カルチャー

二十歳のとき、何をしていたか?/山㟢廣和

2025年6月11日

photo: Takeshi Abe
text: Neo Iida
2025年7月 939号初出

音楽のある空間の一員でいたい。
原宿のショップ店員をしながら、
ライブと内装の仕事に明け暮れた日々。

レンタルビデオ店の〝フジちゃん〟が
 教えてくれたBOØWY。

 toeの山㟢廣和さんは、珍しい職歴を持つアーティストだ。バンドのフロントマンでありながら、ほとんど同じ年月、インテリアデザイナーとして内装の仕事を請け負ってきたのだ。そう聞くと、勝手ながら本業は音楽で、副業として内装業をやっているのかなと思ってしまうけれど、山㟢さんは首を横に振る。

「バンドは生活できるほどのお金にはならないんですよ。仕事という感じは今もないですね。かといって本業、副業と区別する意識もあまりないです」

 バンドメンバーがそれぞれ仕事を持ち、音楽を生活の糧にしないというのがtoeの在り方だ。音楽業界のなかでも稀有なポジションに立ちながら、屈指のインストバンドとして活動を続けてきた。結成は2000年。そこに至るまで、山㟢さんはどんな人生を歩んできたのだろう。

「小学校の頃は、どちらかといえば絵を描いたり、漫画を読んだりするのが好きなほう。でも子供らしい子供に憧れてました。みんな騒いでるのを斜めに見ながら、自分もそういうふうにやれたらいいなって。外で遊ぶのも、コミュニティから外れないよう義務感から参加してた気がします」

 生まれ育ったのは横浜市の日吉。どちらかといえば川崎市に近いベッドタウンで、慶應義塾大学や日本大学の校舎がある学生街でもある。すこし大人びていた山㟢少年の世界は、小学校5年生の頃にとある場所を見つけたことで、ぐんと広がった。

「近所にレンタルビデオ屋さんができたんです。個人でやってる店で、映画が好きだったので学校が終わったあとにひとりで入り浸るようになって。よく行くからか、そこのバイトの〝フジちゃん〟っていう兄ちゃんが俺のことを面白がって、『BOØWYのこれを「You&I」で借りてこい』とか『「GiGS」っていう限定レコードが出るからあそこに並んでこい』とか指令を受けたりして。そういうことで世の中に『バンド』っていうのがあると初めて身近に実感して。その当時、フジちゃんは多分まだ二十歳にもなってないくらいだったのかな、休みの日にバイクで横浜の『ビブレ』に連れていってくれたりして。今考えるとすごい面倒見のいい若者で。インターネットもないなか、テレビとは違う情報を知れた、自分にとっては特別な場所でしたね」

 フジちゃんに音楽やファッションのことを教えてもらい、『パチパチ』や『ロードショー』を読んでカルチャーにものめり込んだ。同世代の友人たちとは趣味嗜好が違うのかなと感じ始め、中学になると東横線で東京に出かけるように。中目黒から渋谷までを歩き、安い店を探して服を買った。

「特別ファッションが好きってわけじゃないんですけど、あの頃は流行が1年くらいでどんどん切り替わってたんです。『トップガン』のフライトジャケット、モックン(本木雅弘)がはいてたみたいなおでこ靴、ガンズ・アンド・ローゼズ風味、みたいな。紺ブレが流行ったとき自分はパンテラ風で、軍パンを短パンに切って、パンツがガッチリ見えるくらいの腰ばき。だから一時期はアメカジと紺ブレとパンテラが日吉のマックの2階にいる感じでしたよ」

 フジちゃんの影響でロックの存在を知り、中学2年生からコピーバンドも始めた。

「ホテイのシグニチャーモデルギターは高くて買えないんで、同じ〈フェルナンデス〉の廉価版の黒いテレキャスターを買ったんです。全然弾けないけど、『あいつギター持ってるよ!』っていう話だけは学校内では流布されていて。それを聞きつけた1個上の先輩が『うちのバンドでギター弾いて』と言ってきて。それで彼らが演奏したい曲のタブ譜をもらって練習してました。聖飢魔ⅡとかアースシェイカーとかX(現X JAPAN)とか。でも、将来音楽やりたいなんて思ってなかったなあ」

 絵を描くのはずっと好きだったから、高校で進路を考えたときにグラフィックデザインの仕事をしようと考えた。美術予備校に通って美大を受けたがすべて不合格。原宿にあるデザインの専門学校に入学する。

「クリエイティブな、自分が考えた作品が作れると思ってたんですけど、やっぱり専門学校って、仕事に直結する技術を学ぶ場所なんです。これは自分のやりたいことではないなと思って1年くらいで辞めました」


