TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#1】サテライトスタジオ
執筆: 稲川淳二
2024年8月9日
レコーディング・ディレクターで、
ラジオの音楽番組のパーソナリティーをしている浅井さんが、
結婚して、一戸建ての新居に引越した。
家具が納まるところへ納まって、
あとは戸棚や引出しへしまい込む、
細かな物を整理していると、
奥さんが、箱に入れたままになっていた写真を見つけて、
一枚一枚取出しては、懐かしそうに眺め始めたんで、
(これは長くなるなあ・・・)
と浅井さんが、
見るともなく写真を覗くと、
それは帽子をかぶって、
リュックを背負った男女のグループ写真だった。
どうやら奥さんが、
学生時代に所属していた、
ワンゲルのサークルの写真らしい。
ワンゲルというのは、
ワンダーフォーゲルという、
グループで山野を歩く運動の事なんです。
で、奥さんが次々取り出す写真を、
一緒に見ていると、
(ん!?)
その中に見おぼえのある顔を見つけて、
(ドキッ!)
とした。
奥さんとツーショットで、
こっちを見て笑っている帽子をかぶった彼女、
(・・・あいつにそっくりだ。
まさか・・・、そうなんだろうか・・・?)
と思いめぐらせていると、
そんな親しげなふたりの写真が、
次々と出てくるんで、
浅井さんが思わず身を乗り出して覗くと、
奥さんが気づいて、
「彼女、同じサークルで親友だったんだけど、
私達の結婚式の、十日前に、
交通事故で亡くなったの・・・・。
で、披露宴に出られなかったんだけど・・・・、
彼女ね、つき合ってた恋人に捨てられたみたいで、
相手に新しい彼女が出来て、
その人に、彼をとられちゃったらしいの」
と聞かせてくれた。
(・・・間違いない、今日子だ。
自分が捨てた女だ・・・・)
奥さんの話を聞きながら、
体中がジットリと汗ばんでゆくのを感じた。
結婚式の十日前、
浅井さんは前の彼女に、
きっぱりと別れを告げる為に呼び出すと、
「歩きながら話そう・・・」
と言って、一方的に話をすると、
「じゃ、もうこれきりにしよう」
と、早足に彼女の前から立ち去って行った。
後ろから、
「待って!」
と叫ぶ声がして、
靴音が追って来たんですが、
そのまま無視して、走るように車道を突っ切った。
その時、背後で、
キィィィ―――ッ
と急ブレーキをかける音がして、
ドスン!
と、何かが、ぶつかるような鈍い音がした。
降り向くと、
クルマが停まっていて、
今日子が道路に横たわっていた。
「いきなり飛び出してきたんだ!」
というドライバーの声がしたが、
自分はそのまま、その場を立ち去った。
(そうかぁ、あいつ死んだのか・・・。
知らなかったなぁ・・・。
もっとも、死んだと知らされても、
葬式には行けないし・・・・。
どうも後味が悪い。
でも、それで良かったのかも知れない。
もし、あいつが生きていたら、
いずれは女房に、
自分と今日子の事がバレテしまうだろうし・・・・。
そうなったら『親友の今日子を捨てた男』
というのが、自分の亭主で、
親友から恋人を奪った張本人が、
自分自身だとわかってしまう)
と彼女の死を、
それほど重くは受け止めていなかった。
(それにしても、
まさか、今日子が女房の親友だったとは、
意外だったなぁ・・・。
女房は、何も気付いていないようだし、
黙っていればわからない・・・)
浅井さんは、
心の動揺を隠して、つとめて平静を装った。
そして、今日子について奥さんが触れたのは、
この時だけだった。
そうこうして、
どうやら片づけもすんで、
新居での、ふたりの生活が始まった。
その夜は引越しの疲れで、少し早めに休む事にした。
新しい畳の匂いのする和室に、
蒲団を敷いて、床についたんですが、
夜中近くに浅井さんが、
何かの拍子で目が覚めると、
隣で奥さんが、
「・・・今、畳の上を誰か通ったみたい・・・・」
と、呟くように言ったんで、
「そんな事、あるはずないだろう」
と、答えたものの、
実のところ自分も、
何か妙な気配のようなものを感じていたんで、
背筋のあたりが、ゾクッとした。
(まさか・・・何かいるんだろうか?)
浅井さんは、
ラジオの深夜番組を担当してるんで、
週に一度は、帰りが明け方になってしまう。
その時は、
奥さんひとりで家にいるわけですから、
ちょっと気になった。
そして、二日後、
その晩がやって来た。
気になりながらも、
浅井さんが、深夜の番組を終えて、
午前四時を回った頃に帰宅すると、
(?)
