど南米のスペイン語圏でもヒットしたという)。この興味深い現象は、この映画が日本の中高生の「少女マンガ」的な感性に見事にはまったからだと思うが、それについての分析は他の方に任せたい。
ちなみに、同じ1971年には15歳の少年と14歳の少女の恋愛と出産を描く『フレンズ〜ポールとミシェル(Friends)』が公開され、こちらは世界的なヒットになったが、日本では『小さな恋のメロディ』ほどは話題にならなかった。小学生の純愛はファンタジーでも中学生の出産はリアルすぎて、少女マンガの世界には合わなかったのだろう。
プロフィール
橘玲
たちばな・あきら|1959年生まれ。2002年、小説『マネーロンダリング』でデビュー。2006年、小説『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補作となる。以上、二作に小説『タックスヘイヴン』を加えて〈マネーロンダリング三部作〉と呼ばれる。他に30万部を超える『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』、100万部超の『言ってはいけない』シリーズほか、新しい教養・啓蒙書でのベストセラーも多数。
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