ライフスタイル

【#3】従姉妹のマンション

執筆: 稲川淳二

2023年8月23日

text: Jyunji Inagawa
edit: Yukako Kazuno

世の中には、事件にならない事件というのが、

意外にあるんじゃないですかね。

これも恐らくそういったものだと思うんです。

それは何年か前の事になるんですが、

私の従姉妹で、事業をしている女性がいて、

年齢はそこそこいってますけど、

独身で、東京の都心の山の手のマンションで、一人暮しをしているんです。

そんなある日、親しい友人夫婦が、しばらく海外に行く事になったんで、

「留守の間、自分達のマンションの

部屋の空気を時々入れ替えてくれると助かるんだけど、

で、よかったら使っててくれない」

と頼まれて、二つ返事で引き受けた。

というのも、友人夫婦のマンションというのは、

世間で言うところの“億ション”なんですよね。

そりゃもう広いし、部屋数はあるし、豪華で快適とくれば申し分無い。

従姉妹は、このマンションには

ちょくちょく遊びに行っては泊ってくるんで、

家の勝手もわかっているし、身軽な独身で、お互い気心は知れてるし、

留守を頼むには、まさにうってつけな訳で。

そうして、鍵を預かって、友人夫婦が海外へ旅立つと、

早速、身の回りの物を抱えて、億ションヘとやって来て、

快適な生活が始まった。

これが居心地がいいもんですから、2日、3日と経つうちに、

ついつい2週間も居続けてしまったんですね。

さすがに、自分のマンションの方も気になるし、

仕事に必要な物を取りに、しばらく振りに帰って、部屋の空気を入れ換えて、

掃除をして、仕事関係のものの整理やら片付けをするうちに、

いい時刻になったんで、ベッドに入るといつかしら眠ってしまった。

さて、翌朝なんですが、物音と人の声で、ボンヤリと目が覚めた。

(………ん⁉︎)

何やら隣が騒がしい。

ここは、山の手の閑静な住宅街で、

普段は物音ひとつ聞えてこないし、まして、マンションの中は、

静まり返っていて、通路を歩くかすかな靴音が、

たまに聞えてくるくらいなのになんですよ。

それが、この日に限って、隣で人が慌しく出たり入ったりしていて、

玄関のドアが、引っ切り無しに開いたり閉まったりする音と、

部屋の前の通路から、複数の男のやり取りする声が聞えてくる。

(この人達、隣で何をしてるんだろう?)

と思いながら、起きて顔を洗って着替えをすませたところで、

キンコーン

玄関のチャイムが鳴った。

出て行って、ドアを少し開けて、

「はい⁉︎」

と顔を出すと、見知らぬ男が立っていて、

「すいません。警察ですが、隣の方の事で少し伺いたいんですが」

と言うんで、

(警察って、一体何事だろう?)と思いながら、

「お隣とは、全く面識が無いんですよ。それにしばらく部屋を留守にしていて、

昨日帰って来たばかりだから…、あの何があったんですか?」

と聞くと、

「そうですか。こちらは若い女性のひとり暮しで、

今朝、訪ねて来た知人の方が、死体を発見しました。

本人と確認されたんですが、

状況からして、自殺と見て間違いないようですね。

死亡推定時刻が、昨夜遅くと思われるんですが、

何か聞いたり、見たりされてないかと思いまして…」

と聞かされて、びっくりした。

「すいません、何も聞いてないんですよ」

と答えたものの、昨夜、若い女性が自ら命を絶った時、

自分は何も知らずに、壁一枚はさんだ隣で、寝ていたのかと思うと、

どうも、その晩は、自分のマンションに泊まる気になれなくて、

億ションへ戻る事にした。

そうしてまた、ズルズルと3週間程経ってしまったんですが、

やっぱり、自分のマンションも放っておけないんで、しばらく振りに帰って来ると、

部屋の空気を入れ替えて、掃除をしたりした。

今度は仕事の都合もあって、

何日か自分のマンションで過ごす事にしたんですが、

翌日、部屋で仕事をしていると、昼近くにチャイムが鳴った。

このマンションは、1階入口に、通常のガラスの扉と、

その奥にもうひとつ、防犯用のガラスの扉があって、

住人以外の人は、インターホンで、

訪ねる部屋の人に扉を開けてもらわないと入れないんで、

じかに玄関のチャイムが鳴るという事は滅多にないんですね。

(何だろう?)

