カルチャー
中平卓馬の言葉のフィルター
文・村上由鶴
2024年2月29日
text: Yuzu Murakami
中平卓馬の展覧会「中平卓馬 火―氾濫」に行ってきました。
中平卓馬は、日本で写真家を志したり写真について文章を書いたりしていると避けて通れない人物のひとり。海外にもファンや研究者がいるような日本の写真芸術を代表する写真家であり、写真評論家でした。
いま、わたしは日本の「写真芸術」を代表すると言いましたが、実は中平卓馬は芸術としての写真ではなく、はたまた報道写真でもない、いわば「写真でしかない写真」のような、ちょっと修行のような写真道を追求した人でもありました。
その思考は「思想のための挑発的資料」としての写真雑誌『PROVOKE』や、その後の著作『なぜ、植物図鑑か』(1973年)、雑誌に寄稿された数々の評論などで示されて、いまだに日本の写真界にはこの人の言霊がさまよっている感じがします。
中平は初期の「アレ・ブレ・ボケ」期と、その後の「植物図鑑」の宣言、そして急性アルコール中毒で昏睡して、その後、記憶喪失になった…という劇的なエピソードも有名。自身は2015年に亡くなっています。「ハレ」を撮り続けた篠山紀信とは異なり、ちょっとアングラちっくな「ケ」のなかで地を這うような写真家像を全うしようとしていた人と言えるでしょうか。
そして、その写真家像が、特に男性の(なかでも一定以上の年齢の方から)、崇拝と言ってもよいほどに尊敬され、今も業界全体からなんだか一目置かれている感じがあります。
展示を見にきている鑑賞者も、わたしが展覧会に行ったときには男性が8割以上という感じ。正直なところ、驚きはありませんが(思い返せば女性の写真関係の知人と中平について話したことってあんまりないので)、中平卓馬という存在のカリスマ的人気の衰えなさを強く感じ、そしてこの場を借りて白状しようと思いました。
わたし、ずっと中平卓馬の写真がわかりません。
1960年代に評価された、それまでの写真の常識を覆すようなざらざらと荒れていて、ブレブレでボケボケのモノクロ写真も、わたしが初めて中平の写真を見たときには、もはや新鮮味はなかったし、記憶喪失後の「植物図鑑」宣言後のカラーの縦写真を見ても、「で?」となって関心が持てない。良さがよくわからないけど、でもそんなことを言うと「中平がわからない人間は写真を語るなよ」という声が聞こえてきそうな気がしてくるくらいに、中平卓馬は、写真界で大切にされてきていて、中平についてのテキストも数えきれないほどたくさん書かれています。
おそらく、わたしが中平の写真に新鮮味を感じなかったのは、「アレ・ブレ・ボケ」というスタイルが、ひとつのスタイルとして「流行」になり、それを多くの写真家たちが真似したのをすでに目にしまくっていたから。つまり、真似したくなるくらい中平はかっこよいものとして受け入れられていたわけで、今回の展覧会を見るのは、中平に思いを馳せる、というよりもむしろ、そういう人たちの心情をおもんばかる時間でした。
他方で面白かったのは、やはり中平の言葉の数々です。
中平は編集者だったこともあり、写真評論や世相を評するものなど、彼自身がたくさんの言葉を残しています。
「来るべき言葉」とか「たしからしさの世界」といったフレーズは、それ自体がカリスマ的な魅力があり、テキストにも言葉遊びの楽しさと、彼のオリジナルな感性が爆発する飛躍があります。
例えば、今回の展覧会の序盤には彼のこんな言葉があります。
「ぼくたち写真家にできることは、既にある言葉ではとうてい把えることのできない現実の断片を、自からの眼で捕獲してゆくことでなければならない」
彼の、この写真家としてのマニフェストはバシッと決まっています。
そして、この言葉は中平の写真を本当に「既にある言葉ではとうてい把えることのできない現実の断片」であるかのように演出し、その光景を、なんだかたちまちロマンティックな、見逃してはいけなかった大切なものである気にさせてくる。
実際、わたしもいろいろな展覧会を拝見して、写真家に完敗した!と思うのは、私の中に既にある言葉では表現できないものだ、と思わせてくれる写真に出会ったとき。なので、中平のこのマニフェストにも賛同しますし、不穏で、世界をちょっと意地悪く見つめるその視線を感じさせる中平の写真は、実際、そういう写真でもあると思います。
とは言いつつも、やはり中平の展覧会に行って思ったのは、どうしても中平卓馬の言葉のフィルターが強すぎる…!ということでした。彼の言葉によって、写真がある種の聖なるものになっているような感じさえ受けます。そうすると、「アレ・ブレ・ボケ」は、かなり周到かつ意図的に、詩的な感触を写真に与えるための手立てだった、ということにも気がつきます。
しかし、その後、『なぜ、植物図鑑か』では、
「私による世界の人間化、情緒化をまず排斥してかからなければならない」
と言って、自らで演出してきた情緒を完全に否定します。
で、その後にとられた「植物図鑑」的(なのかどうかは結局わからない)カラーの縦写真たちは、確かに彼のモノクロ写真よりは情緒がない…ようにも思えるけれども、実際には植物図鑑というほど客観性があるわけではありません。決まったレンズを使って淡々と撮っているようですが、見ている私は昏睡と記憶喪失というエピソードがこれまたフィルターのように一枚上に乗っかって、なにか写真自体を見ることができているような気がしません。
写真家としての強い自己否定をはじめ、中平はなんだかずっと反省している人で、常に問題を指摘してはそれを自分の身に置いて考えているようで、そこはちょっとかわいくも思えます。が、私自身は展覧会を最後まで見てもこの人の言葉やエピソードにだいぶ惑わされていることが気になってしまい、中平への憧れが創り出す殿堂に迷い込んだようでした。
展覧会自体は、写真を額縁にいれてお行儀よくさせるのではなくて、展示方法によって中平の写真がどういう媒体で、あるいはどういう媒体に、どのように存在してきたかをしっかり示そうという意図を感じ、これには見応えがあります。展覧会は2024年4月7日までとのことです。
ではまた!
プロフィール
村上由鶴
むらかみ・ゆづ|1991年、埼玉県出身。写真研究、アート・ライティング。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学。光文社新書『アートとフェミニズムは誰のもの?』(2023年8月)、The Fashion Post 連載「きょうのイメージ文化論」、幻冬舎Plus「現代アートは本当にわからないのか?」ほか、雑誌やウェブ媒体等に寄稿。
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