カルチャー
鈴木涼美さんにインタビュー。【前編】
デビュー中編『ギフテッド』刊行記念!
2022年7月28日
大学在学中にキャバクラのホステスやAV女優を経験し、日本経済新聞の記者を経て、作家となった鈴木涼美さん。『娼婦の本棚』(中央公論新社)、『「AV女優」の社会学』(青土社)、『身体を売ったらサヨウナラ』(幻冬舎)など、自らの体験に基づいた視点で数々のエッセイや書評を世に送り出し、初となる小説『ギフテッド』を書き上げた。主人公の「私」は、歓楽街にあるビルの、重たい二重扉の付いた部屋で暮らしている。そして突然始まった、病に侵された母との同居生活。忍び寄る死の気配のなか、ぼんやりと見え始める詩人である母の姿。そして「私」の頭の片隅にあるのは、自ら命を経ったホステスの友人のことだった。淡々した文体から立ち上がる夜の情景は、様々な主題を孕みながら、読む者をそっと包み込む。なんだかギフトのような一冊だった。初めての小説をどう紡いでいったのか、鈴木さんに話を聞いた。
8年越しに書いた、初の小説。
――小説は以前から書こうと思っていらっしゃったんですか?
そうですね。最初に文藝春秋さんから「小説を書いてみませんか?」と声をかけていただいたのって、まだ日経にいたときなんです。そのあと会社を辞めてフリーになるんですが、今度はエッセイや書評を書くのが楽しくなってしまって。でも、何年かフリーライターの仕事を続けていると、落ち着いて自分の考えを発展させることができないし、なんだか小手先で仕事しているような気持ちにもなってきたんです。ルーティンを変えたいなと思い始めた頃にコロナ禍になって、時間をつくることができたので、いよいよ書き始めたんですよ。8年も待たせてしまってすみません、という感じでした。
――その長い時間のなかで、小説として書きたいテーマはずっと温めてきたんでしょうか。
テーマと言うと、私自身はずっと“女性の商品性”とか“夜の街”について考えているので、今までのエッセイや書評にもその要素が隠れているとは思うんです。でも今回はそのときに落ちてきたモチーフも大事にしようと思いました。私はフレーズに導かれるというか、書きたい一文が出てくるタイプで、そこから紡いでいく感じでした。
――“書きたい一文”というと?
例えば、主人公がマンションのドアを開ける鍵の音なんかは、メモ段階で降りてきていました。私、ドアってすごく好きなんですよ。「明日への扉」なんていうとモチーフとしては陳腐な気がしますけど(笑)。でも壁がドンとそこにあるよりも、ドアがバタンと閉まるほうが寂しさを感じる。開いていたものが閉じる、その音に断絶を感じるので。もちろん小説は自由に読んでいただければと思うんですけど、文体は平易で淡々と進んでいくので、音が入るとリズムになるかなって。
――確かに「ドア」をはじめ、印象的なモチーフが色々と登場しますよね。物語で重要な登場人物は「母」でした。女性を語るうえで、母親というのは大事なモチーフですよね。
そうですね、純文学でもマンガでも普遍的なテーマです。特に同性の場合、同じ体を持っていて、自分と似た存在になっていくからこそ共感できる部分と、確執が生まれる部分と、両方あるんじゃないかなと思うんです。男の子にも「父殺し」といういまだに紡がれる物語がありますし。
――確かにそうですね。
この物語でも、娘が自分と同じ体になってくることへの恐怖や、娘の体を荒々しい夜の世界から守るにはどうしたらいいかとか、愛憎両方ともあると思うんです。その感情に名前がつかないからこそ、小説の紡ぎ甲斐があるなと。母と娘ってなかなか複雑ですよね(笑)。
――どの家庭にもありますもんね。
私自身のことで言うと、母親は7年前に他界しているんですが、それ以降、母から影響を受けていたこととか、母は随分私について悩んでいただろうなっていうことを色々考えるんです。生前から議論好きだったから、いろんな話をしてきたんですけど、いなくなって数年経った今、自分のなかに生きる母の面影みたいなものを時々感じて。それは愛情でもあるし、懐かしくも寂しくもあるし、気持ち悪いと思った部分でもある。常にグラデーションで、いろんな感情が混じってる感じがします。
――物語はフィクションですが、ご自身の体験が生きている部分はありますか?
