TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#2】フレスコのこと。

執筆:大野彩

2025年6月16日

大野彩


text: Misao Oono
edit: Ryoma Uchida
special thanks: Ghibli Museum, Mitaka

三鷹の森ジブリ美術館』エントランスホール、ドーム天井にフレスコを作った時は、メンバー21人で20日間、現場で仕事をしました。早朝6時代から左官屋さんがドームの壁に水をやり、石灰と砂を練って、その日描く分(ジョルナータ)の壁を塗ります。その後、絵描きたちは、作っておいた下絵を当てて、絵を写します。夏の暑いときでしたが、風を入れると壁が早く乾いてしまうので、風禁止。第一陣は朝から絵を描き始めて夕方まで。休憩は食事と水分補給!交代する第2陣はその日の分が終わるまで。夜中を過ぎることもありました。翌日も同じ作業。足場の上での過酷な、楽しすぎる20日間でした。こうして出来たフレスコ画は今も鮮やかにドームを飾っています。

© Museo d’Arte Ghibli

三鷹の森ジブリ美術館
© Museo d’Arte Ghibli

 このように1日分づつ壁を塗って描いていく方法《ブオン・フレスコ》を作ったのはジョットという画家でした。ジョットは、13世紀、イタリア中部のアッシジ、サン・フランチェスコ聖堂を飾る壁画制作の中で、この方法を確立しました。チームを作って、カトリックの教会に聖書物語の場面をどんどん描き、ジョット軍団と呼ばれました。その後ルネサンスのころ、ジョット派の画家たちがフィレンツェ等トスカーナ地方にこの方法を広めていったのです。

 フレスコ画といえば宗教画というイメージをお持ちの方も多いと思います。ローマ、バチカン市国のシスティーナ礼拝堂の天井画・壁画はその代表です。画家ミケランジェロが、礼拝堂の天井に「天地創造」を描いたのは、1508―1512年の5年間、当時30代。壁面の「最後の審判」は、天井画完成から二十余年、時のローマ教皇パウロ3世の要望でした。その時ミケランジェロは既に還暦を過ぎていました。足場の上で、壁を塗り継ぎながらの制作は大変だったことでしょう!

 礼拝堂は、蠟燭(ろうそく)の煤(すす)で、汚れ、壁画はくすんでいきましたが、1979-1999年、洗浄、修復が行われました。この事業には日本テレビが大変協力しました。丁度その時、私はゴンドラに載せていただき、修復師たちの真剣なまなざし、修復作業を拝見しました。礼拝堂の壁画は、ミケランジェロ自身の描き足しや、後世行われた修復もあり、難しい修復でした。制作から500年を経て、20年の歳月をかけて、世界の名画は制作当時の鮮やかなフレスコの色を取り戻し、美しくよみがえったのです。

 最近話題になったローマ教皇選出のコンクラーベは正にこのシスティーナ礼拝堂で行われたのです。

システィーナ礼拝堂天井画
wikimedia commonsより(public domain)

プロフィール

大野彩(勝山彩)

おおの・みさお|1953年、東京都出身。フレスコ画家。フレスコ普及協会代表、壁画LABO主催。多摩美術大学油絵科卒業 東京芸術大学大学院壁画科修了(フレスコ専攻)。東京芸術大学大学院非常勤講師、武蔵野美術大学非常勤講師、早稲田大学客員研究員、東京文化財研究所協力研究員、多摩美術大学講師などを務める。著書に『フレスコ画への招待』(岩波アクティブ新書/2003年)。2008、09年には多摩美術大学共同研究「時を航るフレスコ」展Ⅰ・Ⅱを開催。『ジブリ美術館エントランスホール制作』(壁画LABO/2001年)を手がけるほか、医療施設、寺院、図書館、商業施設など、屋内外壁にフレスコ壁画制作する。その他個展・グループ展多数。

フレスコ普及協会 Official Website
https://fresco-net.jp/

壁画LABO Official Website(フレスコ画の描き方や、制作した作品について見られます。)
http://www.hekigalabo.com/