カルチャー
月曜日は批評の日! – 映画編 –
2023年3月27日
illustration: Nanook
text: Washitani Hana
edit: Keisuke Kagiwada
毎週月曜、週ごとに新しい小説や映画、写真集や美術展などの批評を掲載する「クリティカルヒット・パレード」。3月の4週目は、映画研究者の鷲谷花さんによる、3月31日公開の映画『生きる LIVING』のレビューをお届け!
黒澤明監督『生きる』の冒頭場面で、画面外のナレーターが「この物語の主人公」と紹介する市役所の市民課課長渡辺勘治(志村喬)は、デスク周りに山と積まれた書類にひたすら判をつくだけの作業を続けている。ナレーターは、この男がここ20年間「死骸同然」であることを告げ、「その前は少しは生きていた。少しは仕事をしようとしたこともある」という。デスクの引き出しにしまい込まれた、渡辺が「生きていた」過去の名残の古い提案書の表紙には、「昭和五年」と、満洲事変の前年の日付が記されている。
渡辺勘治が、昭和6年(1931年)頃から、『生きる』公開年にあたる昭和27年(1952年)までの約20年間、他には何も生み出さない書類仕事に忙殺されるばかりの「死骸同然」の状態に陥ったのは、20年ほど前に妻に先立たれた後、男手ひとつで一人息子を育ててきたという家庭の事情のためだったのか、あるいは満洲事変から日中戦争を経て、太平洋戦争に至る総力戦体制の時代に、公務員としての自発性を圧殺されてきた結果なのか、直接説明されることはない。いずれにしても、公務員が第一に奉仕すべき対象が、大日本帝国政府から連合国軍総司令部へと移り替わる統治権力だった戦時期から占領期にかけての時代を、「死骸同然」に過ごしてきた渡辺は、末期がんによる死を目前にした間一髪のタイミングで、公務員が市民の要求に応えるために力を尽くす「民主主義」の可能性の到来に間に合う。
主人公が重病の映画の多くが、まず主人公の闘病を支えるプライベートな愛情や人情の絆を描こうとするのに対し、『生きる』の主人公は、そういったプライベートな人間関係由来の救いとは終始無縁である。渡辺は、市役所の部下だった小田切とよ(小田切みき)の若々しい生気に惹かれてまとわりつき、とよに自分の死期が近いことを打ち明け、子どもの頃に池で溺れかけた時と同じ絶望の中にいることを訴える。「息子さんは?」と問うとよに、渡辺は、かつて溺れかけたときに自分の父母がそうだったのと同様に、「どこか遠いところにいる。思い出すだけでかえってつらい」と答える。
『生きる』は、家族や友人、あるいは職場や地域のコミュニティなどの、情の繋がりのある人間関係から慰めや救いを得る望みを厳しく断ち切ったうえで、渡辺が公務員としての「公助」の実践を通じて、充実した生への手がかりをつかむプロセスを物語る。渡辺に縋りつかれて困惑したとよが、その場から逃れたい一心で口にした「課長さんも何か作ってみたら?」の一言に啓示を得た渡辺は、長期欠勤していた職場に戻り、地域の子どもたちの健康と安全を脅していると陳情の寄せられていた不潔な汚水溜まりを埋め立て、新しい公園を建設する事業の実現に向けて奔走を始める。この時、渡辺は、欠勤中に溜まった未決書類の山の、たまたま一番上にあった地域の主婦たちの陳情書を手に取り、その内容の実現のために動き出す。主人公が、自分で選別したわけではない市民の要求の実現に邁進し、そのことで、独りきりで池で溺れかけていた幼い日と同じ絶望の中から、自分自身を救い出す『生きる』の後半の展開においては、「人情」に頼らず「公助」に徹する志向が際立つ。
