ライフスタイル

桜を見にゆく/文・上白石萌歌

ひとりがたり Vol.23

2025年6月30日

ひとりがたり


photo & text: Moka Kamishiraishi
illustration: Jun Ando

季節はいつもわたしたちの横をとてつもないスピードで通り抜けてゆく。はたらいて、皿を洗い、洗濯機を回し、夜になったら目をつむってまた朝を迎えることの繰り返しで日々はまわる。目の前のことに一生懸命しがみついて振り落とされないように生きているうちに、あっという間にいくつもの季節が過ぎ去っていることがよくある。

春という季節はとりわけ刹那的だ。毎年桜が咲くたびに心はぱあっと灯るが、雨やら強い春風で一瞬にして花びらが散っていってしまう。満開の桜が葉桜に変わる瞬間、なんとも言えないさびしさに包まれるのは何故なんだろう。春は”過ぎ去る”というより、夏という季節に”さらわれる”感覚に近い。

ふと思った。わたしは季節をちゃんと吸い込むことなく日々をせっせと疾走していてよいのだろうか。せっかく日本という美しい場所に生まれたからには、四季の感触をたしかに味わっていたい。

4月のとある日、わたしは仕事を早めに終え、思い立ってひとりで桜を見るために新宿御苑へと出向いた。新宿御苑は都会に佇むオアシスとして多くの人に愛される場所だが、ちゃんと訪れるのは初めてだった。

さっそく入園チケットを購入し、園内に足を踏み入れる。

なんだここ、まるで異世界だ…。どこまでも続く青々とした草原、子どもたちのおどけてはしゃぐ声、心地よく甘い土の香り。降りそそぐ西日の光もやさしく、呑気にくつろぐような気持ちになる。たった10秒前まで冷たいアスファルトの上を、ビルの連なりの間をせかせかと歩いていたのに。うっかり遠い場所まで旅してきたみたい。

スキップを踏むように軽い足取りで歩き進めると、やわらかい薄桃色が目に飛び込んできた。わー!!桜だ!ついつい子供みたいに駆け出してしまう。桜って、何度見てもはじめて見たような高揚で心が跳ね上がるから不思議。そこにあるだけでどうしてこんなにも気持ちが華やぐのだろう。

風にそよいで羽のように宙を舞う花びらたちは、息を呑むほどうつくしく神々しい。桜の木の下でにこやかに身を寄せ合うひとびとを見ると、そのまますべてを大きな額に入れて部屋に飾りたくなる。

わたしにまた1年という年月が巡ったのだ、と誇らしげな顔で咲く花びらを見上げながら思う。満ち足りていてもそうじゃなくても、幸せでも悲しくても、生きている限り、桜はみんなに等しく咲くのだ。

せっかくなので観光客のみなさんを見習い、ひとりで腕を伸ばして記念写真を撮ってみる。セルフィだとほかのみなさんのようにうまく笑えず、”無”な表情にはなるが、それでも嬉しさがほのかににじんでいるように見えて可笑しい。来年のわたしはどんな顔つきで桜を見上げるんだろうか。日々の奔流に飲まれず、じっくりと自分というものを積み上げてゆきたい。

気づけばあっという間に閉園時間になっていた。園内にいた大勢の人たちとぞろぞろと大きな群れをつくって門の外へと向かう。木々の間から覗きはじめるビルのてっぺん。土からアスファルトへと変わっても、同じように軽やかに歩みを進めよう。すっかり薄桃色に染まった心で、いつもより少し広い空を吸い込んだ。

ひとこと
うんざりするほどの暑さが押し寄せてきました。桜の咲いていた頃にひたすら戻りたい…。ともに乗り越えましょう〜!

上白石的テーマソング:サニーデイ・サービス「春の風」

プロフィール

桜を見にゆく/文・上白石萌歌

上白石萌歌

かみしらいし・もか|2000年生まれ。鹿児島県出身。2011年、第7回「東宝シンデレラ」オーディショングランプリを受賞。12歳でドラマ『分身』(12/WOWOW)にて俳優デビュー。ミュージカル『赤毛のアン』(16)では最年少で主人公を演じた。映画『羊と鋼の森』(18/東宝)で第42回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。主な出演作にドラマ『義母と娘のブルース』(18/TBS)、『教場Ⅱ』(21/フジテレビ)、『警視庁アウトサイダー』(23/テレビ朝日)、『ペンディングトレイン-8時23分、明日 君と』(23/TBS)、『パリピ孔明』(23/フジテレビ)、『滅相も無い』(24/MBS)、映画「366日」(25/松竹)、「イグナイト –法の無法者–」(25/TBS)」など。映画『パリピ孔明 THE MOVIE』全国公開中。adieu名義で歌手活動も行う。

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