1976-1983 昭和アスレチックブーム期の忘れ去られたファッションを発掘! ――トロピカル松村

ザ・ワスレチックボーイ/第2回 音楽がリスニングルームを飛び出した!

text: Toromatsu
edit: Kosuke Ide
photo: Kanta Torihata
logo: Katsuyoshi Mawatari
cooperation: Sasuke Takeshi, Johnny(Easycome), Tsukasa Matsui, Shuzo Ichimura(snob)

2026年3月7日

「ワスレチック」とは何か? それは本誌『POPEYE』創刊(1976年)からDCブランドブーム到来(1983年)ごろまでの昭和後期に日本の若者たちを魅了した、アメリカ西海岸発のスポーツ/アスレチック文化に強力に影響を受けたファッションスタイルを指す、「POPEYE Web」チームの雑談から生まれた造語。あれから半世紀……今ではすっかり“ワスレ”去られてしまった、昭“和”のユースカルチャー、「ワスレチック」スタイルの全貌を、この道歩いて20年のライター・トロピカル松村が語り尽くすシリーズ連載。

アイテムの選考基準は、70年代後半~80年代前半のユースファッションであること、そして昭和のアスレチックボーイに愛されていたこと。その2つをクリアしたものなら、なんでもワスレチックアイテムに認定だ!


西慎嗣による1980年、桑田佳祐プロデュース・初ソロレコードのジャケット。パームツリーの下、パブロクルーズのTシャツでサーファールックをキメている。


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ディスコの“箱もの”を着る、それすなわちスターである

ブーム度★☆☆ 忘れられ度★★★ 入手難度★★★

写真提供:DJ TAKAHIROさん(左_黒いシャツ)。高感度なダンサーが集まった大阪ディスコ〈ブリックハウス〉の1979年写真。”箱もの”はチームTシャツ的な役割も非常に大きかったのではないだろか。

写真提供:中畑さん。大阪ミナミのニューウェーブなカフェバー&ディスコ〈パームス〉のTシャツを着ている。

1978年7月、ディスコダンスに賭ける19歳の青年トニーの青春を描いたアメリカ映画『サタデーナイトフィーバー』が日本公開されると、若者の間でディスコブームが過熱。それでもまだ世間では“ディスコ=不良の遊び”という見え方があったのは事実で、中高生で「ディスコに行ったことがある」なんて言うと学校ではかなりトッポいヤツ扱いだったと聞く。

東京のディスコシーンは、70年代中期まで新宿こそ聖地だったのだが、後期になるにつれて六本木に脚光が集まるようになる(特にワスレチックボーイの間で)。大学生の遊び人は六本木に入り浸るようになったが、中高生は超一部を除いて渋谷や新宿の学生向けディスコで威張るのが精一杯だったらしい。そういった背景をふまえると、どこの“箱のもの”を着ているかでも、ステイタスに大きく差が開いたと考えられる(大阪もミナミとキタでイメージが大きく違った)。とはいえ、ディスコものを持っているというだけでヒップなヤツであったことには違いない。

また当時はミュージシャンが新曲をリリースする際に、「プロモーション盤」と呼ばれる販売促進用のレコードを製作されており、ディスコはそんな盤をどこよりも早く聴けるホットスポットでもあった。つまりディスコものは、遊び人感を演出するだけでなく、音楽の流行に敏感なイメージをも引き出してくれたのだろう。

左から順に
・ニューヨークで最も人気を博したディスコ〈スタジオ54〉が1979年頃に手掛けたジーンズ。
・六本木のディスコ〈キサナドゥ〉が81年頃〈ナバーナ〉にリニューアルオープンしたときの記念Tシャツ。レディースサイズ。
・新宿のサーファーディスコ〈B&B〉(Beach&Breezeの略)のTシャツ。
・ご当地もの。静岡〈キャンディーハウス〉のTシャツ。ボディは〈JUNスポーツ〉製。

