カルチャー
月曜日は批評の日! – 小説編 –
2023年3月6日
illustration: Nanook
text: Kohei Aoki
edit: Keisuke Kagiwada
毎週月曜、週ごとに新しい小説や映画、写真集や美術展などの批評を掲載する「クリティカルヒット・パレード」。3月の1週目は、アメリカ文学を研究する青木耕平さんによる、閻連科著『四書』のレビューをお届け!
現代中国最大の問題作家、閻連科。彼は『愉楽』で現代中国の資本主義化を徹底的に戯画化しコケにし、『人民に奉仕する』でタブーを破り文化大革命を風刺し、『丁庄の夢』で売血によるエイズ蔓延事件を暴いて晒した。その過激さゆえ、彼の作品の多くは中国国内で発禁処分を受けている。ただし、これらの作品でさえ当初は国内の雑誌に掲載され、書籍として刊行され一時は流通していた。しかし、本書『四書』はそうではない。中国国内の全ての出版社が『四書』の刊行を拒否したのだ。本作で描かれるのは、1959年からの3年間で数千万人の餓死者を出し、史上最悪の人為的災害とも言われる、中国史タブー中のタブー、「大飢饉」である。
この地上の地獄は、四つの書物──「天の子」、「旧河道」、「罪人録」、「新シーシュポスの神話」──によって多角的に描かれる。この構成と、そしてタイトルにすでに仕掛けがある。中国文化圏において「四書」といえば『論語』、『大学』、『中庸』、『孟子』の四つの儒教の基礎書物を指すが、本作はここに「四つの福音書」(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書)も重ねられる。
最初に読者に提示される「天の子」は、寓話性の高い作者不詳の書物である。四大福音書におけるイエス・キリストは「天から遣わされた神のこども」であったが、「天の子」の中心にいるのは、「中央政府から遣わされたお上のこども」である:
こどもが足を大地に支えられて帰ってきた。更生区の門はわずかに開いていた。こどもがホイッスルを吹き、荒野に響き渡るや、人びとが残らず集まってきた……「俺は町に行ってきた」とこどもが言った。「お上から言われたとおり、お前らに告げる。もし逃げたら、賞状のほかに本物の銃弾もお見舞いしてやる」(「天の子」)
福音書においてイエスのもとに自発的に集った使徒たちは何も持たぬ平民であったが、『四書』においてこどもの下に強制的に集められたのは、毛沢東の「大躍進」政策によって地位を追われた知識人たちである。本書の登場人物たちに固有名はない。彼/女らは、「作家」、「宗教」、「学者」、「実験」、「音楽」と記号的に名指され、九十九区と呼ばれる更生区に送られ、過酷な集団作業に従事する。
知識人たちが持っていた書籍は全て没収される。『ファウスト』が、『神曲』が、『罪と罰』が焼かれる。そんななか、「作家」にこどもは秘密裏にペンと紙を与え、仲間たちを監視するよう指示する──「本を書いていいぞ。お前の願いが叶えられることになった……すごいのを書け。お上がお前に──お前の著作に名前をくれた。『罪人録』だ」。しかし、作家はこどもの目を盗み、与えられた紙とペンで、私的な記録を書き残す。それが本書を構成する二番目の書物、「旧河道」である:
九十九区は本部から最も遠く、一番外れの黄河河畔の一帯にあった……罪人はほかの罪人の逃亡嫌疑を告発すると褒賞として、家族に会うための休暇を一ヶ月もらえることになっていた……だからここでは誰もが、ほかの誰かを告発しようと待ち構えていた。(「旧河道」)
神話さえ想起させる「天の子」の匿名性の高い語りに対し、「旧河道」は「作家」による生々しい一人称の記録文学である。しかし「作家」は、こどもの命令どおり、お上に提出する報告書として「罪人録」も記し、他の知識人たちを監視するだけでなく、密告までおこなう:
若く美しい音楽が畑に行くときにポケットに『椿姫』を忍ばせていることに、私は気づいたのだった。これは娼婦を賛美する、資本主義国フランスの最も反動的な小説である……私は上層部に、音楽のような腐敗した資産階級の態度と行為には特に注意するよう提言するものである。(「罪人録」)
英語圏の書評の多くが本作を「収容所文学」の伝統に位置付け、ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』や、ケストラー『真昼の暗黒』と比べているが、更生と密告という暗いテーマで著者はオーウェル『1984年』のオマージュも忍び込ませている。大飢饉発生後の地獄絵図に武田泰淳『ひかりごけ』や大岡昇平『野火』を思い起こす日本の読者もいるだろう。
大飢饉を生き延びた登場人物が記した哲学エッセイ「新シーシュポスの神話」が、四番目の書物として挿入される。ギリシャ神話において神々を欺いたシーシュポスは、永遠に終わることのない無益な苦役に罰せられる。アルベール・カミュは、その不条理な徒労に人間存在の根源性を見出し、「シーシュポスの神話」を書いた。閻連科は『四書』を創作することで、その文学遺産を継承した。「新シーシュポスの神話」の内実はぜひ読者自身で確かめてもらうとして、作家の創作哲学を引用して本稿を締めたい:
「文学は政治を超越するべきですが、現実を避けるべきではありません……しかし、政治を超越し、現実に向き合うとき、いかにして現実の題材を政治より高め、拡大し、調整して創作ができるか、作家の才能が問われます。生半可な勇気と度胸では足りません」
これは、2010年に台湾で行われた講演での発言であり、『四書』執筆中のものと考えられる。生半可な勇気と度胸で『四書』は書けないぞと、まるで自らに言い聞かせているようにも聞こえる。刊行後、閻連科は『四書』を最も手応えのある自作品であると語り、フランツ・カフカ賞は彼に栄誉を与えた。作家は才能を自らに問い、それを世界に証明してみせた。生半可な勇気と度胸と才能では、『四書』は書けない。『四書』は、生半可な傑作ではない。同時代に生きる読者として、閻連科に心からの敬意を表する。
レビュアー
青木耕平
あおき・こうへい | 1984年生まれ。日本学術振興会特別研究員PD。アメリカ文学研究。著書に『現代アメリカ文学ポップコーン大盛』(共著、書肆侃侃房)。
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