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【#4】しじゅうのてならい

執筆: 松尾諭

2023年3月8日

illustration & text: Satoru Matsuo
edit: Yukako Kazuno

 ドラム、ボルダリング、裸足ランニング、英会話、ファスティング、あんこ作り、ぬか漬け、などなど四十を過ぎてから始めた事は他にも数多くあるのだが、今回で連載はお終い。という訳で最終回は様々な手習いを始める動機づけにもなった話、正確に言うと四十になる少し前の話であり、しかも始めた話と言うよりは、やめた話とも言える、タバコの話。言い方を変えれば禁煙を始めた話とも言えなくはないが、もう吸うこともないだろうと思うので、やはりやめた話。
 喫煙歴は大きな声では言えないほどあり「タバコを辞めるんだったら死んだほうがマシだ」とか「タバコを辞めるような人間は意思が弱い」などと大きな声で言う程の愛煙家だったが、四十を目前にして参加したとある映画の衣装合わせで監督からいともあっさり言われた一言がきっかけだった。
「撮影までに10キロ太ってきて」
クランクインまでは一ヶ月を切っており、それまでにさらにすでに87もある体重を97に増やすにはどうすればいいのかと考えた。食えば体重が増えるのは分かるが、日頃から十二分に食っていたので、さらに食うのは容易な事ではない。あれこれと頭を捻り、

「禁煙すると太る」

とよく言われているのを思い出し、藁にもすがる思いで早速禁煙をはじめた。途中、度重なる誘惑に負けそうになりながらも、仕事の為であり、ほんの少しの辛抱だと自分に言い聞かせ、撮影までに見事10キロの増量に成功した。だが食べすぎで消化器官がおかしくなり、禁煙をした割には不健康な身体になってしまった。
 禁煙はすれども、タバコをやめるつもりはなかったが、撮影が終わる頃には身体が、というよりは頭がタバコを欲しなくなっていた。その頃には世間にじわじわと嫌煙の波が押し寄せてきており、そこらかしこで吸うことができなくなってきていた。そのためタバコを吸う場所を探し、わざわざその場所まで行かなければならない。かなり大まかに計算してみると、吸う場所を探し赴くのに約5分、タバコを一本吸うのに約5分、一日に20本吸うとして合計200分、少なく見積もっても100分以上の時間をタバコを吸うために費やしている。映画が一本観れる時間である。しかもタバコ代は値上げを繰り返している。関西人の性も手伝ってか、喫煙自体がとてつもなく損な行為に感じ、やめてしまった方が圧倒的に得だと感じ、後ろ髪を引かれる事なくタバコから卒業した。
 絶対にやめないと強く信じていたタバコをいとも簡単にやめてしまった事で、価値観が大きく変わり、何でもやってやれない事はない、と四十を手前にして気がついた。おかげで、できる訳がないと思っていた文筆業に手を出して、それが連載となり、書籍化し、さらにドラマ化までしたと言う例もある。いくつになっても、ありとあらゆる所に可能性はあるので、まずは何でも始めてみれば、もしくはやめてみればいかがでしょう。

松尾諭

まつお・さとる | 1975年、兵庫県尼崎市生まれ。役者を志して上京し、2000年映画『忘れられぬ人々』で俳優としてデビュー。オーディションで『SP 警視庁警備部警護課第四係』のメインキャスト役に抜擢され、注目を集める。2020年初の著作、「自伝風」エッセイ『拾われた男』を刊行。ディズニープラス/NHKでドラマ化される。出演映画作品に『テルマエ・ロマエ』『進撃の巨人』『シン・ゴジラ』『地獄の花園』、ドラマ作品に『最後から二番目の恋』『デート』『ひよっこ』『わろてんか』『舞いあがれ!』、舞台作品に『アルトゥロ・ウイの興隆』『しびれ雲』など多数出演。