1979年『POPEYE』59号より。プレゼントコーナーに新宿ディスコ〈ツバキハウス〉のTシャツが。欲しい。

1980年『POPEYE』86号より。ニューヨークのディスコ〈スタジオ54〉のジーンズ紹介。


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電波放送局のロゴで、アメリカの音も声を纏うのだ

ブーム度★★★ 忘れられ度★★★ 入手難度★★★

左上から順に
・ガラクタ貿易のコピーライト入り、〈FEN〉のTシャツ。DJケイシー・ケイサムとアメリカントップ40の文字がたまらない。
・〈FEN〉のトレーナー。シンプルなロゴのみだが、恐らくこれもガラクタ貿易で売られていたもの。
・〈KIKI〉のTシャツ。他にもレコードやダイバーズウォッチ、ジョギングパンツなんかも所有している。
・〈98ROCK〉のTシャツ。〈KIKI〉がかなり大衆化した頃、本格派サーファーが目をつけたのがこの局だった。

88年の邦画『波の数だけ抱きしめて』が、82年の湘南ボーイズ&ガールズの電波放送局をテーマにしたように、ワスレチックボーイにとってラジオは重要なコンテンツのひとつだった。実はアメリカの人気ラジオDJ、ウルフマン・ジャックも登場する73年の『アメリカングラフィティ』が日本で最初にテレビ放送されたのは、80年の「ゴールデン洋画劇場」(フジテレビ)。そんなエピソードからも当時のラジオブームが読み取れる。

日本ではそのウルフマン・ジャックもプレイしていた〈FEN(在日米軍向け放送)〉が、「本場」の雰囲気が味わえると話題に。〈FEN〉のウェア類が御茶ノ水をルーツとするアメリカン雑貨店〈ガラクタ貿易〉で多く取り扱われるようになり、男女を問わず親しまれた。

1979年『POPEYE』52号。キャプションを見るとすべて〈ガラクタ貿易〉とある。

〈FEN〉はAM放送だが、海外放送局ももてはやされた。70年代後期から流行の波がきたサーフロック(カラパナやセシリオ&カポノなど)の影響もあって、特にハワイのラジオ局が大注目。無論インターネットラジオがない頃だから、ハワイ旅行に行く友人を捕まえて、カセットテープでハワイのラジオを録音してきてもらう、なんて動きで異国の放送を手に入れたようだ。部屋はもちろん、それらはサーフィン道中の車中で聴かれることが多く、ゆえにオーディオにも大層こだわった。

局は〈KKAU〉や〈K59〉といろいろあって、中でも〈KIKI〉が完全なるブランド化に成功。洋服に限らず、レコードや雑貨、サーフボードまで流通するように。82年の角松敏生のアルバム『Surf Break from Sea Breeze〜DJ KAMASAMI KONG』で登場しているカマサミ・コングはその頃の〈KIKI〉の看板DJで、アーティストがわざわざ起用して販売促進を求めるほどハワイのラジオ局もステイタスだったわけである。〈KIKI〉はミーハーだから自分はこっち派、みたいな選び方があったのもハワイラジオものの面白いところ!

ディスコに、カフェバー、ウォークマン……外でたくさんの音楽に触れあえるようになったワスレチック時代。車のオーディオにもこだわった。『ロンサムカーボーイ』が大ヒット!(片岡義男じゃないヨ)

写真提供:山水荘・旅館の親父さん(右)。ハワイ旅行中、K59のスタジオ前で記念撮影。


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ブラックミュージックがワルっぽかったのは少し前の話

ブーム度★☆☆ 忘れられ度★★☆ 入手難度★★☆

左上から順に
・70年代中期の〈JUN×ソウルトレイン〉Tシャツと、後期〈JUNスポーツ×ソウルトレイン〉パイルT。
・ディスコ期のローリングストーンズ81年ツアーTシャツ。〈ジョーバンムスク〉とのコラボ。
・81年ジャクソンズのツアーTシャツ。サーファーディスコ期ドンズバ!
・パナソニックのオーディオプロモーションTシャツ。広告塔はアースウインド&ファイヤーだ。
・タバレスのサテンジャンパー。『愛のディスコティック』が大ヒットした頃のもの。
・78年、モータウンレーベルの記念Tシャツ。こんなの着てたら相当のブラックミュージックツウ。