と、玄関に出ると、男の人がいて、

「恐れいります。警察の者ですが、

隣の方の事で、少しよろしいでしょうか?」

と言うんで、

「……3週間前に自殺した人の事でしょうか?」

と答えると、

「いえ、一昨日、部屋で死体が見付かった若い女性ですが、ご存知ないですか?」

と聞かれて、

「すいません、私、しばらく部屋を空けてまして、

昨夜、帰って来たところなんですよ。

じゃあ、あのあともう新しい人が入ったんですね…」

と言うと、

「はぁ、……隣は3週間程前にも、若い女性が自殺してるんですねェ」

と不可解そうな顔をした。

どうやら自分が留守にしてたんで、あらためて、聞込みに来たらしい。

(それにしても、自殺があった部屋に直ぐに人が入るんだから、

東京というのは、不思議なところだなァ)

と思った。

ただ、同じ部屋で、同じような独り暮しの若い女性が

続けて自殺するというのが、妙に思えた。

(偶然と言えば偶然なのかも知れないけど、隣は何かあるのかなァ?)

と、気になった。

そうして、また億ションへ戻ったんですが、

3週間程して、仕事の都合もあって帰って来た。

今度は、しばらくここにいる事になる。

窓を開けて部屋の空気を入れ換えて、掃除をして、

あれこれと雑用を片付けてから、遅い夕食をとると、やっとひと息つけた。

そうして一日も終って、休む事にしたんですが、

ベッドが壁際にあって、横になると、一方が壁なんで、

(この壁を挟んだ隣で、若い女性が2人自殺したんだなァ……)

と、ついつい思い出してしまう。

ただ救いは、2人の顔を知らない事で、

(もし知っていたら、起きていても、目をつむっても、

顔が浮かんでいたたまれないだろうなァ…)

などと、考えながら、明かりを消して、

目をつむったものの、何だか眠れない。

仕方無くそのままでいると、かすかな物音がした。

それが、静まり返った中で、途切れ途切れに聞えてくる。

(どこからだろう?)

と、耳を澄ますと、どうやら上の方からで、

それも、寝ているベッドの横の壁を通して聞えてくる。

カタッ……カタン……カタカタッ……

隣で誰か動き回っている。

(えっ⁉︎ もう人が入ってるんだ…。

よくこんな部屋に入れるなァ…。

この人、何があったのか知ってるんだろうか?

それとも知らないんだろうか?)

と思った。

別にわざわざ教えるつもりもないけれど、

自分にしてみれば、隣が空き室より、

人がいてくれた方が、怖くないし助かる。

すると、

ガタンッ!

と、何かが倒れたような音が聞えて、続いて、

ドン!……ドスン!……

ベッドの横の壁に、何かがぶつかる音がした。

それが、突然、寝ている自分の頭の近くだったんで、

思わず起き上がってしまった。

(こんな夜中に、隣の人は一体何をしてるんだろう?)

と思ったんですが、それきり何も聞えなくなって、

いつかしら眠ってしまった。

そんな事があって、翌々日の朝、何やら隣がまた騒がしい。

人が何人も出たり入ったりしている。

キンコーン キンコーン

チャイムが鳴って、出ると、

「あの警察ですが、すいません、隣の方の事を伺いたいんですが…」

と言うんで、

「ごめんなさい。私、お隣さんとは、一度もお会いした事がないんで、

どういった方か、全く存じ上げないんですよ。何かあったんですか?」

と言うと、

「ええ、隣は、一人暮しの若い女性で、今朝早く、死体で発見されました。現場状況から、自殺とみて間違いないですね。

死亡したのは、恐らく一昨日の晩遅くと思われるんですが、

何か物音を聞いたりしませんでしたか?」

と、聞かれて、

(……一昨日の晩遅くっていうと……)

と、ふっと思い出した。で、好奇心から、

「すいません。どんな状況で亡くなってたんでしょうか?」

と聞いてみると、

「部屋の壁際に、ヨーロッパ家具の洋服箪笥と戸棚が、

少し距離を置いて並んでましてね。

これが、ふたつとも190㎝程の高さがあるんですが、

亡くなった女性は小柄な人でして、恐らく椅子に上がって、

洋服箪笥と戸棚の上に、物干し竿の金属パイプを渡して、

それに紐を引っ掛けて、首を吊ったんですね……」

と教えてくれた。

「じゃ、あのガタンッという音は、首を吊る瞬間、

蹴った椅子が倒れた音だったんだ」

ドスンと壁に何かが当った音は、身体が宙吊りになって、

首がグッと絞まったんで、苦しみもがいて壁を蹴ったか、

ブラン、と身体が揺れて、足が当ったかした音だったのか……。

見ず知らずとはいえ、

その女性の死ぬ瞬間の音を、自分だけが聞いていたんだ)

