カルチャー

クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書。Vol.29

紹介書籍『ガリヴァー旅行記』

2025年6月15日

300年前のU.Kにおけるパンクスの大先輩

 昼寝をする2歳の娘の横に寝っ転がっていると、様子を見に来た妻が娘の寝顔を見て微笑む。そのままスライドして私の顔を見るなり真顔に戻り、怪訝そうに眺めて数秒後、「顔でかっ」「肌汚っ」と言った。

 ひどいぢゃないかと泣きたい気持ちになったがまあそうだよねと納得してしまうのは、娘と自撮りをして画像を見るなり「顔でかっ」「肌汚っ」と自分で吃驚することがままあるからだ。2歳児と40歳の中年男の顔が並ぶとサイズや肌のきめ細やかさの差は歴然、私はさながら巨人のガリヴァーだ。

 娘が生まれる以前は妻に「顔でかっ」「肌汚っ」と言われたことはなくむしろ「ハンドソープで洗顔している割には肌が綺麗だ」と褒められていたので、これは私の顔が急に膨らんで汚くなったという訳ではなく、乳幼児という新たな尺度、別の視点が加わったことによって妻の価値観が揺さぶられたのだろう。

 この「新たな尺度や別の視点による価値観の揺さぶり」は日常よく発生することで、例えば海外に行って違う文化の中で暮らすことで日本の長所・短所に気がついたり、転職をして全く違う社風の会社に勤めることでかつての職場がブラック企業だったことに気がついたりとか、誰しもが大なり小なり経験することだと思う。私の顔はともかく、人間の成長において価値観の揺さぶりは重要だ。

 さらに言えば個々人の人生のみならず、社会全体においても「新たな尺度や別の視点による価値観のゆさぶり」というのはとても重要で、なぜかと言えば、そうした揺さぶりがなければ社会はまっすぐ突き進んで硬直、権力者が暴走したり支配者がその力を強めたりして、おかしなことになるからだ。

 そうならないよう新たな尺度や別の視点を社会にもたらし価値観を揺さぶるのは、優れた芸術家や作家だったり、市井のパンクスたちだ。彼ら彼女らは皆、社会からはみ出し、ナナメの視点から世界を眺め、ユーモアとアイロニーで世の不条理を浮き彫りにしてみせる。

 例えば夏目漱石、ジョージ・オーウェル、宮崎駿。古今東西、歴代の表現者たちがそうした「社会の価値観を揺さぶる」作品を世に送り出してきた訳だが、そうしたレジェンドたちが影響を受けたとされる古典的名作にして、いまもなお頂点に君臨する作品がジョナサン・スウィフトによる『ガリヴァー旅行記』だ。

 と、鼻息荒く述べても「ガリヴァー?あの巨人の?ただの子ども向けの童話でしょ」と思う人が多いかもしれない。かくいう私もそう思っていた一人で、未読のまま大人になってしまったのだが、最近読んで驚いた。子ども向けの童話かと思っていた『ガリヴァー旅行記』は、圧倒的なユーモアとアイロニーでもって面白おかしく読ませてくれる超ド級のエンタメ作品でありながら、その背骨には反戦、反権力、反体制といったパンクスに通ずるアティチュードが貫かれていたからだ。

 本書の中で主人公であるガリヴァーの尺度や視点はコロコロと変わる。小人の国に流れ着いて上から社会を眺めたり、巨人の国に流れついて下から人間を眺めたりたり、馬が人間を支配する国に流れついてひっくり返った尺度で世界を眺めたり。

 これらの視点や尺度の転換によって浮き彫りになってくるのは“人間の愚かさ”で、具体的にいうと植民地政策によって他民族を支配・搾取をしたり、しょうもない理由で戦争を繰り返す腐敗した政治家や権力者の傲慢さだ。

 本書が発表されたのは1726年。時の日本は江戸時代。ヨーロッパでは戦争が繰り返され、植民地政策による他民族の非人間化が進められていた。アイルランド出身のジョナサン・スウィフトはこれにユーモアとアイロニーで徹底的に反抗した。後にパンク発祥の地となるU.Kにおいて、約250年前の時点で既にパンクの思想が芽吹いていたのだ。

「戦争は『危険な者』というよりむしろ『醜悪』というべきもの」(P.346)

 発表から300年経った今も古びないどころか、むしろ今こそ読まれるべきと感じさせてくれる。

 子ども向けの童話のような優しい顔をして、平易な言葉とユーモラスな設定で油断した読者を物語の世界に引き込むとそこは濃密で過激な社会風刺のオンパレード、長きに渡って読む者の価値観を揺さぶり、あるべき社会や人間らしい姿を支え続けてきた怪物みたいな名著。著者のジョナサン・スウィフトは300個上のパンクスの大先輩だ。

紹介書籍

クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書。Vol.29

ガリヴァー旅行記

著:スウィフト
訳:平井正穂
出版社:岩波文庫
発行年月:1980年10月

プロフィール

小野寺伝助

おのでら・でんすけ|1985年、北海道生まれ。会社員の傍ら、パンク・ハードコアバンドで音楽活動をしつつ、出版レーベル<地下BOOKS>を主宰。本連載は、自身の著書『クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書』をPOPEYE Web仕様で選書したもの。