『生きる』の舞台を1953年のロンドンに移し替えつつ、概ね忠実にオリジナルのストーリーを再現するリメイク版『生きる LIVING』は、一点、主人公が「人情」の絆によっては救われないことを示す池で溺れかけた幼い日の絶望の記憶を割愛する、決定的な改変を加えている。したがって、『生きる LIVING』の主人公ミスター・ウィリアムズ(ビル・ナイ)は、渡辺勘治ほどには「人情」の温もりから隔絶することはない。縋りつこうとする渡辺を個人的にケアすることはきっぱりと拒絶し、葬儀にも現れないオリジナル版のとよに対し、リメイク版のミス・ハリス(エイミー・ルー・ウッド)は、ウィリアムズが末期がんであることを告げられた際に同情の涙を流し、葬儀にも参列する。オリジナルの渡辺の息子光男(金子信雄)の冷淡さに対し、リメイク版の息子(バーニー・フィッシュウィック)は、父の重病に気づかなかったことを悔い、その死を悲しむ情愛をかいま見せる。そして、ミス・ハリスとの対話から啓示を得て職場に復帰したウィリアムズは、「ご婦人たちの陳情書」を指定して、汚水溜まりの埋め立てと公園建設の事業に着手する。つまりリメイク版の主人公は、未決書類の山の一番上にあった陳情書を偶然手に取るのではなく、汚水溜まり埋め立ての陳情に訪れては、市役所内を虚しくたらい回しにされていた女性たちのグループへの同情から、彼女たちの陳情書を選び取るのであり、この場合の「公助」は「人情」と絡まり合う。
オリジナル版の、本格的に「戦後民主主義」の社会が始まろうというタイミングに死期を迎えた公務員が、間一髪で「公助」の実践に間に合い、新たに市民としての権利を主張するようになった女性たちの要求を実現する、という物語は、サンフランシスコ講和条約発効の年でもある1952年の秋に公開されたという歴史性と不可分だった。それに対して、リメイク版『生きる LIVING』の固有の歴史性は、過去の英国社会における公務員の特定のタイプの再現に宿っているようだ。生活と仕事のルーティンを厳格に守り、感情を表に出すことを抑制し、苦しいときも周囲に寄りかからずに自助を貫こうとする。リメイク版のウィリアムズの孤独と苦しみは、「1953年に定年に差し掛かろうとしているロンドンの公務員」としてのパーソナリティに依るところが大きく、彼にとっての公園建設は、抑制してきた情動を解放する機会ともなる。そうした機微を、ビル・ナイは、乏しい表情と口数ながら、迫真の説得力をもって演じる。
オリジナル版の主人公は、基本的には若い世代に突き放されるばかりだったが、『生きる LIVING』の主人公は、若い世代の人びとによって、より親身な情をもって見送られる。1950年代に福祉国家としての英国を築きあげたのは、ミスター・ウィリアムズのような人びとであり、その福祉国家の発展の希望が遠のいた現在の視点からは、ウィリアムズの作り上げた公園は、深いノスタルジアをもって振り返られる。最後に公園を見つめるウィリアムズの新米の部下と若い警官の視線は、そうしたノスタルジアを媒介するものでもあり、それゆえにオリジナル版とは異なる独自の情緒を帯びる。
オリジナル版『生きる』は、「民主的な公助」の可能性を、物語の発端における自分と同様に、生きているのか死んでいるのか定かではない状態から解放し、そのことで自分自身をも絶望から救い出す主人公の物語を通じて、これから始まる「民主主義の社会」の不確かな未来に向き合おうとした。リメイク版『生きる LIVING』は、かつてあった福祉国家としての英国を築きあげた公務員と、その営みを支えたコミュニティの絆を、ノスタルジアを込めて振りかえる。いずれにしても、個人個人の生老病死をめぐる情動ばかりではなく、人がその時その場の社会において生き、かつ社会の制度機構を生かして動かす可能性についての物語が語られる。そこに、70年前に語りはじめられたこの物語が、時代と国境を超えて、今なお切実に生きつづける理由もあるのではないか。
レビュアー
鷲谷花
わしたに・はな | 1974年、東京都生まれ。専門は映画研究、日本映像文化史。近著に『姫とホモ・ソーシャルーー半信半疑のフェミニズム映画批評』。その他の著書に『淡島千景ーー女優というプリズム』(共著、青弓社)、訳書にジル・ルポール『ワンダーウーマンの秘密の歴史』(青土社)がある。
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