カルチャー
自分の土俵で横綱相撲
文・村上由鶴
2023年9月30日
text: Yuzu Murakami
デイヴィッド・ホックニーの展覧会が、東京都現代美術館で開催中です(〜11/5)。
ホックニーは存命のアーティストのなかでも重要人物のひとりで、絵画を中心としながらも非常に多面的な活動を行なってきました。同性愛が違法とされた時代に同性愛者であることを表現し、部屋のなかにいる人物2名のポートレート(肖像画)も含むポートレート作品も多く制作し、「逆」遠近法の絵画を開発したり、写真を使って多視点のコラージュをしてみたり、近年はiPadで絵を描いたりしていて、ひとりの作家にしてはトピックが多め。そこが「巨匠」とされる所以かもしれません。
そんな彼の「巨匠」としての地位を確固たるものにした仕事のひとつに、美術批評家のマーティン・ゲイフォードの著作『絵画の歴史 洞窟壁画からiPadまで』(2016年)があります。
『絵画の歴史』は、ホックニーとゲイフォードの対話形式で進むので、やさしい言葉が読みやすく、図版もたっぷりで、絵画のこと、写真のことを広い視点から考えるのにはおすすめの本です。
日本語では「絵画の歴史」というタイトルがつけられているので少し困惑するのですが、原題では『A History of Pictures: From the Cave to the Computer Screen』と言います。注目したいのは「Pictures」というところ。つまり、絵画(Painting)の歴史ではありません。
この本の画期的なところは、アートにおいては、線引きされがちだった絵画と写真の歴史を「picture(画像)」という視点で語ることによって、ひとつの大きな流れを見せたことにありました。
もちろん、絵画には絵画の歴史、写真には写真の歴史があります。でも、写真の登場が「印象派」を産んだ!と言われることもあるし、写真は「芸術になるためには絵画(っぽさ)を目指さなくては!」と意気込んでいた時代もあって、この「平面の画像」たちは相互に影響し合う関係にあったわけです。
ホックニーは、自身の作品のなかでも写真を用いてきたし、カメラルシーダというカメラの前身とされる装置を使ってポートレートを描くこともありました。それぞれに歴史を持っている絵画と写真をひとつの物語として語ることは彼にとって必然的であり、それらをぐっとまとめるのが「picture」というキーワードだったのです。
ところで、「pictureの歴史」として絵画と写真の歴史をさもひとつの物語であるかのように語ることによってどんないいことがあるのでしょうか。
単に、歴史の語り方が増えたところで嬉しいことなんかなさそうなところですが、実はホックニーの「picture(画像)」という語り方は、絵画と写真を民主化するものだったと考えることができます。
というのは、この本の副題「洞窟壁画からiPadまで」は、「pictureの歴史」のスタート地点にある洞窟壁画と、現在のゴール地点に設定されているiPadは、名もなき人々の「像を残したい」という素朴な気持ちを実現した/実現するものという点で共通しています。この点で、「picture」という視点は、絵画や写真の歴史を民主的なもの(のよう)に見せる効果がありました。
もちろん、本書のスタートとゴールの間には多くの画家や写真家が登場するわけですが、この「像を残したいという人間の欲求」で、1本の線を引き、それを著作としてまとめたことは、ホックニーにとっては大きな仕事だったはずです。
とはいえ、ホックニーは単なる親切心から民主的なpictureの歴史を語ったのでもありません。この「pictureの歴史」は民主的っぽく振る舞っているので、ホックニーがみんなにやさしいアートの見方を共有!しているようにも思われますが、実際には、ホックニーが彼自身を「巨匠」にするための土俵作りでもあるのではないでしょうか。
そもそも「民主化」と「巨匠」は、よくよく考えれば両立し得ないものとも言えます。
おそらくホックニーは、「絵画(painting)」という既存の土俵では、横綱にはなれないことに気づいていました。ピカソやマティスなど、すでに大横綱たちがいたのですね。
アートの歴史において、巨匠と言われたアーティストたちは、人の土俵のルールに乗るのではなくて、それまで続いていたゲームの場(囲碁だったら碁盤とか、チェスだったらチェスボード)をひっくり返すことで、前のゲームを終わらせてきました。
つまり、自分がいちばんになれる試合を設計するのが「偉大な」アーティストであり、ホックニーは、まさにそのために「picture」というゲームを設計して、横綱として振る舞っている、という感じです。開催中の展覧会でも巨大なiPad絵画を見ることができますが、すごいのかすごくないのかよくわからないけど、それでも「巨匠」っぽいと思わせる、横綱相撲を展開しています。
ほとんどの人が、幼い頃には紙とペンを与えられたらついつい「お絵かき」をしたし、いまではそれよりも簡単にほとんどすべての人が「写真」を撮ることができます。このように画像(を作らずにはいられない人間という存在)の歴史を語った上で、自らそこに「巨匠」として君臨するのがホックニーなのです。
こんなふうに書くと極悪の指導者のようにも感じられますが、こんなことを考えながら見てさえも、「なんか好き」とか言ってもいいような気持ちにさせるからホックニーはすごい。彼の絵画の楽観的なムードのインパクトが減じられることはありません。
わたし個人としては、ホックニーの作品それ自体よりも、この「picture」という土俵の固め方、その戦略の巧妙さにあっぱれ!と思うし、『絵画の歴史 洞窟壁画からiPadまで』自体はめちゃくちゃおもしろいので、ずっとお気に入りです。展覧会と合わせておすすめです。ではまた!
プロフィール
村上由鶴
むらかみ・ゆづ|1991年、埼玉県出身。写真研究、アート・ライティング。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学。光文社新書『アートとフェミニズムは誰のもの?』(2023年8月)、The Fashion Post 連載「きょうのイメージ文化論」、幻冬舎Plus「現代アートは本当にわからないのか?」ほか、雑誌やウェブ媒体等に寄稿。
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