と思うと、何ともやり切れないような、

無関係な他人事ではすませないような気がした。

……若い女性が、一人孤独に死んでゆく時、

自分は壁一枚挟んだ距離で寝ていた訳ですから。

(首を吊った死体が、ぶら下がっている隣で、

自分は何時ものような生活をしていたんだ)

と思うと、さすがにショックだった。

それにしても、ふたり迄なら偶然もあるでしょうが、

2ヵ月たらずの間に、次々と立て続けに3人ともなると、ただ事じゃない。

それも、3人が3人とも一人暮しの若い女性ですからね。

ただの偶然では済まされない。

それと、このマンションは、本来分譲マンションなんですが、

どうやら隣は、部屋の持ち主が貸しているらしい。

(という事は、自分が部屋に住めない事情か、

住みたくない事情でもあるんじゃないだろうか?

で、他人に貸しているのかも知れない。

都心の山の手にあるマンションですから、家賃が安ければ、

若い女性は飛び付いてくるに違いない。

しかし、似たような境遇の女性ばかりが、3人同じように自殺した。

これは何かの因縁か怨念によるものではないだろうか。

隣には、3人を自殺に追いやった、

得体の知れない何かがいるんじゃないだろうか…。

もしかすると、部屋の持ち主は、その正体を知っているのでは…)

と、考えただけで、背筋の辺りに悪寒が走った。

(周囲の環境もいいし、便利なマンションだけど、隣でこんな事があって、

気味が悪いし、この先また何か起らないとも限らない…。

この際、ここを売って、よそへ越そうかなァ…)

とは思ったものの、うまい具合にマンションが売れて、

同時にどこか、いいマンションが見つかればいいんですが、

家具やら服やら何やらで物も多いし、おいそれとはいかない。

で、差し当って、億ションへ帰って、おいおい考える事にした。

そうして、仕事に追われるうちに、気が付けば2週間が経ってしまっていた。

季節が変るんで、夏服を取りに自分のマンションへ帰って、

部屋に入ると、締め切ったままのせいか、妙にジメッとしていて、

かすかに線香のような匂いがした。

「あゝ、隣の部屋で、お線香を焚いたのかな…

御祓でもしたんだろうか…」

と思った。

窓を開けて空気を入れ換えて、掃除をして、服を整理して、

夕食をすませて、雑用を片づけているうちに、時刻が回って休む事にした。

ベッドに入って明かりを消して、

(…さあ寝よう)

と、目をつむるんですが、静かすぎてかえって眠れない。

そのままどれくらいの時間が過ぎたのか。

かすかな物音で、ふっと目を開けた。

「……音がしてる……何処からだろう?……」

就寝用の弱い薄明りの中で、ジッと耳を澄ませている。

それはどうやら、寝ている横の壁を通して、隣から聞えてきているらしい。

はっきりとした音ではないんですが、部屋の中を歩き回っているのか、

ドアの閉まるような(バタン)という音もかすかに聞えて、

人のいる気配がする。

(……えっ? …もう入居者がいるんだ、あんな事があった跡なのに、

……この人、知ってて入ったんだろうか?)

でもこの際、隣に人が入ってくれた方が、自分としては有り難い。

そして、いつしか眠りについた。

さて、翌日、仕事に行くんで1階に降りて来ると、

管理人さんに、 

「お早うございます。あの郵送物を預かっているんですが…」

と声を掛けられて、

管理人室に立ち寄って、郵送物を受け取りながら、

それとなく、

「お隣、もう新しい人が入居してるんですね」

と言うと、

「いえいえ、あんな事が続いたもんですから、

さすがにもう、借り手なんてないですよ」

と答えたんで、

「ええっ? でも昨日、隣で音がしてましたよォ…。誰かいましたよ」

と言うと、

「それは何かの聞き違いでしょう、私、部屋のオーナーさんから、

警察が来るかも知れないからって、鍵を預かってるんですがね。

部屋に入るなら、ひとこと、断って入るでしょうしね」

と言うんで、それ以上言い張るのはやめたものの、

(でも、やっぱり隣で人のいる音がしてたなァ…。

確かに聞いたんだから…)

と思った。

そうして、その日は、仕事で遅くなって帰って来て、

着替えると、雑用を片付けてからベッドに入った。

就寝用の弱い薄明りだけにして、うつらうつらしていると、

(ん?)

