ライフスタイル

うぶ声/文・上白石萌歌

ひとりがたり Vol.28

2025年12月30日

ひとりがたり


photo & text: Moka Kamishiraishi
illustration: Jun Ando

それは突然母から送られてきた。地元のデパートの包み紙に包まれた一本のカセットテープ。ラベルには鉛筆で生まれた日付と時間、体重のみが記され、吹き込まれているのもA面にたったひとつ「うぶ声」とだけだ。

はて、なんだろうこれは。

テレビ台の下の棚のいちばん隅っこに眠らせていたカセットプレーヤーを何年ぶりかに取り出す。うっすら埃をまとった寝ぼけ眼のプレーヤーをゆすり起こし、がちゃりとテープをセット。恐る恐る再生ボタンを押し込むと、スピーカーのちいさな穴のひとつひとつからちぎれるほどの鳴き声が耳に飛び込んできた。

うあーーっ、ううっ、うぎゃーーーーー!!

豆電球がぴかりと光っては消えるように、その獣のような声も膨らんだりしぼんだりを繰り返す。ニンゲン、と呼ぶにはまだ早すぎる、収穫まえの青い果物のようなすっぱい感じの音。深い海からやっと顔を出し、大きく息を吸い込むみたいな生命のひたむきさを感じて、なんとも言いがたい気持ちに胸がつぶれそうになる。これはまぎれもなく、25年前の生まれた瞬間のわたしの声なのだ。1分27秒の短くも永遠のような時間。気がつけばわたしは耳たぶを熱くしながらぼたぼたと泣きまくっていた。

よくよく耳を澄ませてみると、うぶ声のほかにもさまざまな音が聞こえてくる。部屋の空気の揺れる音、遠くで助産師さんが「2944gですよー」と呼びかける声、その場にいる何人かのわっとほころぶような柔らかな笑い声。母の声こそテープには入っていなかったものの、わたしという小さなかたまりが確かにこの世界に産み落とされ、ようこそ、と迎え入れられているようなあたたかさがある。まばゆい、とはきっとこのような瞬間のことをいうのだろう。

日々を生きていると、つい“生きている“ということを忘れそうになる。
流されるようにひたすら忙しなく目の前のことを消化し続けるしかない時、永遠にベルトコンベアに乗せられているような淡々とした時、泥みたいな気持ちをずっとぶら下げている時。自分という容器が空っぽになって、いのちの実感が湧かない瞬間が大人になってから何度かある。一度立ち止まった心はなかなか動いてくれず、そのたびにどうしようもない絶望につつまれるのだ。

このうぶ声テープはそんな忘れてしまいがちな“生きている“という心地を瞬時に思い起こさせてくれる。古くなった電池を取り替えるみたいに、心もまたパッと明るく灯りだす。この先もきっとこの声に救われていくんだろう。大切に取っておいてくれた母に感謝だ。

ときを越えて出会えたあの日の声。うっかり大きな抱擁をもらったような11月の午後だった。

ひとこと
2025年さいごの「ひとりがたり」でした。
みなさまお付き合いいただきありがとうございました!
どんな一年でしたか、
わたし的2025年いちばんのニュースは、
The Cureのロバート・スミスさまからサイン入りのレコードが送られてきたことでした。
生きていればいいことがあります。
来年もよい年にしましょう★彡

上白石的テーマソング:産声/高木正勝

(偶然にも、わたしの産声テープと全く同じ尺でびっくりしました😳)

プロフィール

うぶ声/文・上白石萌歌

上白石萌歌

かみしらいし・もか|2000年生まれ。鹿児島県出身。2011年、第7回「東宝シンデレラ」オーディショングランプリを受賞。12歳でドラマ『分身』(12/WOWOW)にて俳優デビュー。ミュージカル『赤毛のアン』(16)では最年少で主人公を演じた。映画『羊と鋼の森』(18/東宝)で第42回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。主な出演作にドラマ『義母と娘のブルース』(18/TBS)、『教場Ⅱ』(21/フジテレビ)、『警視庁アウトサイダー』(23/テレビ朝日)、『ペンディングトレイン-8時23分、明日 君と』(23/TBS)、『パリピ孔明』(23/フジテレビ)、『滅相も無い』(24/MBS)、映画「366日」(25/松竹)、「イグナイト –法の無法者–」(25/TBS)」など。映画『トリツカレ男』と『ロマンティック・キラー』が現在公開中。adieu名義で歌手活動も行う。

Instagram
https://www.instagram.com/moka____k/

X
https://twitter.com/moka_____k