カルチャー
二十歳のとき、何をしていたか?/川島明
2022年11月13日
photo: Takeshi Abe
text: Neo Iida
2022年12月 908号初出
オーディションを受け続け、
バトルの結果に一喜一憂したM-1前夜。
プロと素人の間で揺れた、“芸人ごっこ”な青春。
『ラヴィット!』が始まってからというもの、朝が明るい。社会情勢が不穏でも、超ド級の台風が来ても、パネラー陣の有象無象のボケをバッサバッサと成敗する川島明さんを見れば、今日も元気に動き出していきたくなる。今やMCから大喜利まで大活躍の川島さんだけれど、実は「中学イケてない芸人」。物静かな学生時代、一体何を思っていたんだろう。
「昔から、状況にタイトル付けるのが好きやったですね。内心いろんなこと考えて、声は張らないまでも独り言をボソボソ言って。『一人ごっつ』の『写真で一言』を真似てみたり、ラジオにもハガキを送ってたりしてたんで、友達からはお笑い好きなヤツと認識されてたと思います。でも、本気で芸人を目指すとは思ってなかったんじゃないですかね」
お笑いをやるならNSCに行くしかないと思ったが、当時はネットもなく、入学する方法がわからない。ひとまず高校を卒業し、何げなく深夜番組を見ていたとき、ある文字が目に飛び込んできた。
「ジャリズムさんや千原兄弟さんが出てた『すんげー!Best10』という番組を見てたら、一瞬だけ『NSC20期生募集中』ってお知らせが出たんですよ。確か電話番号があったのかな。それで一人で京都から初めて出て、大阪に願書を取りに行きました。で、入学金に20万円かかると知って、テレビのリモコンのネジを締めるバイトを始めて。100%締めたらダメで、80%から85%の間で締めないといけない(笑)。時給750円とかで8時間働きました」
当時はNSC人気がすさまじく、春と秋の年2回生徒募集があった。川島さんは、こっそりと秋入学の願書を提出する。
「友達にも親にも兄貴にも言いませんでした。子供みたいな考えなんですけど、知らん間にテレビに出て気づかせようと思ったんです。『なんやあんた、テレビなんか出てて〜』って。でもNSCの合格通知が家に届いてすぐバレました(笑)」
大阪まで面接を受けに行った息子の熱意を知ってか、両親は「決めたならやるだけやってこい」と背中を押してくれた。それから、実家のある宇治から難波まで、片道1時間半の通学が始まった。
「京都の田舎者やから、難波の街が怖くて怖くて。人は多いし、みんなヤクザに見えた。NSCでも舐められへんために喋らなかったですね。バレバレだったでしょうけど。でも、ピンでやるつもりはないから相方を探さないといけない。自分がどんな人間かわかってもらうために、ボードとかペンを買って大喜利みたいなフリップ芸を作りました。そんなん一度もやったことなかったけど、ショック療法みたいな感じで、みんなの前で披露して。そしたら先生が『技術はゼロだけど発想はいい』って褒めてくれたんです」
その日の帰り、川島さんは年齢不詳の男に呼び止められた。「お前、おもろかったからコンビ組んだってもええで」。だいぶ上のほうから声がした。
「なんやこいつ、上から目線で。と思ったら田村でした。あいつは地元の先輩とか別のヤツと仮のコンビを組んでて、社交性がすごいから同期を束ねてて。こいつと友達になったら輪の中心にいけるなって、最初はそういう発想でした。人見知りで断れなかったのもあります。そしたらネタ合わせでひっくり返りましたね。死ぬほど何言ってるかわからない(笑)。まあ、誰かと何かをやったことがなかったんで楽しかったですけどね」
’99年、二十歳でコンビを結成。当初「田村川島」で活動していたが、卒業後にオーディションを受けるにはちゃんとした名前が欲しい。周りは「チュートリアル」「ブラックマヨネーズ」みたいなカタカナのコンビ名が多かったから、あえて難しい漢字にしようと話し合った。
「田村が『麒麟児がいい。中国の天才みたいな意味やねん』って言ったんですよ。でも僕は“児”がダサいな、嫌やなと思って、麒麟にしようかって。他に薔薇、憂鬱、醤油も候補に挙がったけど、気持ち悪いし書けへんし。で、麒麟にしてみたらオーディションに合格したんです」
