TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#1】旅に出なければ、わからない。
執筆:デリヤ・エスデヴレット
2026年7月14日
2024年9月、私は4度目のシェンゲンビザ却下を受けました。
理想を実現するための資金を稼ぐだけの、望んでもいない仕事をしていました。
でも、そのお金が自分の目的のために使えないのなら、一体何の意味があるのだろうと思ったのです。
当時の私は、まだ一度も海外へ行ったことがありませんでした。
使えるお金も、自由な時間もありました。
それなのに、なぜそこまでヨーロッパにこだわっていたのだろう。
そう考えた私は行き先をアジアへ変え、帰りの航空券も持たずにバンコク行きの飛行機へ乗りました。
どこへ行くのか、どう旅をするのか、何を目指すのか。
何ひとつ決めないまま、私はバンコクに降り立ちました。
あれほど自由を感じたことは、それまで一度もなかったかもしれません。
ただ生きて、旅をして、食べて、飲んで、少しずつ成長していく。
予定を立てることはほとんどなく、美味しそうな香りがすれば、その匂いのする方へ歩いていく。そんな毎日でした。
バンコクではバイクタクシーがとても安く、普段は移動によく利用していました。
でも、その日だけは歩いて帰りたくなりました。
人混みから少し離れた裏路地を歩きながら、街の喧騒から少し距離を置きたいと思っていました。
翌日には、同じ料理人であり、バンコクに住む友人と会う約束がありました。
目的もなく歩いていると、一台のバイクタクシーが私の目の前で止まりました。
降りてきたのは、まさに翌日に会う予定だったその友人でした。
世界の反対側の、小さな裏路地で、その街で唯一知っている人に偶然出会う。
それは本当に偶然だったのでしょうか。
少し立ち話をして翌日の約束を確認し、それぞれ別の方向へ歩いていきました。
その日、本当は最後まで歩いて帰るつもりでした。
でも携帯電話の充電が足りず、帰れそうになかったので、結局バイクタクシーを呼ぶことにしました。
走っている途中、不思議な感覚が込み上げてきました。
「あの日、歩きたかったのに歩けなかったのは、彼に会うためだったのかもしれない。」
そして同時に思いました。
「私は、ただパッタイを食べるためだけに、ここまで来たわけじゃない。」
その瞬間、この旅はきっと人生の大きな転機になるのだと直感しました。
この先には15の街、5つの国、そして数えきれない思い出があります。
でも、その話の前に、本当の転機になった国の話をします。
タイを出たあと、私はシンガポール、香港、韓国を旅し、最後にずっと憧れていた日本へたどり着きました。
当初の予定では、東京に1か月、大阪に1か月、京都に1か月滞在し、その後イスタンブールへ戻るつもりでした。
けれど東京に恋をしてしまい、気づけば滞在を延ばし続けていました。
人生でこれほど長く一つの街に滞在したことはありませんでした。
最初はただ食べ歩き、街を歩き、ノートを取り続ける毎日でした。
でも少しずつ、「旅をしている」という感覚よりも、「この街で暮らしている」という感覚の方が大きくなっていきました。
そしてある日、どこかのレストランで無償でもいいから働いてみたいと思うようになりました。
16歳で皿洗いから始めた料理人としての人生で、自ら志願してインターンをするのは初めてのことでした。
当時の東京には知り合いも、仲間も、一人もいませんでした。
SNSで気になるレストランを探し、一軒ずつDMやメールを送り続けました。
何日も続けましたが、ほとんどは返信すらありませんでした。
たまに返事が来ても断られることばかり。
そんな中、最初で最後の「ぜひ来てください」という返事をくれた人がいました。
多くの人にとって彼は、有名なダッチパンケーキやPATHのシェフとして知られているかもしれません。
でも私にとっての原 太一さんは、それ以上の存在です。
遠く離れた場所からでも、人の人生を変えてしまうような人でした。
彼は、数週間、自分の厨房で働くことを快く受け入れてくれました。
その頃の私は、ヨットシェフとして4年間働いていて、プロのレストランの厨房からは長く離れていました。
世界の反対側で、言葉も通じない厨房のディナーサービスに立っていました。
毎晩、原さんは誰よりも働き、サービスを終えたあとには自ら皿洗いまでしていました。
それは私にとって、とても衝撃的な光景でした。
トルコでは、オーナーやシェフが皿洗いをしている姿を見ることは、ほとんどありません。
私は驚き、そしてさらに彼を尊敬するようになりました。
当時はまだあまり会話をすることはありませんでした。
それでも彼の姿を見ているだけで、人生との向き合い方や、自分が何を目指し、どう生きたいのかという考え方が少しずつ変わっていきました。
私は日本語が話せず、原さんも英語はあまり得意ではありませんでした。
それでも営業後、ワインを数杯飲めば、不思議と同じ言葉を話しているような気持ちになれました。
ある週末、原さんは外部の会社のレシピ開発のため、サービスを外れていました。
スーシェフが原さんのポジションへ入り、私はそのスーシェフのポジションへ。
気づけば私は、言葉の通じない相手とディナーサービスを回していました。
誰一人返事すらくれなかった街で、原さんだけが私に扉を開き、信頼してくれました。
東京での物語はあのキッチンから始まった。
(次回へ続く)
プロフィール
Derya Esdevlet
デリヤ・エスデヴレット|1997年、トルコ生まれ。16歳で料理の世界に入り、トルコ国内外のレストランで経験を積む。現在は「LOKANTA」を主宰し、トルコ料理を軸に日本の食材や文化を取り入れた表現を探求。東京やロンドンを中心にポップアップレストランやコラボレーションを行いながら、新しいトルコ料理の可能性を発信している。
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