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「現代邦楽の父」ゆかりの地に建てられた、日本で最初の音楽家記念館『宮城道雄記念館』。

東京五十音散策 飯田橋①

2023年11月18日

photo: Hiroshi Nakamura
text: Ryoma Uchida
edit: Toromatsu

東京都内の駅名を「あ」から五十音順に選出し、その駅の気になる店やスポットなどをぶらりと周っていく企画「東京五十音散策」。2文字目「い」は池尻大橋に続き飯田橋。

 飯田橋駅というと電車の乗り換えで度々使う場というのがなんとなくの印象。神楽坂や東京ドーム、千代田区役所(九段下)も歩いてすぐの、色んなエリアの中間地点。実際歩いてみると周辺はオフィスビルや大学、飲食店や小さな公園も多く、人の暮らしが垣間見えるのどかな街といったイメージ。そんな場所で晩年を過ごし、街の景色を”聴いていた”偉人がいる。

 駅を出て牛込神楽坂駅方面(新宿方面)へと歩き、住宅地内にある建物が『宮城道雄記念館』。ここは、お正月の定番ソング『春の海』の作曲者として知られる箏(こと)奏者の宮城道雄の記念館。宮城が後半生で実際に住んでいた敷地に建てられた日本で最初の音楽家の記念館である。

 明治27年に神戸に生まれた宮城は、8歳のときに失明を宣告される。14歳で処女作『水の変態』を作曲し、箏奏者・作曲家として頭角を現す。フランスのヴァイオリニスト、ルネ・シュメーと『春の海』を協演したことから日米仏でレコードが発売され、世界的にも名声を得ることに。昭和12年には東京音楽学校(現・東京藝術大学)の教授となり、演奏、作曲、文筆、教育など各方面に多くの業績を残した。西洋音楽の要素を邦楽に取り入れるスタイルを築き、後世にも多大な影響を与えたことから「現代邦楽の父」とも呼ばれるのである。

パネルと展示物で、宮城の半生を順を追って詳細に解説。単に音楽家とは括れないほどの活躍ぶり。色々なものを撫でてみるのが好きだったという宮城。私物は小物に至るまで造形が可愛いものが多い。「点字タイプライター」の使用者としては日本における先駆者のひとり。
入ってすぐの視聴覚室で、映像や音楽を聴くことができる。宮城道雄の人生や功績もざっと知ることができるので、初めてでも安心。
記念館おすすめのCDがこちら。「マスタリングされたものもあるが、右のものは録音時のノイズが混じっていて味わい深い」そうだ。

 列車からの転落死に至るまで、その人生を辿るとドラマ化されていてもおかしくないほど波乱に満ちている。室内には関連する資料がまんべんなく並び、自作した箏である「八十絃」や遺愛の箏「越天楽(えてんらく)」も展示。曲が聴きたくなったら視聴覚ブースですぐ聴けるのも嬉しい。

「検校の間」。検校とは、中世・近世における盲官の最高位のことを指す。明治以降、制度は存在していないが、伝統芸能の世界では敬称として使われる場合もある。

 建物裏手の離れには、宮城が作曲や随筆の執筆にあたったという書斎である『検校の間(けんぎょうのま)』が、ありし日のままの姿で残されている。まだそこに宮城が座っていて、この街の音に耳を傾けている様子が浮かんでくるようだ。

インフォメーション

宮城道雄記念館

来年は生誕130年のメモリアル・イヤーで、『箏曲宮城会全国演奏会 ~芸の継承・心の継承~』(2024年4月20日(土)、東京国際フォーラム)が開催予定。随筆家としての評価も高く、『宮城道雄著作全集』(全5巻)も順次発刊中。小説家の内田百閒は友人としてのみならず、箏の弟子であり、宮城の文筆の師でもあったらしく、なんとも素敵な関係だ。また、レコードやラジオ、草創期のテレビにも出演していたらしく、そのマルチな才能と当時の人気の高さに驚いた。来年のお正月は『春の海』がいつもと違って聞こえそうである。

◯東京都新宿区中町35 03-3269-0208 日月火祝 休

Official Website
https://www.miyagikai.gr.jp/kinenkan