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にがい/文・上白石萌歌

ひとりがたり Vol.24

2025年7月30日

ひとりがたり


photo & text: Moka Kamishiraishi
illustration: Jun Ando

最悪な日だった。寝不足で視界はずっとぼやけ、あたまもろくにまわらず、穴があったら入りたいとはこのことだった。ぱちんと指を鳴らしてこの場所からすぐさま消えてしまいたい。穏やかにあたたかいお茶を啜るような時間にタイムリープできたらいいのに。そんな無駄な考えばかりがわたしを占領し、どうしようもなかった。

毎日生きていると、しばしばこんなふうな取り返しのつかない気持ちに襲われることがある。冷静さを失い、どくんどくんと激しく鳴る心臓に胸を潰され、呼吸ができなくなるような感覚。だいたい、寝不足、キャパオーバー、緊張、まわりの人への気の使いすぎが原因だ。そんなふうにして招かれたひとつの失敗がちいさな火種となり、火は徐々にわたしの身体に燃え広がる。気づいた頃にはそれはケダモノのような赤黒い炎となり、ゴゴゴというけたたましい音とともにわたしを焼き尽くすのだ。

その日、わたしはほとんど丸焦げになって家に帰り着いた。ばたんと部屋のドアを閉めた途端に全身の力が抜け、わたしという燃え殻は灰となって玄関いっぱいに散らばる。その場ではなんとか笑顔を貼り付けて乗り切ったものの、ひとりになるとにがい記憶のひとつひとつがわたしを殴ってくる。痛い、痛い、でも涙も出ない。沈んで乾き切った心はすでに地割れしていて、もはや何も感じなかった。

今日という日を、いっそ今日の自分そのものを、まるごと洗い流してしまいたい。いつもより熱めに沸かしたお風呂に浸かると、わたしのにがい気持ちは固形入浴剤のようにシュワシュワとバスタブじゅうに溶け広がった。いつもはあたたかく包み込んでくれるお湯が、なんでこうも優しくないんだろう。今日のわたしへの赦しなんてものは、残念ながらひとつも存在しない。

こんな時は無理に自分を慰めようとしてもムダだ。くるしみの渦の中にいる時は、抜け出そうと必死になってもがいても、余計に心がもつれてしまうとわかってる。今はこの気持ちをこのままとくと味わうがよいだろう。にがいときはにがいままに、舌の上に転がしておこう。日記にぐるぐると心の内を殴り書いて、わたしは泥のように眠った。

朝目覚める。朝の光は暴力的なほどに眩しく、昨日のわたしのやけど跡に沁みてまたズキリと痛む。ひと晩経てば大抵のことは忘れられるのがわたしの長所だが、今回ばかりはそうもいかないようだ。ぱちぱちと3回ほど瞬きをすると、喉の奥から後悔とやるせなさとが混ざって流れ出てきた。ああ、昨日はあんなことがあったんだった。悪夢と願いたいところだが、どうやらそうではないらしい。昨日のわたしのにがい失敗は、時間をかけてじんわりと溶かして受け入れてゆくしか方法はないみたいだ。

わたしを暗い渦へと引きずりこめるのも、光のほうへ導けるのも、どちらもわたしだけだ。なるべくいつも穏やかな光に包まれていたい。けれどそうもいかないのが人生である。自分の心がどんな場所にいようが、わたしはわたしを見失わずに息をしてたい。にがいまま今、そんなことを思う。

ひとこと
最近スイカゲームにハマり、やっと流行に乗れた気がします。いつも世間からワンテンポ遅れを取るのがくやしい。はやくスイカを生成したいです。

上白石的テーマソング:WHIREPOOL/きのこ帝国

プロフィール

にがい/文・上白石萌歌

上白石萌歌

かみしらいし・もか|2000年生まれ。鹿児島県出身。2011年、第7回「東宝シンデレラ」オーディショングランプリを受賞。12歳でドラマ『分身』(12/WOWOW)にて俳優デビュー。ミュージカル『赤毛のアン』(16)では最年少で主人公を演じた。映画『羊と鋼の森』(18/東宝)で第42回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。主な出演作にドラマ『義母と娘のブルース』(18/TBS)、『教場Ⅱ』(21/フジテレビ)、『警視庁アウトサイダー』(23/テレビ朝日)、『ペンディングトレイン-8時23分、明日 君と』(23/TBS)、『パリピ孔明』(23/フジテレビ)、『滅相も無い』(24/MBS)、映画「366日」(25/松竹)、「イグナイト –法の無法者–」(25/TBS)」など。映画『トリツカレ男』が11月7日(金)に、映画『ロマンティック・キラー』が12月12日(金)に公開予定。adieu名義で歌手活動も行う。

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