70年代中頃までのブラックミュージックは、ソウルを中心に、アフロダンサーらが好むワルで少数派なイメージだった。日本で風向きが変わっていったのは、74年から国内放映がスタートしたテレビ番組〈ソウルトレイン〉の影響が大きいと思う。アパレルブランド〈JUN〉がスポンサーとなり発売された番組のプリントTシャツが若者の間で大ヒットした(ワスレチック時代の少し前の話)。

70年代後期になりスポーツライクなファッションが市民権を得てくると、アフロヘアだった連中も続々とサーファーヘアにシフトする。前述した〈JUN〉の〈ソウルトレイン〉Tシャツも柔軟な対応をみせ、デカデカだった番組のプリントを胸元に小さくパイル地カットソーに施したものを発売。ワスレチックの波はそれほどまでに大きかったということだ。

スタイルの移行はファッションのみならず。そもそもブラックミュージックが西海岸的ソフト&メロウな要素を取り入れるようになり、軽やかなその手のサウンドが日本ではブラックコンテンポラリーと呼ばれるようになっていった。逆もしかりで、ローリングストーンズやロッド・スチュアートなどロックな面々が次々に軽快なディスコサウンドに挑戦。遂にブラックミュージックは大衆のものとなったのだ。

『序章』にも書いた通り、日本ではサーファーディスコ(サーファーとディスコのクロスオーバー)という独自の文化が発展し、ワスレチックとブラックミュージックが見事に融合。古着業界にあるバンドTブームのような流れはまったくなかったが、写真の通りソウルなTシャツでアメリカを感じる若者も確かにワスレチック時代に存在していた。

1978年『スーパーディスコカタログ(ジョイナスマガジン)』より。、ソウルトレイン〉ダンサーが着用する〈JUN×ソウルトレイン〉Tシャツ。

1978年『Fine(日之出出版)』創刊号より。DJがボニーMのTシャツを着ている。人によってはまだちょっとワルっぽさが残っている。


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聴いて(着て)感じたフュージョンというオーシャンブリーズ

ブーム度★★☆ 忘れられ度★★★ 入手難度★★★

左上から順に
左上/ジャズフェス、〈ライブアンダーザスカイ〉の80年もの。出演バンドを見ているだけで楽しい。
右上/同じく〈ライブアンダーザスカイ〉の翌、81年もの。どちらもボディは〈オンワード〉製。
左下/六本木〈ピットイン〉のサテンジャンパー。ボディは〈ラングラー〉である。
右下/〈キーボードマガジン〉のトレーナー。79年創刊で当初はフュージョン色が強かった(後にテクノやニューウェーブが台頭)。

ワスレチック時代の音楽といえば、西海岸ブームゆえ、ウエストコーストやAORのイメージが専行しがちだが、ブラックコンテンポラリーに加えて、フュージョンも忘れてはいけない。日本では高中正義にネイティブサン、ザ・スクエアに、カシオペア……それらレコードを手に取るとジャケットに移るのはどれも青い海ばかり。渡辺貞夫の78年アルバム『カリフォルニアシャワー』はタイトルから全面にワスレチックだ。

世界の名だたるジャズミュージシャンが集まったフェス〈ライブアンダーザスカイ〉も大賑わい。ライブハウスも同様。新宿が元祖だった〈ピットイン〉は1977年に六本木に居を構え、リー・リトナーやラリー・カールトンの来日公演が話題を呼んだ。