かすかな物音がしたんで、息を殺して耳を澄ますと、

それは確かに隣から聞えてくる。途切れ途切れに何か音がしている。

聞き違いなんかじゃない。自分の言った通りだと思ったんですが…、

(……いや。そうじゃないのかも知れない。

管理人さんは、部屋の持ち主から鍵を預かっている訳だし、

文字通りマンションの管理人さんなんだから、その部屋に入居するなら、

たとえ自分が鍵を持っていたとしても、

ひとことの挨拶も無く、無断でというのはおかしい。

管理人さんの言う通り、隣が空き室なら、

今、自分が聞いているこの物音は一体何だろう?)

とたんに体中がゾクゾクしてきて、思わずベッドの上に起き上がった。

(………いる。………人のいない空き室から、

ドアの閉まる音や水の音がする。誰か動き回っている……。

誰なんだろう?

もしかして、3人の若い女性を次々と自殺させたのは、

コイツじゃないだろうか?

となると、相手は生きている人間じゃないらしい…。

恐らく以前から、隣の部屋に取り憑いている怨霊なのかも知れない…。

そして、今、その物音を聞いているのは自分だけなんだ)

と思うと、言いようのない恐怖を感じた。

と、

ガチャ……キィィ……バタン……

隣の玄関のドアが開いて………閉まった…。

(外へ出た!)

で、自分も咄嗟に、ベッドから出た。

(よーし、コイツの正体を見てやろう)

と思った。

エレベーターを使うにしても、階段を使うにしても、

自分の部屋の前を通る筈だから、その時、確かめる事が出来る。

が、その一方で、

(やめとけ、やめとけ、危ないからやめとけ)

という心の声もする。

(恐い、確かに恐い。

でもこの機会を逃したら、永久に正体を知る事が出来なくなる)

恐怖心より好奇心の方が少し勝っていた。

廊下へ出ると、暗い先に、明かりの消えた闇の玄関がある。

足を殺して、そーっと近付いて行く。

その正面のドアの覗き穴から、

ポツンとひとつ通路の明かりが小さくもれている。

心臓が、

ドックン、ドックン、ドックン、ドックン

と鳴っている。

心の中では葛藤が続いている。そんな不安を押えながら、玄関まで来た。

恐怖と興奮で、ジンワリと噴き出した汗が首筋を伝ってゆく。

(恐い。………恐いけれど、この目で正体を見なくては……)

と、小さな明かりのもれる覗き穴に、やおら顔を寄せて覗こうとすると、

不意に覗き穴の明かりが、ふーっと消えた。

(うっ⁉︎)

とたんに、その場で全身が凍り付いた。

(いる! 相手はドアの直ぐ外にいる。

覗き穴からこっちを覗いているに違い無い。

……恐らく自分は見られている。……どうしよう……)

その場から、逃げ出したいんですが、身体が固まったまま動けない。

ましてや声も出せない。

自分の顔を見られたくないんで、そっと下を向いて闇に視線を向けた。

周囲は音も無く静まり返っている。

そのうち、目が慣れてきた。

と、闇の中にスカートが見えた。

で、視線を上げると、ブラウスが見えて、

その上に自分を見ている女の顔があった。

……玄関の闇の中に女が立っている。

相手はドアの外ではなくて、玄関の中に入ってたんですね。

とたんに、

「キャ――――」

悲鳴を上げて、従姉妹は気を失ってしまったそうです。

それから間も無くして、マンションを売ってしまいました。

これ話は数年前の出来事ですが、先日、テレビのニュースで、

「ここ数年東京港区では女性の自殺が増加している」

と報道していましたね。

プロフィール

稲川淳二

いながわ・じゅんじ | 談家・工業デザイナー。31周年全国ツアー『MYSTERY NIGHT TOUR 2023 稲川淳二の怪談ナイト』が開催中。稲川淳二の『稲川芸術祭2023』作品募集中。

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