TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#3】フレスコのこと。

執筆:大野彩

2025年6月23日

 大きなフレスコ壁画のことをお話しましたが、机の上でミニフレスコも作れます。小型のレンガに砂と石灰を混ぜたものを塗って、絵を描きます。額縁に入れて、部屋や玄関の飾りにも。画面が小さくても、描くときには一番楽しい、やみつきタイムはちゃんとやってきます。一日で、永遠の絵画が生み出されるわけです。下地はレンガのような水を吸うものが都合よく、例えば素焼きの植木鉢や手作りのパネルなども使えます。

 トライしてみようかなという方はYouTubeでもいくつか方法が見られます。

 フレスコはヨーロッパ、特にイタリアのものと考えておられる方も多いと思いますが、石灰があれば、どこでも作れます。実は日本にもフレスコ画の仲間があります。そう! 奈良の高松塚やキトラ古墳にも石灰が使われていました。フレスコの下地の材料は石灰と砂、とお話しましたが、これらの古墳では石灰と〈スサ〉が使われています。スサとは植物の繊維です、麻スサ、藁(わら)スサなど。これを石灰と混ぜて石室の中に塗って絵を描いています。

 左官の技術は朝鮮半島から日本に伝えられたと考えられます。材料と技術を持った制作者達も海を渡ってきたのでしょう。筆跡をよく見ると、描いたのは分業をしていたチームだったようです。石室は小さなもので、立って入ることはできません。ちょっと奥行きのあるカプセルホテルを想像してください。天井にある星宿図もおそらく膝をついて上を向いて描いたでしょう。四方を守る四神(東の青龍、西の白虎、北の玄武、南の朱雀)が描かれました。南の石扉を最後に閉じたと思われますが、盗掘に会い、壁の上部は壊されています。研究者たちはこの盗掘孔から出入りして調査をしていました。私も漆喰の状態を見るために、白い防護服を付けてここから滑り入みました。

 同じ時代に作られたキトラ古墳にも壁画があります。模写を試みて分かったのですが、キトラ古墳の白虎と高松塚古墳の白虎は左右反転の同じサイズの図像、シンメトリーなのです。これはびっくりしました。どちらも7世紀末から8世紀はじめ。この二つの古墳の制作者たちは深いつながりがあるに違いありません。この壁画チームは石灰や道具、絵具などを大陸から持ってきたと考えていいと思います。

 後に、日本国内で、石灰、スサ、砂などを材料として漆喰をつくり、鏝を使って仕事をするようになるのには長い時間がかかりました。「鏝絵」や「土蔵」など、日本の左官文化として根付いて行ったのは、江戸時代と言われています。

高松塚・女子群像
wikimedia commonsより(public domain)

プロフィール

大野彩(勝山彩)

おおの・みさお|1953年、東京都出身。フレスコ画家。フレスコ普及協会代表、壁画LABO主催。多摩美術大学油絵科卒業 東京芸術大学大学院壁画科修了(フレスコ専攻)。東京芸術大学大学院非常勤講師、武蔵野美術大学非常勤講師、早稲田大学客員研究員、東京文化財研究所協力研究員、多摩美術大学講師などを務める。著書に『フレスコ画への招待』(岩波アクティブ新書/2003年)。2008、09年には多摩美術大学共同研究「時を航(ルビ:わた)るフレスコ」展Ⅰ・Ⅱを開催。『ジブリ美術館エントランスホール制作』(壁画LABO/2001年)を手がけるほか、医療施設、寺院、図書館、商業施設など、屋内外壁にフレスコ壁画制作する。その他個展も多数。

フレスコ普及協会 Official Website
https://fresco-net.jp/

壁画LABO Official Website(フレスコ画の描き方や、制作した作品について見られます。)
http://www.hekigalabo.com/