フェスものでも、ライブハウスものでも、フュージョン由来のものは、ジャズ由来の大人でインテリジェンスな雰囲気と、オーシャンブリーズな陽気さを兼ね備える絶好のアイテムだったのだと思える。フュージョンバンド、ザ・プレイヤーズのレコードジャケットは〈ピットイン〉のジャンパーを自慢げに着た彼らが写る。

1982年『Fine(日之出出版)』36号より。〈ライブアンダーザスカイ〉のTシャツを着るモデル女性が。

1980年ザ・プレイヤーズのアルバム『ワンダフル・ガイ』裏ジャケ。六本木〈ピットイン〉のジャンパーを着るメンバー。


[11]
AOR&ウエストコーストのTシャツこそ、西海岸派のマスターピース

ブーム度★★★ 忘れられ度★★☆ 入手難度★☆☆

サーファーディスコブームが若者支持の追い風となったブラックコンテンポラリーも、ジャジーかつ陽気なアメリカを感じさせてくれるフュージョンも、こればっかりは勝ち目ナシ。やはり世は大・西海岸時代! ウエストコーストやAOR、ハワイ系のバンドものは当然注目されていた。

左上から順に
・名前のない馬でお馴染み、〈アメリカ〉のバンドT。
・〈ホール&オーツ〉H2O(82年リリース)のTシャツ。
・LAのサーフロックバンド〈パブロクルーズ〉のTシャツ。
・〈ジョン・オバニオン〉の大好きな81年アルバムTシャツ。
・〈リトルリバーバンド〉。サーフィン映画『ストームライダー』で人気に。
・古着屋でもよく目にする〈ビーチボーイズ〉もの。球数が多い。
・ディスコでもよくかかった〈ドゥービーブラザーズ〉であります。
・〈ダン・フォーゲルバーグ〉なんてのも。ラグランが良き。
・〈カラパナ〉と〈セシリオ&カポノ〉の両面コンサートTシャツ。
・〈サンタナ〉の83年ジャパンツアーT。和モノなのが高ポイント。

サーフィン映画『フリーライド』はメインテーマをパブロ・クルーズが担い、『メニークラシックモーメント』は全曲カラパナが担当。本格派サーファーから火がついたAORは数知れず、それらが大衆にまで広がるのに時間はまったく要さなかっただろう。前述したサーフロックやウエストコーストもののTシャツなんかをリーバイス646にビーチカンバーあたりでキメたら、ド直球ワスレチックスタイル。スペクトラムのギタリスト西慎嗣がソロアルバムを出すっていうから手に入れたら、ジャケットに移る本人がまんまそんな感じ。凄まじい人気を物語っている。

写真提供:DJ TAKAHIROさん。1982年大阪ディスコ〈ジジック〉の写真をよーく見ると、DJが筆者の所有するものと同じ〈ジョン・オバニオン〉のTシャツを着ている。

筆者の所有するものと同じ〈カラパナ〉と〈セシリオ&カポノ〉のコンサートTを着ている先輩サーファー(右)。左はハワイのサーファー、マーク・リデルである。

Profile

ザ・ワスレチックボーイ/第2回 音楽がリスニングルームを飛び出した!

トロピカル松村

とろぴかる・まつむら|1988年、兵庫県生まれ。編集ライター。サーフィン専門誌の編集者を経てフリーランスに。サーフィンを始めたときから約20年間、当時のサーフボードで波に乗り続けている。昭和の西海岸ブーム(ワスレチック)期にフォーカスした私設ミュージアム『さんかくなみ』を二子新地で営んでいたが、2025年7月に閉館。ジーンズ&スポーツを掲げるブランド〈CRT〉のディレクターでもあり、著書に『ボクのニッポンサーフィンサウンド』がある。ちなみに筆者が着ているTシャツは当時原宿と大阪にあったレコードショップ〈メロディーハウス〉のショップもの!

CRT
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