カルチャー

月曜日は批評の日! – 美術展編 –

2023年2月27日

illustration: Nanook
text: Chikei Hara
edit: Keisuke Kagiwada

毎週月曜、週ごとに新しい小説や映画、写真集や美術展などの批評を掲載する「クリティカルヒット・パレード」。2月の4週目は、原ちけいさんによる、赤瀬川原平 写真展 「日常に散らばった芸術の微粒子」のレビューをお届け!

赤瀬川原平 写真展 「日常に散らばった芸術の微粒子」
@ SCAI PIRAMIDE

会期:〜 3月25日(土)
会場:SCAI PIRAMIDE
時間:12:00〜18:00
休み:日、月、火、水、祝日
料金:無料
©️Genpei Akasegawa
Courtesy of SCAI THE BATHHOUSE

 日常のふとした風景がのぞかせる瞬間の奇蹟には、一体どのような発見と創作的な原点が詰まっているのだろうか。理性的な洞察力を持ち、「観察」について考え続けた赤瀬川原平が観た日常の断片を、私たちはどのように再発見することができるだろう。これまで発表されてこなかった赤瀬川の未発表写真を連ねた展示「日常に散らばった芸術の微粒子」がSCAI PIRAMIDE(六本木)で開催されている。

 ゲストキュレーターに資生堂ギャラリー・ディレクターの豊田佳子を迎え開催された本展の展示物は、赤瀬川原平の書斎にある16段の大きな引き出しに眠っていた35ミリのリバーサルフィルムに写る、1985年〜2006年にかけて撮影された約4万点近くに及ぶ未発表写真から選ばれている。今回の出品を選定したのは2014年に逝去された赤瀬川の活動をリアルタイムで触れた最後の世代とされる70、80年代生まれで、赤瀬川との共通項が見出すことができる6名のアーティスト(伊藤存・風間サチコ・鈴木康広・中村裕太・蓮沼執太・毛利悠子)である。

 ネオ・ダダの前衛芸術家、パロディー漫画家、小説家、イラストレーター、写真家、教育者など、数多の顔を持つ赤瀬川の全てを説明することは難しいが、一貫して制度への批判的な眼差しと観察することに主眼を置き続けた人物であると言えよう。中でも美学校の講師をしていた頃に提唱された代表的な作品概念の一つである「超芸術トマソン」は作者も制作意図もない、芸術として作られていないものを美術の制度に組み込まれていない広く普遍的な公共空間から「芸術らしい」ものとして発見することをセオリーにしている。作品そのものの純粋性を問うモダニズム芸術やマルセル・デュシャンを起源とするレディメイド・反芸術によるコンセプチュアルアートの方法論が、美術館や画廊など美術という制度による価値付けがなされ場を批判的に捉え、より純粋な驚きを持ち作者性も介さない存在を見立てることで政治的かつアイロニカルに、芸術とは何かという本質的な問いを投げかける。そうした実践には同時に、日常と芸術を分別しない為に、日々の細やかな事象に目を向ける思慮深い姿勢も伴う。

 赤瀬川の写真には日々目撃しては流れ去ってしまう、なんて事の無いような日常の連続が描写されているが、そこには思慮深い観察力による美的な思考性と日常を慈しむ楽しさにあふれているのが伝わる。道端の塀に忽然と残された波板の断片や道路沿いに突然と現れた機能性を持たない門だったであろう盾構えのトマソン、有機的にケーブルが巻かれている防災スピーカーなどが写されている。また、共に暮らす猫と戯れる風景、赤瀬川の連載などで度々登場した豊島区・東長崎の名が書かれた剥がれそうな表札、巻藁を持った人物の彫刻、海沿いの景色が抜けた観光写真のような写真まで様々である。そうした写真に写るイメージはふとした瞬間にルネ・マグリットのような宙に浮かぶ傘やアルフレッド・シスレーが描く卓上の生物画、アレクサンダー・カルダーのモービルのように有機的なフォルムを成した金属のオブジェ、エルスワース・ケリーが描く重なった2つの円弧のような水道管、関根伸夫の「位相-大地」にも見える丸太の遊具、須田一政のようなアイコニックな目が描かれた眼鏡屋の表札など、様々な美術作品を想起させる雰囲気すら感じさせる。それは単に見た目が似ているというだけでなく、制作の原点であるとも言える日常の風景の中にある些細なひっかかりや創作性を、生活レベルで捉え続けた赤瀬川のひたむきな態度による共鳴だろう。

 赤瀬川や秋山祐徳太子と共に「ライカ同盟」としても活動した写真家の高梨豊は、とある座談会で、「写真は二度見ることと、突然見るということがおもしろいこと」と述べているが(*1)、赤瀬川はつねに、私たちの周りにある普遍的な風景から異形の存在を発見することを通して、このおもしろさを共有可能にしているように思える。

 本展の枠組みにおいても6名のアーティストによって赤瀬川が見た風景が再び発見され、様々な指標から捉え直されている。そうした観衆を巻き込んだ思考の在り方は、ハイレッド・センターで赤瀬川自身が実践した「直接行動」と呼ばれるハプニングやイヴェントに通底する、他者を巻き込んだ芸術と社会の公共的な関わり方に繋がる。赤瀬川が提示する観察という行為と偶然の発見によって見つけられたものからは、楽しさと共に忘れてはいけない意識を再認識させられる。

*1 座談会「いま写真家であること」(高梨豊、中平卓馬、横須賀功光、中原佑介)より抜粋写真・いまここに,美術手帖,(1968),12月号増刊

レビュアー

原ちけい

はら・ちけい | 1998年生まれ。写真、ファッション、アートを中心に、幅広い分野でのリサーチや執筆、キュレーション等を行う。主に携わった展示企画に「遊歩する分人」(MA2 Gallery,東京,2022)、「新しいエコロジーとアート」| HATRA+synflux(東京芸術大学美術館,東京,2022)、「不在の聖母」(KITTE丸の内,東京,2021)など。