カルチャー
アメリカ文学を研究する青木耕平さんによる『夢遊の大地』のレビュー。
クリティカルヒット・パレード
2026年3月11日
illustration: Nanook
text: Kohei Aoki
edit: Keisuke Kagiwada
アメリカ文学を研究する青木耕平さんが新しい小説をレビューする「クリティカルヒット・パレード」。今回取り上げられるのは、『夢遊の大地』だ。
ミア・コウト(著)
伊藤秋仁(訳)
¥3,080/国書刊行会
凄まじい小説です。ただただ圧倒されました。私は、『夢遊の大地』を論じるための語彙も、知識も、論理も、まったく持ち合わせておりません。とにかく一読することを強くお勧めします!!!!…………………………………………………………………と、これだけで終わってもいいのだが、なぜ『夢遊の大地』を語る言葉を私が持たないのかを語ることは、本書が持つ価値の一端を明らかにすることに逆説的に寄与するはずだ。よって、少しだけお付き合い願いたい。大丈夫、今回、私の筆はすぐに止まる。
『夢遊の大地』は、1992年に刊行された、ミア・コウトによるデビュー作である。彼の国籍はモザンビークで、執筆言語はポルトガル語だ。この長編小説は、以下のように幕を開ける──
その地では戦争が道路を殺してしまった。道を徘徊しているのはハイエナだけで、灰と埃の中を嗅ぎ回っていた。風景は口に粘りつくような色彩で、これまで見たことがない悲しみが入り混じっていた。. . . いま、我々の目の前に開がる道路は、ただの一本道だ。. . . 道端には、略奪の残骸である焼け焦げた車が朽ちている。周囲のサバンナでは、バオバブの木だけが世界が萎れていくのを凝視している。
ひとりの老人とひとりの少年が道路を歩んでいる。. . . 戦争を逃れようと。戦争が大地のすべてを汚してしまったからだ。その先に静かな避難できる場所があると夢想して。靴も履かずに進んでいる。
もしもあなたが現代アメリカ文学の読者ならば、この設定、この描写、この文体、そしてこの言葉選びに、強烈な既視感を覚えるはずだ──そう、コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』である。『ザ・ロード』においても、文明は荒廃し、生き残った人々は暴力に支配され、靴を手に入れることさえ困難な中で、父と息子が二人きりで南に希望を求めて歩いていく。
奇しくも『ザ・ロード』が米国で刊行された同じ2006年に『夢遊の大地』も英訳されたことから、英語圏では、両作を比較した読者の感想や書評が多く散見された。二作の共通点は他にもある。それは、この歩く二人の過去がほとんど記されないこと、そして何より、なぜ世界が荒廃しているかの説明がほぼされないことである。ただ、それでも『ザ・ロード』の場合、原因はいくつか──核戦争、気候変動、彗星の接近──推測できるし、父と息子に名前がないことから、物語が「黙示録的な寓話」であることは誰の目にも明らかで、二人の足取りに寄り添いさえすれば、物語はあるべき場所に辿り着く。
しかし、『夢遊の大地』はそうではない。この老人と少年は、どれだけ真っ直ぐ進んでも、同じ場所に戻ってきてしまう──なぜならば、戦争が道路を壊したからだ。なぜならば、夢遊する大地で戦争が起こっているからだ。
『ザ・ロード』と異なり、『夢遊の大地』の老人にはトゥアイールという名があり、少年はムィディンガと呼ばれている。しかし、少年には記憶がない。難民キャンプで瀕死のところをたまたま救い出しただけ、そう老人は語るが、少年は自分自身が誰なのかと探し続ける──これが、本書を貫く一つの謎として機能する。
ある日、二人は焼け焦げたバスに乗り込み、とある遺体のバッグの中から、文字がびっしり書かれたノートブックを見つける。「キンヅのノート」と名付けられたそれを、文字が読めない老人は、文字の読める少年に読んでくれとせがむ。その書き出しを引用しよう──
私は時代を並べたい。穏やかな順に。希望や苦悩に従って。しかし記憶は思い通りにならない。無であろうとする意志と現在から私を奪い去ろうという嗜好の間を揺れ動く。物語に火を灯すと、私自身が消えていく。このノートを閉じた時、私はふたたび声なき影となる。私の名はキンヅ。
「キンヅのノート」で書かれるのは、モザンビーク内戦に巻き込まれた一人の人間の半生である。以降、『夢遊の大地』は、老人とムィディンガ少年の「現在」パートと、「キンヅのノート」のパートが交互に語られる。ムィディンガは、自分の正体がこのノートに登場する少年ではないかと疑い始め、「現在」と「ノート」はお互いに侵食し始め、「現実」と「虚構」が、「個人の人生」と「国の歴史」が重なり合って瓦解し始める。──まるで『夢遊の大地』という書物それ自体が、夢遊して形を変え続け、物語を生み出し続けるメタフィクションとなるかのように。
……………が、ここで白状しよう。初めて本書を通読した時、私は何も理解することができなかった。物語の持つあまりに高い熱にあてられて、私自身が夢遊してしまい、物語のどの地点にいるかを把握することさえできなかった。悔しくて訳者あとがきに手をつけず、再び冒頭からさらに細部に着目して読み直したが、夥しいイメージの洪水に今度は溺れてしまった。自分の読解力の浅さに呆れつつ、映画化作品を鑑賞して物語の骨子を理解し、可能な限りの英語圏の批評を読み、そのうえで初めて訳者あとがきを読んで、やっと少しだけ、理解することができた。
(以下、本書のネタバレに踏み込みつつ批評的な読解を行います。未読の方はお気をつけください!)
