カルチャー
今月の副読書。Vol.4/坂本湾『BOXBOXBOXBOX』
デビュー作にして芥川賞候補、令和の「工場労働文学」が生まれる上で支えとなった3冊。
「副読書」とは教科書の補助的教材として用いる資料集など、二次的に参考にするための書物のこと。本連載では毎回1冊の本を取り上げ、併せて読みたい「副読書」を著者が自らレコメンド! 理解を深め世界を広げる〈副〉読書のススメ。
今月の本
『BOXBOXBOXBOX』
濃霧の立ち込める宅配所。ベルトコンベアのレーンに流れてくる大小様々な品を仕分けるべく、粛々と作業をする従業員たち。ひょんなきっかけから「テープを引き剝がし、蓋を開けて、覗き込みたい」という禁断の欲望にかられる主人公・安(あん)の思いは次第に暴走してゆき、ついに「箱」が消え始める……。閉鎖的空間で、過酷な単純労働を強いられる4人の人間の姿とそれぞれの「箱」をめぐる物語が描かれる。新時代の「労働」を暴くベルトコンベア・サスペンスとして一躍話題に。(河出書房新社)
どんな作家にもデビュー作がある。「原点」であり、きっとそこには、作家が世に問いたい最初の想いが込められているはずだ。第62回文藝賞を受賞し、芥川賞にもノミネートされた坂本湾さんによるデビュー作『BOXBOXBOXBOX』で描かれるのは宅配便の集積センター。主人公たちはベルトコンベアで運ばれてくる大小様々な「箱」をただひたすら仕分ける。過酷な単純労働の現場を霧が包み、人々の判断能力や現実と虚構の線引きが曖昧になっていく。文学的想像力を巡らせた豊かな表現と、リアルで生々しい“現場”の描写が魅力であるが、本書には坂本さんのバイトでの実体験が反映されているとか。
「中学1年生の途中から学校に通わなくなってしまい、高校も単位制(必要単位の修得で卒業の認定となる仕組み)だったので、いわゆる学校の風景とは無縁でした。時間が余っていたのと自由なお金が欲しかったので、バイトをすることに。初めてか2番目くらいのアルバイトとして経験したのが、宅配所のベルトコンベアで仕分けをする作業でした。その後、漫画喫茶の看板持ちの仕事も2年ほどして、それらは自分にとって労働というものの原風景となりました。その場所のパーツとして、無の時間を消費するためにただ存在するような感覚。体は疲れるのに脳みそは暇、みたいな」
その感覚は社会人として働く中でもより強く感じた。
「大学では演劇の脚本を学び、友人と劇団もやっていたのですが、コロナ禍が重なったタイミングで資金もやる気も尽きて、結局中退して。その後は派遣社員としてテレアポの仕事をしていたのですが、機械的に体と口を動かすだけでとても辛かった。ちゃんと自分の技術があり、能力が発揮できて、それが認められる場ならまた違ったのかな。結局しんどくなってそうではありますけど(笑)」
’99年生まれの坂本さん。小学校時代に東日本大震災、大学時代にコロナ禍が重なっていた。
「社会に対するうんざり感、世紀末生まれの世代観は小説にも反映されているかもしれません。でも、何故こんな時代に生まれちゃったんだ、何故この場所にいるんだ、みたいな気持ちはどの世代にもある感情だと思います。そこを普遍化したくて、登場人物4人の苦しみとして描きましたね」
世の中を覆う、どこか薄暗いムード。自分一人ではどうすることもできない無力感とうんざりする気持ち。作品を包む“霧”は坂本さんが常日頃から感じてきたものかもしれない。文学作品との出合いも、環境が大きく影響していた。
「北海道で生まれ、親の都合で小学生のときに宮古島へ行くことに。けれど方言もよくわからないし、引っ込み思案な性格から周囲に馴染めなかった。その時期によく図書館へ通っていたんです。江戸川乱歩の『少年探偵団』シリーズなどが好きになって、その後『人間椅子』『芋虫』など、ダークな世界観に衝撃を受け、文学へとのめり込みました」
文学を好きになると同時に、ぼんやりと作家になりたい思いも芽生えたという。
「宮古島は田舎なので特にすることもなくて。父の勤め先の事務所のパソコンでいつもウィキペディアを開いては調べ物をしていました。昔の子供が百科事典や図鑑を読み漁る感覚です。気になった箇所をクリックしてどんどん“リンク”していくから楽しくて。図書館やブックオフでは乱読しかできなかったけど、ウィキペディアを使えば、そのジャンルの歴史を体系的に知られる。ノーベル賞のことを見ていたときに知ったのが大江健三郎ですね」
歴史体系への興味。日本の戦後文学を語る上で欠かせない存在、大江健三郎の第1作を手に取ったのは高校生の頃。
「商業デビュー作の『死者の奢り』が含まれた初期短編集です。主人公の虚無的な態度に大人たちが強い怒りを露わにする場面がある。でも一方で主人公はそんな周囲の責任・希望・期待の眼差しにうんざりしている。その感覚がよく理解できて、非常に惹かれました。で、『飼育』やその後の時代に執筆された話を読んでいくと、大江はそんな“子供の自意識”のような感覚から成長していくんですけどね。作品と作者の関係、大江健三郎の人生を丸ごと楽しむように読んでみてほしいです」
副読書①
『死者の奢り・飼育』大江健三郎
