TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#3】ルーツと向き合う

執筆:手塚日南人

2025年11月23日

霧がよく立ち込める。雨が多い。湿っている。
8年前、東京から北海道の白老(しらおい)町へ引っ越したときにまず感じたのは、そんな空気だった。

冬に向かうに連れ、底冷えしていく大地。
死ぬほど寒い気候とは反対に、この町の人々がより一層温かく感じられた。

太平洋に面した白老町は湿地帯だ。
北海道にしては珍しく雪が少なく、西にそびえる羊蹄山で雪雲がすべて降り落ちてしまうのだという。

苫小牧と登別のあいだに位置するこの町は、2020年にアイヌ民族博物館が国立化され、「ウポポイ」としてリニューアルされたことで一躍注目を集めた。
展示だけでなく、舞踊や民謡、木工や料理などを通して、アイヌ文化をまるごと体験できるテーマパークのような場所だ。

ポロトの森上空から見たウポポイと白老の街並み(撮影: 瀧谷栄)

そのウポポイの裏手にあるのが、かつて僕が働いていた「ポロトの森」。
展示の華やかさとは対照的に、静かな湿原の匂いと、巨木が立ち並ぶ針葉混交林が広がっている。
ここで僕は三年間、森林ガイドとして、国内外の観光客や地元の人々に森の案内やキャンプ体験、イベントなどを届けていた。

ガイドの様子

もともとネイティブアメリカンの思想や環境問題に関心があったから、
アイヌの文化や精神性を学ぶ機会を逃す理由はなかった。
最初に話を聞いたとき、迷いもなく移住を即決したのを覚えている。

三年目、新型コロナウイルスの流行でガイド事業は中止になった。
それでも、森と関わる人たちを記録したいと思い、最後の一年は地元のカメラマンさんと一緒にYouTubeチャンネルを立ち上げた。
森の職人や木工作家、野鳥カメラマンなどを訪ねながら、白老の自然を映像に残していった。

アイヌの話を公にするのは、慎重であるべきだと思う。
けれど、僕にとって大きな影響を与えた言葉を一つだけ紹介したい。

旧・白老アイヌ民族博物館の館長だった野本正博さんに教わったことだ。

「カムイ(神々)とアイヌ(人間)に上下関係はない。
どちらが偉いということもなく、ただ役割が違うだけ。
そして、互いに敬意と感謝を持って接することが大事なんだ。」

さらに野本さんはこうも言っていた。

「普段使っている食器や道具にもカムイは宿っている。
森に入るときは、誰もいなくても咳払いをして、挨拶を忘れないように。」

この言葉が、胸の奥で静かに響いた。
森の中で暮らしていると、確かにそう感じる瞬間がある。
人も木も、火も水も、同じ呼吸をしているように思えるのだ。

白老民族芸能保存会の皆様と踊る観光客

東京から白老へ移り住んだばかりの頃、僕はただ焦っていた。
何がしたいのかもわからず、与えられた仕事以上に何かをしなくてはと、文字どおり町中を奔走していた。

けれど、野本さんの話を聞いて初めて、胸の中で霧が晴れた気がした。
「生きる」ということが、何かを“成し遂げること”ではなく、
“関わり合うこと”なんだと、ようやく腑に落ちた。

生活の一つひとつに意味があり、
使う道具には模様が刻まれ、祈りや歌が宿る。
その丁寧さの中に、確かな「納得」があった。

そしてもう一つ、くっきりと見えた答えがある。
それは、ルーツと向き合うという姿勢だ。

同世代のアイヌの友人たちが、失われつつあった言葉や歌を学び直し、
舞踊や民謡を掘り起こしている姿を見て、
「血の記憶」というものの強さを感じた。

僕にとってのルーツは、芸能だ。
少し時間はかかったけれど、白老を離れて4年後、三十歳を目前にしてようやく俳優としての道を歩き始めた。
いま振り返れば、あの森での三年が、確かに今の自分を支えている。

ウポポイで働く友人たちと

プロフィール

手塚日南人

てづか・ひなと|1995年生まれ。東京都出身。早稲田大学在学中にスペインへ留学。帰国後、アイヌ文化を探究するため2018年に北海道へ移住。森林ガイドや映像クリエイターを経て、2024年より俳優として本格的に活動を開始。

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