カルチャー

『植村冒険館』で、稀代の冒険家・植村直己の本当の“声”を知る。

東京博物館散策 Vol.9

photo: Hiroshi Nakamura
text: Fuya Uto
edit: Toromatsu

2025年2月28日

 鮮烈に聴こえてくる、極北の大地を一歩一歩と踏み締める力強い足音や荒く白い吐息。視界にはカリブーもいなければ、位置感覚を迷わせる単調なツンドラがどこまでも広がり、ときおり乱氷帯が道を阻む……。これは、1978年に−40℃という過酷な厳冬期の北極点で、約800kmを56日かけて「単独犬ぞり行」をした様子が収録されたレコード盤の内容だ。その声の主こそ、1965年から晩年1984年にわたり、数えきれないほど未踏の地を切り拓いた稀代の冒険家、植村直己である。

 そんなレコードを手に入れたことがきっかけで、植村氏にますます興味が湧いて『植村冒険館』に足を運んだ。生前暮らしていた板橋区に構える、これまでの偉業をゼロから学べる博物館だ。2021年に蓮根から移転した真新しい館内をぐるりと回ると、まず目に留まるのは壁面にびっしりと事細かに記された冒険の詳細。今回お話を聞いた学芸員の内藤さんいわく、館内で最もこだわったポイントらしい。

「当たり前ですが、頂上成功のみを記してはわからない無数の工程があります。例えば日本人として初めて成功したエベレスト登頂でいうと、キャンプ地のラムサンゴからベースキャンプまで300kmを徒歩で移動することから始まっているんですよね。登頂までの山行日数も約120日。そんな知られざる背景がしっかり伝わるように構成しています」

 じっくり読み進めていくと、山岳部だった明治大学を卒業した23歳の頃から冒険に拍車が掛かりはじめる。ヨーロッパのアルプスに登る資金を集めるために、今でいう出稼ぎ的感覚で1964年に横浜港からロサンゼルスへ。持ち物は片道切符と約4万円のみ。日常会話もやっとのことだったそうだが、アルバイト先のメキシコ人たちに暇をみては英語とスペイン語を教えてもらい、必要な語学まで身につけていった。まるでマンガのような逸話でたびたび驚くしかないけど、とにかく、植村氏を支えたのは「海外の山を登りたい」という想いだけだった。

 ガラス張りのショーケースには、そんな長年の冒険を共にしてきた、手垢が滲む道具がずらりと並んでいる。一張羅だったセーター、アザラシの手袋、各地のマップ、手帳、各国のペナント、犬ぞりのムチetc……と、どれも生々しい迫力があり、当時の匂いが立ち昇る。その痕跡からは、資源や情報が乏しい時代の中でいかに貪欲に夢中で挑戦してきたかが感じ取れる。最高に格好いい。

ニューヨーク、ローマ、スイス、アラスカなど旅先でゲットしたパンフレットをはじめ、地形図や各国のペナント。

アザラシの毛皮が用いられた手袋。相当暖かそうだけど、これでも寒かったようで、中には毛糸の手袋が重ねられている。

英語を習得するための単語手帳もすべては冒険のため。大学受験用の参考書(豆本)を見ながら書き込んでいったそう。

出版社との打ち合わせ時など都会に出るときは欠かさず使っていたショルダーバッグは、よーく見ると、内側の布地をリペア。奥さんの公子さんが直したそうで、ものを大事に使っていた人柄が表れている。後ろは愛用のセーター。ちなみにタグは〈GOLDWIN〉。

「開館した1992年から働いていますが、こういう生き方があるんだと当時感じた衝撃がいまだに心に残っています。大学進学や就職活動など、世の中のレールは当たり前のようにあるけど、全て取っ払って、自分が好きな分野で誰もやっていないことに挑戦してみてもいい。そう言われているようで、なんだか勇気づけられるんです。博物館の楽しみ方は自由なので、自分にとってグッとくるものを見つけて、日々の活力にしてもらいたい」

 エクストリームな冒険を通して得た(または根底にある)、そんな”ウエムラスピリット”こそ、植村氏が生涯をかけて表現したことなのかもしれない。本当に大事なのは達成したことではなく、自由なマインドを忘れないかどうか。真似できない人生だけど、ここには誰でも毎日を真っ直ぐに生きられるコツがあるように思える。

 消息を絶った1984年の2月から、今月でちょうど41 年。その「北米最高峰マッキンリー(現在のデナリ)の単独登頂」を記念した企画展示スペースで、最後に、生前録音された植村氏のこんな言葉を聴いた。

人は人のやり方があっていい。人を意識してる中で登ったり、行動していると、何かしら無理が生じる。はっきり言って、俺は探検家だっていう気持ちで登ってることは、まず考えたこともないし、じゃあ冒険家かって言えば、確かにリスク背負っているもんだから、まあ冒険家って言えるかもしれん。でもね、危険を犯してると自分は思わないんですよ。冒険心なくして、面白いものはできないんです。俺、そう思うんですよ。

映像の植村さんにインタビュー中。
@テレビ朝日

インフォメーション

『植村冒険館』で、稀代の冒険家・植村直己の本当の“声”を知る。

植村冒険館

◯東京都板橋区加賀一丁目10番5号 ☎︎03•6912•4703 10:00~18:00(3階展示室の最終入館は17時30分まで)月(祝休日と重なる場合は翌平日)、年末年始(12月29日から翌年1月5日)休

区立施設の「植村記念加賀スポーツセンター」の3階にある『植村冒険館』は、すべての冒険が網羅された年表パネルのほか、実際の道具、収集品、贈答品が展示されている。また、廊下の先には「どんぐり文庫」という旅や冒険にまつわる書籍が収集された小さな図書館がある。ちなみにスポーツセンター館内は階段を利用することがオススメ。壁面のあちこちに植村氏の格言が記されていて、なんだか無性にやる気が出てくるよ。

Official Website
https://www.uemura-museum-tokyo.jp/