そうですね、まず「病気の家族を看取る」という点は私自身の体験と重なりますし、主人公のように「娘として母をまなざす」という点もそうです。さらにいえば、物語に登場する「母」は、私の母と重なると同時に、私自身にも重なる感覚がありました。私にもし娘がいたら、私が娘の体に対してどう思うか、あるいは娘が私をどうまなざすだろうか、と。「体を売った女性が、売ってない退屈なものに対して何を思うか」という視点で、思いを巡らせました。
――その思考は非常に興味深いです。主人公と重なる部分でいうと、「私」にも鈴木さんにも「刺青」が入っていますよね。
はい。刺青って人によってイメージが違うと思うので、まずは自由に読んでいただければと思っています。その上で、男の子にとっての刺青って、不良化していく途中で入れたり、あるいは職人に入るための禊として入れたり、自分を追い込む行為でもあると思うんです。でも私の場合は逆で、「夜の街に戻らない」っていうひとつのケジメだったんですね。まともな社会に入ろうと思って入れた、夜の世界との境界線にあるもの。
――まともな社会に入るために刺青を?
AV業界では刺青って嫌われるんですよ。つるっとしてるピカピカな肌のほうがいいから。高級ソープもダメ。だから私、夏って全くスカウトされないんです(笑)。刺青は、女性としての商品的価値を下げる行為であり、私にとっては性を商品化する現場から守ってくれるものだったんです。こういう形で身を守るって、男性にはあまりないアイデアかもしれませんよね。
夜の街の血が流れている。
――興味深いです。なんとなく歌舞伎町あたりをイメージして読み進めていたんですが、舞台が「夜の街」であるのは、鈴木さんのご自身の経歴が色濃く出ていらっしゃるんでしょうか。
そうですね、親にも育ててもらったし、学校で習った知識もあるけれど、やっぱり私には「夜の街の出身です」という気持ちがありますね。もちろん単純に全てが良かったとは一言で言えないですけど、繁華街にいると、過去に失敗をした人や、嫌な視線を浴びた人、夜の体験が体に刻まれている人、とにかくいろんな人に出会うんです。当時は特に意識していなかったけれど、その世界から離れて10年、15年と経ったときに、自分のなかで意味付けをしておきたいと思うこともあって。それが物書きとしてのテーマになっているし、ニュースを見る上での物差しにもなっているので、私には夜の街の血が流れているんだなって思いますね。
――自分が体験してきた、繁華街で起こった出来事、問題点、働く人たちの抱えている不安、そういうものが下敷きになっていると。
あと楽しさとか。含めてですね。今回の小説の舞台である2009年は、数年にわたる歌舞伎町浄化作戦により数多の店舗型風俗が姿を消し、映画館が軒並み閉館した、そんな時代です。一方、雑誌『小悪魔ageha』の大ブーム最中で、中高生女子のなりたい職業にキャバ嬢がランクインし出すのはこの直後。歓楽街の悲壮感のようなものが徐々に小さくなっていったと同時に、この主人公のようなキラキラしていないタイプの女の子がやや居づらくなる直前でした。
――私も地元が歓楽街と隣接していて、深く潜り込むと危険な部分もあるかもしれませんが、住人にとっては普通の街なんですよね。スーパーも銭湯もあるし、わりと温かくて。暮らしが淡々と描かれているところにリアリティを感じました。
わかります。歓楽街にも日常があるんですよね。娼婦や繁華街って、古来から様々な文学のモチーフになっていますけど、売春系の話になるとモイスチャーで湿っぽいか、スパイシーで刺激的か、どちらかになりやすい。
――しっとりしがちですね。
それもあって今回、文章は乾いていて、あんまり心情を吐露せず、深いところに入っていかないように心がけました。だから全体的に地味なんですけど(笑)。あえて抑制的に書くことで、深い思考に入る前に眠りに落ちたり、騒音の中に溶け込んで考えることを放棄したり、そういう雰囲気がこの文体から伝わるといいなと思いました。ずーっと一定の乾いたトーンのなかに、ほんのちょっとだけ温度が感じられるといいなと思って。
――ちゃんと夜の温度感が伝わってくる気がしました。
親切な小説ではないと思います。でも、私自身わかりやすくて共感できる物語より、人によって解釈が分かれる物語に惹かれるし、そういう小説の自由を味わいたい。なので、なるべくそうしたいなと思いました。そこから、普段自分が考えている女の体の話とか資本主義と売春の話が、見え隠れすればいいかなと思って。
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『ギフテッド』
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