カルチャー

写真を「聴く」

Catching Art: 身体でアートを感じるために #8

2026年3月13日

Catching Art


text: Daniel Abbe
edit: Masaru Tatsuki

前回、写真の身体性を写真家の物理的な位置に見出しました。今回はまた写真について話すのですが、この連載の本来のテーマである我々の経験の話をしたいです。

写真をみると、我々はどのように受け止めるのでしょうか? 写真には様々なレベルがあります。例えば、前回取り上げた児玉房子の写真だと「これが1971年の東京ですよね」や「あの看板にカトリーヌ・ジュールダンというフランス人の俳優が現れていますよ〜」などの単純な情報としての見方はできます。写真の「構図」に注目しながら美術作品としても見られます。

今回試みたいのは、写真を「読む」でも「見る」でもなく、写真を「感じる」ことなのです。もっと厳密に言えば、写真から音を感じることができるかという試みです。例としてあげるのが写真家の塩田正幸の作品です。彼の90年代後半から2023年までの作品を収録している写真集『RETINAGAZER』が示されているように、音楽家やライブが彼の一貫したテーマです。

ケの日ヒョウハク/Daily Bleach 1 — NALI【2001-2013】より

「写真から音を感じる」というのはもしかして逆説に聞こえます。「もう無理なんじゃないか」という声はすでに上がっているかもしれません。実は写真とライブは正反対なのです。ライブに比べると、写真の方は即興性がありません。10人の前でも、ギタリストが一度弦を弾けば、その音の響きや聞いている人の表情、身体に現れる反応をすぐ把握し、そのフィードバックを次の音符に即座に反映させることはできます。一方で、写真の場合、シャッターを押す瞬間からプリントが出来上がるまでは編集や印刷、他に無数のプロセスが介入しています。なので、音から写真という「翻訳」はそもそも可能なのでしょか?塩田正幸の作品に、一つの答えが潜んでいると思います。

具体的に言いますと、塩田の写真に二つの音を表現する方法があります。

ケの日ヒョウハク/Daily Bleach 1 — NALI【2001-2013】より

まず、塩田のライブの写真の特徴は、機材への思い入れにあります。珍しいことに、音楽家や観客の表情はほとんど写っていません。代わりに、フォーカスされているのは、ライブのギア、特にケーブルです。しかし彼の機材への関心はメーカーやブランドに対するものではありません。言ってみれば、彼はそのケーブルに動いている電流そのものを写したいのではないかと思います。その電流こそがスピーカーを振動させ、動かされた空気があなたの耳に届くのです。

ケの日ヒョウハク/Daily Bleach 3 — ハテ – hate【2014-2018】より

そして、『RETINAGAZER』に非常にブレた写真も数多くあります。一般的には、ブレた写真を撮ったら失敗と思われがちですが、塩田は明らにそう考えていないです。意図的にブレています。この植物の写真を単発で取り上げると、ただの変な写真として見えるかもしれません。ただ、彼の主題であるライブや音楽家と一緒に並べてみると、そのブレの意味がガラッと変わります。つまり、音楽家や音の機材そのものが見えなくても、「バイブレーション」、すなわち「振動」という概念が力強く伝わってくるのです。この振動は写真家の身体から我々、写真を見るの身体側まで伝達されているのではないか、と思います。そう考えると、我々はこの写真から何かを「聴いている」ような経験もしているかもしれません。

プロフィール

ダニエル・アビー

1984年生まれ。アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。美術史博士(UCLA)。2009年から日本の美術や写真にまつわる執筆・編集・翻訳に携わる。現在、大阪芸術大学 芸術学部 文芸学科の非常勤講師として美術史・写真史を教えている。
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