AT THE AGE OF 20
受かったのは、baseよしもとのオーディション。ダウンタウンなどの芸人を輩出した心斎橋2丁目劇場が老朽化で閉館し、若手芸人の後継拠点として新設された劇場だ。同時に初めてのひとり暮らしもスタート。劇場のある難波から少し離れた、オフィス街の雑居ビルだった。
「居酒屋の2階で、5帖ワンルーム、日当たりゼロ。ほんまにめちゃくちゃで、ある日階段上ったら廊下に暖簾がかかってししおどしが置かれてて、僕の部屋の両隣が店のVIPルームみたいになってたんです。あれっ、住んでんのになと思って(笑)。急に僕んちのドア開けて店員が生ビール持って来るし、なかなかの環境でした。でも他を知らんし、芸人ぽくてよかったですけどね。よく師匠方も先輩も『貧乏が辛かった』って話をしてたから、もしかしてこれなんかな? と」
ただ、オーディションに受かればレギュラーになれるわけではない。バトルに勝っては負ける日々が続いた。急な前説が入るからハンバーグ屋のバイトにも行けなくなり、劇場からは900円しかもらえず、借金で食いつないだ。突破口が見えたのは3年目に入った頃だ。
「低い声のネタを作ったら、作家さんが『いい声してるから全部それでいったほうがいい。登場から“麒麟です”をやったほうがいい』って言ってくれたんです。アニメの話をして低い声で落とすネタが1本できて、小さい賞レースも取れたし、劇場にも毎週出られるように」
揃いの衣装で週イチの出番をもらい、給料は月5,000円になった。借金生活は続いたけれど、それでも楽しかった。
「大楽屋なんで、野性爆弾さんとか陣内(智則)さんみたいなトップの方々と一緒になれましたからね。ずっとラジオを聴いてたバッファロー吾郎さんもライブに呼んでくださって。嬉しかったですねえ」
そして2001年末、『M-1グランプリ』が始まる。今のような権威ある賞になる前の、誰も全容を知らない大会だった。
「会社が出ろって言うくせに、なんで参加費2,000円出さなあかんの? って、めっちゃ嫌やったんですよ。でも中川家さんも出るみたいやし、とりあえず出るかと。そしたら3回戦で信じられへんくらいウケたんです。震えましたね。僕らのこと誰も知らんのに、ボカーン! て。あのウケ方、人生でいちばんちゃうかな」
準決勝で憧れのなんばグランド花月に立ち、まさかの決勝進出。ドッキリ? と思いながら東京へ向かった。最年少出場の麒麟は優勝こそ逃したものの、松本さんが75点という自身の最高得点を付けたこともあり、知名度は急上昇。一晩で6本のレギュラーが決まったという。
「M-1に出てなかったら解散してたかもしれないです。うまいこといってないからコンビ仲も悪くて、周りに解散したほうがいいって言われてたし。あの3回戦がめっちゃウケたおかげですね」
麒麟快進撃! と思いきや、レギュラーは1年間で終了する。baseよしもとの毎日は、笑い飯や千鳥、NON STYLEが加わったことでより濃くなった。
「みんな劇場に泊まることが多くて、深夜になると壁に向かってネタをガリガリ書くんです。トキワ荘みたいな感じでね。芸人やったけど、“芸人ごっこ”っていうか、プロと素人の間みたいな感じ。贅沢な時間でしたね。ほんと青春でした」
プロフィール
川島明
かわしま・あきら|1979年、京都府生まれ。1999年に相方の田村裕とお笑いコンビ麒麟を結成。現在『ラヴィット!』(TBS系)で総合MCを務める他、『ベスコングルメ』(同)、『月曜の蛙、大海を知る。』(同)、『川島・山内のマンガ沼』(日本テレビ系)などに出演中。
取材メモ
『ラヴィット!』生放送後にインタビュー。20代前半の疾走感に比べ、30代の初め頃は「うまくいってなかった」と川島さん。「売れていく人の横で補足ばっかりしてましたから。でも、土田(晃之)さんに『裏回しをしてると裏の人間になっちゃうよ。3年以内に出たほうがいい』って言われて、全部ボケで返そうと決めました」。2016年の『IPPONグランプリ』優勝も、『千鳥ちゃん』の「siriみたいに言うなよ」も、すべてが今に繋がってる。
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