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『夢遊の大地』刊行より2年早い1990年、批評理論家のクリスティン・ブルック=ローズは、ポストモダンの言語遊戯としてのメタフィクションは失効した、と喝破した。強すぎる自意識をパロディ化する二重構造など、西洋白人作家のくだらない自己愛に過ぎないのだ、と。代わりにブルック=ローズは、ポスト植民地文学へとメタ・フィクションの覇権は移り、それは歴史的必然であったと述べる。なぜか。それは端的に、
夢遊の大地、それはモザンビークの歴史に他ならない。1975年、モザンビークは500年近くに及ぶポルトガルの支配から独立する。しかし、主権国家として歩み出したはずのモザンビークで、国を二分する暴力的な内戦が勃発する。内戦は長引き、国は引き裂かれる。著者ミア・コウトはまさに、この歴史の中を生き抜いた。『夢遊の大地』最大の謎は、「ムィディンガはガスパールなのか?」というものだ。おそらくそうだが、断定はできない。よって、(「訳者あとがき」の作者の言葉を借りれば)「物語は閉じない」、閉じることができない。アイデンティティをあれほど求めたムィディンガは、結局最後まで明確な同一性を獲得できないが、だからがゆえに、本書はモザンビークの国家を表象する作品となり得ている。
1986年、アメリカのマルクス主義文芸批評家フレドリック・ジェイムソンは「多国籍資本主義時代における第三世界文学」を発表した。当該論考の要諦は、まさにモザンビークを含むアフリカ諸国など「すべての第三世界文学は必然的にアレゴリカルであり、ナショナル・アレゴリーとして読まれるべきだ」というものだった。もちろん、この論考は発表と同時に大批判を浴びることとなる。本質主義的であり、西欧中心主義であり、アメリカ白人男性による無知で高慢で雑駁な理解に過ぎない、と。
その批判は正しい。が、同時に、この理論は今も言及され批判され続けるほどにインパクトを持つものだった。敷衍して考えれば、アメリカを二分した内戦である南北戦争後に書かれた『ハックルベリー・フィンの冒険』を、現在の私たちは、当時のアメリカという国家の問題が書き込まれた作品として読まないだろうか。19世紀半ばに書かれたトルストイとドストエフスキーの大長編に、沈みゆく帝政ロシアの運命を私たちは重ねて見ないだろうか。ここ日本においても、夏目漱石の作品群と、日本の近代化を合わせ鏡として私たちは読み、批評してきたではないか。
後期近代以降、アメリカでも日本でも小説が溢れ返り、ナショナル・アレゴリーが重ねられる小説など書かれ得ない。しかし、かつては違った。ミア・コウト『夢遊の大地』は、ジェイムソン理論の強烈な批判者であり反証でありながらも、小説という表現ジャンルがかつて持っていたアレゴリーとしての機能を有している。…………だがしかし、率直に言って、中盤は冗長で、言語の強さに頼り過ぎてプロットは弱く、間違いなく傑作だが、大傑作だと褒めることはできない──しかしそれは、物語の底に流れる歴史に対して、モザンビークそしてアフリカの言語芸術の伝統に対して、私があまりに無知なだけかもしれない。この冗長さを正確に読んで評価するには、私はあまりにも素人である。
冒頭に記したように、私は本書を正しく論評する語彙もなければ知識もない。しかしそれは、今この記事を読んでいる多くの読者がそうであろう。本書は、国書刊行会が昨年度より立ち上げた「アフリカ文学の愉楽」シリーズ第二回配本である。第一回配本『割れたグラス』よりも私はこちらを推す。本シリーズの今後にも、大きな期待を寄せている。
レビュアー
青木耕平
あおき・こうへい|1984年生まれ。愛知県立大学准教授。アメリカ文学研究。著書に『現代アメリカ文学ポップコーン大盛』(共著、書肆侃侃房)。
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