カルチャー

おうち探しと写真

文・村上由鶴

2024年3月31日

おうち探しをしています。

毎日、毎日、新着物件を調べては、ここはちょっと駅から遠いなとか、できれば2階以上が安心かなとか、間取り図を見てこれは使いにくいかも…とか、考えるわけですが、そこでやはり大きな判断材料になってくるのが写真です。わたしたちはおうち探しのとき、写真に依存せざるを得ません。

けれども、おうち探しの写真には、罠が仕掛けられていることも少なくありません。 

わざと露出を高くして、全体にちょっと白飛び気味の写真にすることによって、部屋をきれいっぽく、若干今どきの部屋っぽく、日当たりがいいっぽく見せようとするような写真、あるいは、その物件の欠点だと思われる部分についてはあえて写真を掲載しないとか、実際は狭めの物件なのに広角カメラを使って撮影し、とても広い部屋かのように見せる写真、そして「※同タイプの別の部屋の写真です」という参考になるような、ならないような注釈が入れてある写真…といった「ごまかしおうち写真」の罠にはまった覚えがある人も多いはずです。

こういう写真に騙されないように注意深く物件検索をしていても、家の良さと写真の良さが混同してしまうことは、写真を判断材料にしている以上、仕方のないことです。

加えて、最終的に実際に内見に行って判断するタイミングになってから、「写真と違った」と感じることは少なくありません。これは、わたしたちが、物件探しサイトで見た写真などによって、頭の中に家を建ててしまっているので、その「おうち像」と実際に見た「おうち」が異なるという経験と言えます。だからこそ、写真がとっても素敵であっても実際の物件には期待しすぎないように気をつけたり、適度な諦めを抱きながらおうち探しをすることになります(引越時期が決まっていれば特に)。

ですから「おうち探し写真」に求められるのは、うますぎず、へたすぎない、わたしたちを期待させすぎない、絶妙な塩梅の写真です。明るすぎず、暗すぎず、広角すぎず、寄りすぎないのが大事です。

ところで、商業写真のジャンルのひとつである「建築写真」は、建築物の内装や外観を撮影するという点では共通しています。

建築写真というのは、例えば、建築雑誌や、『Casa BRUTUS』のような雑誌に載っている、プロフェッショナルな建築写真家による建物の内外の写真です。建築写真が他の商業的な写真と大きく異なるところとしては、建築物自体には人物や、静物のようにポーズや置き方などで演出を加えることが難しいこと、光源が限定されているということ、そして何より被写体がデカいということがあげられます。だからこそ、建築写真は高度な技術が要求され、プロの技が特に光るジャンルです。建築写真家は特別なレンズや、背の高い三脚を使用したり、太陽光を見極めたり、撮影後には繊細なレタッチも行います。そうして、画面に対して、柱や壁などの縦の線がきっちりと垂直に統一されながらも、その建築物の奥行が丁寧に表現された建築写真が出来上がるのです。

しかしながら、もし、このような方法で撮影された写真がおうち探し用のウェブサイトや、物件のチラシに掲載されていることを想像してみると、それらは、むしろ信用ならない写真としてわたしたちには感じられるのではないでしょうか。丁寧に撮られた写真のおかげで「まあ素敵なおうち!」と一瞬思っても、もしそこに住むとなれば、「本当の姿」が写っている写真も探しておこう、となるわけです。そうしないと、「写真と違った」と感じてしまうような内見を経験することになってしまうかもしれないのですから。

つまり、おうち探しのための写真と、建築写真は、同じものを撮影しているのであっても必要とされる技術にもその見た目にも大きな違いがあります。そして、おうち探しの写真にフィットするのは「素人的写真のプロ」である不動産屋さんが撮影したわたしたちを期待させすぎない写真。色気や味みたいなものをいっさい出さない写真というのも、実際に撮影するとなればなかなかに難しいですが、おうち探しの写真の場合はそういう写真こそが求められます。

同じ「建物」を写真に撮るときにも、それを美しく整えて見せてはいけない場合と、超絶高度な技術を使って実物以上に美しく見せる場合がある。いわば、前者の「おうち探しのための写真」は、その利用者たちに最も厳しく観察される写真であるがゆえに、「演出」や写真家的「表現」が許されない、超ストイックな写真の領域とも考えられる・・・かもしれません!ではまた!

プロフィール

村上由鶴

むらかみ・ゆづ|1991年、埼玉県出身。写真研究、アート・ライティング。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学。光文社新書『アートとフェミニズムは誰のもの?』(2023年8月)、The Fashion Post 連載「きょうのイメージ文化論」、幻冬舎Plus「現代アートは本当にわからないのか?」ほか、雑誌やウェブ媒体等に寄稿。