家中の窓から、明かりが洩れている。
(いったい、どうしたんだろう)
玄関を開けて、
「ただいま」
と声をかけると、
「ううう―――っ!」
と声を上げながら、
奥さんが飛び出して来た。
血の気の失せた顔で、ブルブルと震えている。
只事ではない様子に、
(やっぱり、何かあったんだな)
と直感した。
「どうしたんだ」
と言おうとすると、
奥さんが、
「恐かったぁ・・・」
と言って、話し出した。
それは、浅井さんが出かけて、
する事も無く、TVを観ていたらしいんですが、
気が付くと、
かれこれ、夜も十一時になるんで、
(そろそろ休もうかな)
と、明かりを消して、床についたものの、
なかなか眠れない。
目を閉じたまま、蒲団の中で、
何度も寝返りをうっているうちに、
いつかしら、眠ってしまったんです。
夜中を回った頃に、ボンヤリと目が覚めた。
部屋の中は静まり返っていて、
天井の就寝用の小さな明かりを見ていると、
一瞬、
ス――ッ
と影が動いてゆくのが見えたんで、
ドキッとした。
自分は蒲団の中だし、
浅井さんはいないし、
動くものなど、ないはずなのに・・・。
と、かすかな足音が、頭の先を歩いて行った。
(・・・誰かいる!?)
と感じたとたんに、
もう恐くなって、
うつ伏せた恰好で、頭から蒲団をかぶる
と、心の中で、
(助けて下さい・・・助けて下さい・・・)
と夢中で祈りながら、
そーっと様子をうかがうと、
シーンとして、何の音も聞えてこない。
(・・・気のせいだろうか?)
恐る恐る、
蒲団を少し持ち上げて覗いてみたんですが、
別に変った事もないし、
自分の思い過ごしだったらしい。
で、蒲団から頭をだして、
(は―っ)
と、ひと息つくと、
再び寝返りを打って、仰向けになったとたん、
グンッと、髪の毛が引っぱられた。
「あいたた・・・・」
長い髪が、何かに引っ掛ったらしい。
無理に引っ張って、
髪の毛が傷ついてもまずいんで、
仰向けのままの状態で、
手を伸ばして、髪の毛にそって、
頭の先の辺りを探って行くと、
(ん!?)
指先に何か触れたんで、
手で摑んで確かめると・・・・、
その瞬間、身体中が凍りついた。
なんと、冷たく冷えた女の手が、
自分の髪の毛をグっと掴んでいた。
就寝用の小さな明かりの下で、
仰向けのまま動けない自分の顔を、
逆光の黒い顔の輪郭が、
ヌーッと覗き込んできた。
その時、一瞬、
相手の目が見えて、
うすれてゆく意識の中で、
その顔に見覚えがあるような気がした。
それから、どれほどか経って気がつくと、
慌てて家中の明かりをつけたんです
が、誰の姿も無かったというんです。
どうやら相手は、この世の者ではないらしい。
「この家、何かあるんじゃない?」
と訴える奥さんをなだめながら、
浅井さんは、漠然と、
ある想像をめぐらしていた。
そうして、蒲団に入って、
眠りについた頃には、
もう外はうっすらと明かるくなっていた。
五時間ほどの睡眠をとってから、
昼を過ぎて家を出て、
サテライトスタジオにやって来ると、
夏の昼下りの陽射しを受けた、
サテライトの前には、
既に十人前後のファンが集まっていた。
(そうだ、今日子と知り合ったのも、
こんな夏の陽射しが眩しく照りつけていた、
このサテライトスタジオだったなぁ・・・・)
と、ふっと思い出した。
やがて、いつものように番組が始まって、
サテライトスタジオ前には、
いつしか、二十人くらいの人垣が出来ていて、
最前列の五、六人が、
ラジオ局のロゴの入った、
大きな一枚ガラスに張り付くようにして見ている。
と、その中に深く帽子をかぶって、
大きなつばの下から、
口元だけがのぞいている女がいて、
それが妙に気になった。
そうして、番組が終了の時刻となって、
浅井さんが、別れの言葉を言いながら、
サテライト前に集まっている人達に、
手を振って順に視線を向けていって、
やがて、帽子をかぶった女に行くと、
大きなつばの下からのぞいた口が、
はっきりと、
「待って」
と動いた。
その瞬間、
浅井さんは言葉を失った。
昼下りの眩しい陽光の中で、
女の輪郭が、自分を見つめている。
(・・・今日子だ)
それは、紛れも無く、今日子だった。
そして次の瞬間、
その姿はかき消えていた。
その時、ふっと、
(今日子は、親友の結婚披露宴の案内状に書かれた、
新郎の名が、自分を捨てた男と、
同姓同名である事に気づいたはずだ。
恐らくあいつは、すべてを知っていたに違いない。
そして、これからも、
我々ふたりの生活にわり込んでくるに違いない)
と、浅井さんは思った。
終わり
プロフィール
稲川淳二
いながわ・じゅんじ|怪談家・工業デザイナー。32周年全国ツアー『MYSTERY NIGHT TOUR 2024 稲川淳二の怪談ナイト~怪談喜寿~』が開催中。稲川淳二の『稲川芸術祭2024』作品募集中。
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