AT THE AGE OF 20


『XLARGE』に入る直前、専門学校に通っていた頃の山㟢さん。「どうしてこの写真を撮ったのかは思い出せない……」とのことで、おそらくラフな日常の写真。Tシャツにジーンズに金髪の山㟢さん、なんだか新鮮だ。当時通っていた専門学校での毎日はというと、「当時はコンピューターが導入される前だったので、写植の本をコピーして文字を切って、デザインしてグラフィックを作るわけです。これが俺のやりたい仕事かなあなんて疑問に思ってました」

 昼は『XLARGE』の店員、
 夜はライブハウスに通う日々。

 やることがなくなり、バイトをしなくてはと思ったときに、高校時代に知り合った友達のツテで、『XLARGE』のショップ店員のバイトを紹介してもらった。アダム・シルヴァーマンがカリフォルニアで立ち上げたファッションブランドで、1992年に原宿のキャットストリート裏に直営店がオープンし、すでに人気を博していた。

「のちの上司と原宿の喫茶店で話して、『来週から来ない?』って言われて、それで決まり。普通に週5日とか店に立ってました。仕事が終わると毎晩ライブハウスに行くんですよね。自分もバンドをやってたんで、関係者ヅラして裏から入ってダラダラして。知り合いもどんどん増えて、買い物のついでに寄ってくれて、話して帰っていく。それで交友関係が広がったと思います」

 当時はどんな音楽をやっていたんだろう。

「中学高校までは海外のエクストリームミュージックみたいな音楽ばっかり聴いていて、日本のライブシーンを全然知らなかったんですけど、地元の友達が詳しくて、その彼がニューキー・パイクスのCDをカセットにコピーしてくれたんですよ。それでシェルターに見に行ったら衝撃的にカッコよくて。自分もこんなバンドやりたいなあと思って始めた感じですね」

 昼は『XLARGE』、夜はライブハウスで過ごす。この頃が、ちょうど二十歳だった。

「音楽をやりたいというよりは、ライブハウスで好きなバンドが演奏している、あの空間の一員になりたかったんだと思います。そのためにはバンドを組まなきゃいけないと思ってたし、やってるうちにバンドが自分の表現の手段になっていったというか」

 同時期に内装の仕事も始めた。’90 年代は音楽とファッションが密接に結びついていた。山㟢さんの周りでも先輩がショップを始めることになり、店の内装工事の予定があると聞いて興味を持った。

「父方の親戚が木工屋で高校生のときに手伝ったりしてたからなんとなく興味があったんですよね。現場を見に行って、親方に『暇なら手伝えば』って言われて、バイト終わったあとに夜中に現場に行って。眠くてバイト休んだりして。結局、イケてるところで働きたいだけで洋服に興味があるわけじゃないし、新しくやりたいことがあったらそっちのほうがいいかなと思って、知り合った親方にお世話になることに」

 二十歳の頃を振り返ってみて、そこにはどんな自分が映るのだろうか。

「物心がついたのがつい最近なんで(笑)。二十歳の頃なんて、何も考えてなかったです。ただ、なんとなく『自分の考えるイケてる界隈』に加わりたかっただけのような。すべてにエンジョイしているわけじゃなくて、とにかく音楽とか内装とか、自分がやりたいことをただただひたすらやっていた。周りに置いていかれないように必死で。そんな頃だったと思いますね」

プロフィール

山㟢廣和

やまざき・ひろかず|神奈川県生まれ。中学時代からバンド活動を始める。2000年にtoeを結成。10月25日に結成25周年記念特別公演『For You, Someone Like Me』を両国国技館で開催。

Official Website
https://www.toe.st/25th/

Instagram
https://www.instagram.com/toe_music_official/


二十歳のとき、何をしていたか?/山㟢廣和

toe 25th ANNIVERSARY LIVE 結成25周年記念特別公演 "For You, Someone Like Me"

会期:2025年10月25日(土)
場所:東京都 両国国技館
チケット(全席指定席・税込):アリーナ 指定席 : ¥9,800(売り切れ)、枡席・指定席 : ¥9,800(売り切れ)、2F 指定席 : ¥8,800
※枚数制限 :アリーナ指定席/2F指定席は4枚まで 枡席/指定席は2枚まで
※電子チケットのみ
※未就学児入場不可、小学生以上チケット必要
チケットぴあ
https://w.pia.jp/t/toe25th/
ローソンチケット
https://l-tike.com/toe/
イープラス
https://eplus.jp/toe/

取材メモ

撮影場所は、山㟢さんがバイト時代によく弁当を買いに行っていた『チャオバンブー』の周辺。そしてキャットストリートの1本裏の道にある、今はなき『XLARGE』の店舗前。今は美容院になったが、地面の格子柄のタイルが面影を残している。「この裏の階段のところでタバコ吸って、よく休憩してました。懐かしいなあ」。夜はライブ通いで忙しく、お店のカウンターで堂々と寝ていて社長が目の前に来て「寝ないでね」とチクッとされたこともあるそう。青春の日々!