カルチャー

「自由という名の街」のはなし。/第2話:大貫憲章

2026年3月27日

photo: Naoto Date
text & edit: Kosuke Ide

何だかとらえどころがない、でもここにしかない何かがある。
POPEYE Webが愛する街、東京・自由が丘を語るインタビュー連載!

大貫さんが「自由が丘では今や数少ない、古くから知る店。元々、広尾店(現在は閉店)に良く通っていた」と言う「カフェ アンセーニュダングル 自由が丘店」前にて。

家の近くの本屋でエロ本を立ち読みしてたら、
後ろから近田春夫に声かけられたこともあったなあ。

 生まれは板橋区ですが、小平市、田無を経て、高校生の頃に世田谷の野毛に移ってからは、ずっと実家はこの辺りですね。1960年代の中頃からベンチャーズのエレキ・ブームがあって、GS(グループ・サウンズ)、ロックに夢中で音楽漬け。大学受験は全部落ちてしまって。御茶ノ水の駿台予備校に通い始めたら、近くの「御茶ノ水美術学院」の連中とつるむようになって、その友人から「ブリティッシュ・ロック好きの女の子がいるよ」って紹介されたのが、同い年のユーミン(荒井由実)だった。彼女がデビューする前、地元の八王子から中目黒にあった「モウリスタジオ」に初めて行くのに、「一緒に行ってもらえない? 大貫くん近いんでしょう」と言われて、二人で歩いて行ったのを覚えてますよ。

 後に実家は自由が丘から歩いて10分くらいの等々力に移るんですけど、当時からやっぱり自由が丘はお洒落なイメージでしたよね。『自由ヶ丘夫人』(1960年)なんて映画もあったけど、ちょっとハイソなマダムの街というか。一昨年に閉店したけど、目黒通り沿いにあった「シェルガーデン」(1966年オープン)は元々シェル石油が経営していたガソリンスタンド併設の高級スーパーマーケットで、『ナショナル麻布』みたいな外国人仕様っぽい店だった。だから、若者の街ではないですよね。ロックのイメージはない。レコード屋なんかもなかったしね。

 立教大学に入学したのが1970年の4月で、たまたまその前月に創刊したばかりの『アンアン』(平凡出版/現マガジンハウス)のライターを始めました。そこで同じように働いていたのが、当時、慶應義塾大学に在学しながら音楽活動をしていた近田春夫。彼も実家が等々力にあって、仲良くなってね。よく近田の家の前に彼のバンド「ハルヲフォン」の機材車が停めてありました。あるとき、その家の近くの本屋で僕がエロ本を立ち読みしてたら、後ろから近田に声かけられたこともあったなあ。「おっ、勉強中?」なんてね。あ、思い出した、これはずっと後の話ですけど、自由が丘の書店で高橋幸宏が『山と溪谷』を立ち読みしてて、逆に僕が声をかけたこともあった。彼も実家がこの辺だったからかな。

 そんなわけで、自由が丘で遊んだりした記憶はあまりないんですけど、しいて言えば、80年代に東横線の田園調布方面の線路沿いに「レノン・ストリート」という店があったんですよ。カフェバーのはしりみたいな、マイケル・フランクスあたりのAORがかかっているような小洒落た店でね。自分の記憶では、外観はちょっと洋館みたいな感じで、ネオンサインがあって。内装はグリーンっぽいイメージで、当時流行り始めたレーザーディスクなんかを流したりしてたんですけど、インターネットで探しても写真が出てこないね。

 そのレノン・ストリートのマスター、通称「レノマス」と知り合ったのが、僕が「ロンドンナイト」を最初に始めた西麻布の「トミーズハウス」というショットバー。そこで友人の吉岡正晴(音楽評論家)もDJをやっていて、吉岡から店に遊びに来ていたレノマスを紹介された。彼が自由が丘で店を開いていると聞いて、「じゃあ遊びに行こうか」ということで行った、らしいんですよ。「らしい」というのは、僕はぜんぜん覚えてなくて、吉岡のブログにそう書いてあったからなんだけど(笑)。ともかくそれでレノマスと仲良くなって、彼が後に同じ自由が丘で「エスピガ」というレストランを始めることになったとき、そこでDJをしてほしいと依頼されて、通うことになった。あともう一軒、「バナナトリップ」って狭い店もあって、そこでもDJをしていたね。僕がやっていると噂を聞いて、レピッシュのMAGUMIくんがわざわざ訪ねてきてくれたりしたこともあったなあ。その後、90年代にはレノン・ストリートは閉店したんだけど、吉岡のブログによればレノマスは渡米したらしい。跡地に「マルディ・グラ」という音楽バーがオープンして(2023年閉店)、吉岡はそこにも行っていたみたいだね。

 とにかく自分は80年代以後はずっと「ロンドンナイト」をやっていて、生活が夜遊び中心になってましたから。深夜や朝方に酔っ払いを家にたくさん連れて帰ったりして、親父に「ウチは旅館じゃないんだぞ」とか言われてね(笑)。それで少し実家を出てた時期はあるんだけど、今はまた戻って暮らしてますよ。

 思い入れのある店は多くないですけど、ほとんどなくなってしまったね。去年は中華料理店「梅華」が突然なくなったのが残念だった。クローズする少し前にも行ったんだけど、少ししてから訪れたら閉店になってて、びっくりしたよ。いい店だったんだけど。両親が元気だった頃によく行ってた焼肉店「京城園」も閉まっちゃった。今は踏切の脇の蕎麦屋「長寿庵」が長期休業中なんで、心配してるんですよ。

プロフィール

大貫憲章

おおぬき・けんしょう|1951年生まれ。大学在学時から音楽評論家としてキャリアをスタート。76年、NHK-AM 『若いこだま』でラジオDJ活動も開始。79年、日本初のUKチャート専門番組となる『全英TOP20』をラジオ日本で始める。80年、日本初のロックDJイベント『ロンドンナイト』を新宿のディスコ『ツバキハウス』でスタート、現在も東京を拠点に各地で継続している。ラジオでは『Kenrocks Nite – Ver.2』がinter FMで放送中。自身の半生を語り下ろした書籍『HISTORY OF KENSHO ONUKI/大貫憲章 回顧録 人生夜話』(KENROCKS、TOU-TOI BOOKS)が発売中。

今回の撮影場所

「カフェ・アンセーニュ・ダングル 自由が丘店」

1984年オープン、レンガ造りのノスタルジックなムードが魅力のフレンチスタイルの喫茶店。◯東京都目黒区自由が丘1-13-6 鳥井ビル1F ☎︎03-3725-4749