カルチャー
冷蔵庫の熱いエモーション
文・村上由鶴
2023年2月28日
text: Yuzu Murakami
先日、横浜市民ギャラリーあざみ野で潮田登久子さんの写真展「永遠のレッスン」を見ました。
(多分この記事が更新されるときには展覧会終わっていると思う、ごめんなさい。)
「永遠のレッスン」は、潮田さんの作品が勢揃いした充実の展覧会だったのですが、なかでも特に広い壁面に大きなプリントで展開されていた「冷蔵庫」のシリーズが圧巻でした。
潮田さんの「冷蔵庫」のシリーズは、潮田さん家族の冷蔵庫を起点に、大家さんやご近所さんやらの冷蔵庫を撮影したシリーズ。そんな「冷蔵庫」で、潮田さんが採用した手法が「タイポロジー(類型学)」でした。
というわけで、今回は、潮田さんの作品のことを考えるために、「タイポロジー写真」について書きます。
タイポロジーとは、類型学のように、「同じカテゴリーのもの」を採取し並べる手法です。
写真史において、タイポロジーの手法を用いた写真家は数知れず・・・ですが、最も重要なタイポロジーの写真家はベッヒャーではないかと思います。
ベッヒャー、正式にはベルント&ヒラ・ベッヒャ―(あるいはベッヒャー夫妻)は、1960年代から貯水塔やガスタンク、溶鉱炉などの工業建築の写真を撮りました。
それも、1枚や2枚・・・ではなく、それだけで分厚い写真集1冊ができるくらい、たくさん撮りました。また、その写真を展示するときにも、その量を活かし9枚組や15枚組など、グリッド状に並べます。
撮り方にもこだわりがあり、正面(と思われるところ)に正対してカメラを向けて、さらにすべての写真がくもりの日、背景となる空がフラットなグレーに見える日に撮影されています。「たくさん撮る&くもりの日」というとてもシンプルなルールですが、それによって、同じ用途を持つ工業建築の差異が際立ちます。
その作品で、ベッヒャー夫妻は1990年のヴェネツィア・ビエンナーレ彫刻部門(!)の最高賞を受賞しています。この、様式がしっかり決まっているからこそ細部や内容が伝わるという制作の手法はテクノロジーの発展によって解体されていく近代工業建築の造形的な魅力を強調するにはとてもぴったりの題材だったのです。そんな2人の教育を受けた写真家たちはベッヒャーシューレと呼ばれ大活躍しています。
でも、タイポロジー的な手法はベッヒャーが最初というわけではありません。
写真史の初期(1920年)に、この手法を用いた写真家にカール・ブロスフェルトという人がいました。ブロスフェルトの作品はLOEWE(ロエベ)の香水のパッケージでもお馴染みですが、この写真たちは、ブロスフェルトが自作した拡大カメラによって可能になりました。この、「植物の細部の拡大」も非常に重要な作品の要素の一部ですが、タイポロジーの手法を用いて図鑑的に並べ、植物の造形的な魅力を発見させたという意味ではベッヒャーと重なります。
そんなブロスフェルトの作風は、「新即物主義」とも言われています。
新即物主義とは、第一次世界大戦後のドイツを中心に流行した、ほとんど非人間的に冷徹に対象を記録していくスタイル。感情や演出などを感じさせないのが特徴です。このような観察&採集的な写真の方法はドライでクール。ですが、このドライ&クール感は、「写真」という機械(メカ)にこそぴったりのテンションです。
加えて、昨年、POLA美術館でも個展が開催され、BTSのRM(キム・ナムジュン)が立体作品を所有していることも話題になったロニ・ホーンも、ドライ&クールなタイポロジー的写真作品を制作しています。
それが、「bird」シリーズ。
アイスランドに生息する野鳥の後頭部を淡々と撮ってまとめた本作は、だんだんとそのシルエットがヒトのようにも見えてきます。淡々と撮影している点ではベッヒャーやブロスフェルトと同じですが、2枚1組にすることで、鑑賞者の「観察」をより強く促される仕組みになっています。
さて、ここまで、3人のアーティストによるタイポロジーの作品を紹介してきました。わたしはこの3者のドライ&クールな写真で、見る者を惹きつける写真家/アーティストが大好きなのです。が、同じタイポロジーでもちょっと違う湿度と温度があるな、と感じるのが潮田登久子さんの「冷蔵庫」です。
潮田さんの「冷蔵庫」では、ドアを閉じた状態と、ドアをあけて中を見えるようにした2枚1組の写真で各家庭の冷蔵庫が採集されています。他のタイポロジーの作品と同様、真正面から撮られているものがほとんどです。
冷蔵庫って、そもそもドライ&クールな工業製品ですが、他方で、家庭の恥部みたいな生暖かいものでもあります(実際、側面をさわると生暖かい)。
いつから入っているのかわからないタッパーとか、雑な保存方法でつっこまれている食品とか、謎のプリントがしてあるホーローの容器とか。恥部である一方、人の家の冷蔵庫ってなにが入っているのか気になる、なんだか魅惑的なものでもあったように思います、特に子供の頃は(人の家の冷蔵庫は開けてはいけない、としつけられた気がする)。だからこそこの写真は、鑑賞者の興味を強く惹きつけます。
本作は、冷蔵庫に「内側」があり、さらに、ほとんど家の中で不動の存在であることによって、その外側にも生活が宿る独特の存在であることから可能になった、一味違うタイポロジーです。
それだから本作の中に、一見するとタイポロジー的には「惜しい」と感じられても仕方ない、斜めから撮影された冷蔵庫の1対の写真があることすら、味わい深く感じられるほど。
実際の冷蔵庫という物体の機能と対照的に、心的な存在としての冷蔵庫には、所帯じみた温度や湿度があります。潮田さんの「冷蔵庫」という作品が示す被写体の機能と、作品における被写体の温度感の差異は、ベッヒャー、ブロスフェルト、ロニ・ホーンのタイポロジーにはなかったものなのです。
プロフィール
村上由鶴
むらかみ・ゆづ|1991年、埼玉県出身。写真研究、アート・ライティング。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学。The Fashion Post 連載「きょうのイメージ文化論」、幻冬舎Plus「現代アートは本当にわからないのか?」ほか、雑誌やウェブ媒体等に寄稿。2022年本を出版予定。
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