ノーベル文学賞受賞作家、大江健三郎による、初期の短編作品集。大学医学部の死体処理室の水槽掃除のアルバイトをする主人公と女子学生、管理人の姿を描いた大江の商業デビュー作「死者の奢り」、戦時中、森の奥の谷間の村に捕らえた黒人兵と主人公を描く「飼育」をはじめ「他人の足」「人間の羊」「不意の唖」「戦いの今日」6編を収録。(新潮社)
『銃』も中村文則のデビュー作だ。内容の面白さはもちろん、文章技法の面でも参考になった部分が大きいとか。
「大変大雑把に説明すると、銃を手にした青年が人を殺すに至るまでが描かれる。これは銃との出合いによって主人公の破壊衝動が刺激された、というわけではなく、銃に人間が屈服する様を描くことで、銃という物体そのものがもつ文脈、歴史、エネルギーが、人間に与える影響を描いているんです。そこが面白いし共感する。モノそのものが人間へと影響を与えているという描き方は『BOX〜』における“箱”の存在といえるかも。そんなテーマ性に加え、中村文則さんが書く会話文にも影響を受けました。“不自然なのにのみ込める”魅力があって。脚本で書く人間の会話とも、小説で書く会話とも、実際の会話とも違う独自性。特に警察官が主人公に銃を持っているか問い詰めるシーンは素晴らしいです。こんなふうに僕も書きたいと思った作品でもあります。僕は小説家の『デビュー作』に惹かれることが多くて。自分がまだ認められていない状態で、数十年を詰め込んで作る最初の作品がどんなものなのか、その初期衝動が興味深いし、共鳴してしまいます。自分の状況に近かったからかもしれません。『BOX〜』を書いた今は、2作目以降の作品に惹かれはじめてもいるのですが(笑)」
副読書②
『銃』中村文則
国内外でも様々な賞を受賞し、『掏摸』『教団X』『列』などで知られる小説家・中村文則によるデビュー作。平凡な大学生として日常を過ごしていた男が偶然から、「銃」を手にすることに。残酷な妄想、孤独、緊張は膨らみ続け、次第に追いつめられていく中、ついに精神に変化をきたして……。『銃』、『銃2020』として映画化もされている。(河出書房新社)
そんな“初期衝動”を込めた本作でデビューし、間もなく文壇から高い評価を受けた坂本さん。これら日本の文壇を支えてきた作家たちと同じ土俵にいきなり立つこととなる。だからこそ、2作目以降の大江が周囲の“期待”や“希望”の眼差しを受け止め、そこから成長したように、人生の長い年月をかけて書き続けていく作家の“労働”の姿に惹かれるのかもしれない。坂本さんは、その目指す先のひとつとして横光利一『機械・春は馬車に乗って』を挙げる。特に「時間」「機械」の2編が気に入っているという。
「『時間』は旅芸人一座の男女12人が宿から夜逃げする物語。その道中のトラブルに見舞われる中で極限状態に陥る。結束したり殴り合いをしたり、集団の恐ろしさと喜びの両面を描くなかで、愛と恐怖とユーモアが詰め込まれている。個人と集団の関係は、自分も作品の中で考えてきたことでもあります。『機械』はネームプレート工場で働く人々の話。閉ざされた空間での人々の関わりが物語の小宇宙を生み出す。主人公は『時間』の登場人物よりもさらに目的意識を失っていて、労働や空間、環境に支配されて主体性を失っていく。より残酷な気がします。でもそんな人の姿に共感する。自分の経験的にも、単純作業に身を投じている最中は必死だし、焦燥感に駆られているんですよね。でも俯瞰してみると人としてちょっとおかしくなっている自分の姿に笑えてしまう。横光のこれらの作品はそんな独自の客観視したユーモアがみられるんです。これは自分も目指したいところです」
副読書③
『機械・春は馬車に乗って』横光利一
菊池寛に師事し、川端康成、片岡鉄兵らと『文芸時代』を創刊、“新感覚派”として大正〜昭和の時代にかけ文壇で活躍した小説家・横光利一の代表的作品が収録された短編集。ネームプレート製造所で働く主人公が次第に周囲の人間に対して疑心暗鬼になっていく姿を饒舌かつ詩的なスタイルで描く表題作「機械」をはじめ「時間」など10編を収録。(新潮社)
戦前から平成にかけて、書かれた時代もバラバラな名作たち。ましてや横光利一の作品は1930年代に執筆されたもの。100年ほどの時間を優に飛び越え、今を生きる20代の坂本さんの目指す“先”に存在する。坂本さんは『BOX〜』を働きながら執筆した約3年間、お守りのように名作たちを机の上に並べていたとか。作家たちが歴史の中に残した素晴らしい“仕事”の数々に触れながら、坂本さんもまた、その仕事を引き継ぐ。紹介してくれた副読書には、どれも年季が入って、付箋がびっしりと付けられていた。
「気に入った箇所には基本貼っていて。小説執筆の際に、どんなことが文学的に良くて何が悪いのか、行き詰まってわからなくなったときに、立ち返れる指針として付箋を貼ったページを読み返しています。読むたびに付箋を貼りたい箇所が変わったりもして。今回挙げたものは人生がいかなる時期に読んでも面白いところがあって、それが変化する。奇跡の作品だと思うんです。まだ26歳なので、今後読んだらもっと面白いんだろうなと楽しみです」
プロフィール
坂本湾
さかもと・わん|1999年、北海道生まれ、宮古島育ち。派遣社員として就職中に執筆した本作にて、第62回文藝賞を受賞しデビュー。第174回芥川賞ノミネート。
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