カルチャー

『そして彼女たちは』のダルデンヌ兄弟にインタビュー。

2026年3月28日

text: Keisuke Kagiwada
photo: Naoto Date

『そして彼女たちは』は、若くして妊娠した母子のための支援施設で暮らす、5人の少女たちの物語だ。ある者は赤ん坊の存在に戸惑い、ある者は母との関係に悩み、またある者はドラッグ依存症と戦っている。はからずも「君たちはどう生きるか?」と突きつけられた彼女たちを、美談にも悲劇にもせず、ありのままに描いたのは、兄弟監督のジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌだ。二人に話を聞いた。

ⓒLes Films du Fleuve – Archipel 35 – The Reunion – France 2 Cinéma – Be Tv & Orange – Proximus – RTBF (Télévision belge) / PhotoⓒChristine Plenus

ーー『そして彼女たちは』は、お二人が初めて手掛けた“群像劇”と言われています。確かに、5人の若い母親たちの話ではありますが、それぞれの物語が互いに交わることはありません。喧嘩したり、連帯したりしながら、大団円を迎える……みたいな、“群像劇”という言葉から想像していた構造になってないのが興味深かったです。

リュック 私たちは今回の映画を作る前、舞台として使用させてもらった母子支援施設へ見学に行きました。そこでわかったのは、確かに彼女たちは同じ場所を共有しながら生きてはいるものの、それぞれが孤独を抱えていたこと。彼女たちがそれぞれに抱える問題は、決して他人に解決することはできません。もちろん、母親同士の助け合いもありますし、教育係の女性たちのサポートもありはします。しかし、最終的に囚われている殻から抜け出せるか否かは、本人次第なのです。私たちはその現実をありのまま描きたいと思いました。ひとつの全体像を作るために、ある女性のストーリーに別の女性がエキストラ的に参加する物語ではなく、5人のそれぞれ違った独自の話を描こうと考えたのです。

ーーその孤独を際立たせていたのが、撮影手法だと思いました。お二人の映画のカメラは、基本的に一人の人物をバストアップくらいの位置から捉え、動くなら手持ちで追いかけるのが特徴です。今回はその撮影手法が、同じ空間にいるのに孤立している状態、まさに孤独を際立たせているな、と。その上で、だからこそカメラが追いかけるのをやめるシーンも印象に残りました。例えば、ある少年が、ドラッグに手を出して病院に運ばれてしまった少女の代わりに、自分たちの赤ん坊を見に行くシーン。それまで少年を追いかけていたカメラは、部屋のドアの外でそれを止め、外から赤ん坊に近づく彼を見守りますよね。この“追いかける/追いかけない”は、どう決めているのですか?

ジャン=ピエール そのシーンで少年はまず膝をつき、赤ん坊の手に触れます。その姿を遠くから撮ったのは、よりこのシチュエーションに力がもたらされると思ったからです。2人の親密で儚い関係性は、少し離れた場所から捉えてこそ、より存在感を増すのではないかと考えたのです。登場人物のそばでその仕草に寄り添い、彼ら彼女らが生み出す風を感じるのは、私たちにとって大事なことではあります。しかし、ときに近づきすぎるとシーンを台無しにしかねません。それが映画の構成というものなんです。

ーー震えるように微かに揺れるカメラの動きも手伝って、まさに少年と赤ん坊のフラジャイルな関係性が感じられるシーンでした。

ジャン=ピエール 登場人物に時間を与えることも重要でした。途中でカットを変えてクロースアップにするということはせず、撮影場所に流れていた時間と、物語のそれを重ね合わせること。それによって観客にも同じ時間を感じ取ってもらうことができるのです。

ⓒLes Films du Fleuve – Archipel 35 – The Reunion – France 2 Cinéma – Be Tv & Orange – Proximus – RTBF (Télévision belge) / PhotoⓒChristine Plenus

ーーそのシーンもそうですが、劇中に登場する赤ん坊はみんな本物ですよね。ごく当然のように人形を使う映画もよく見かけますが、これもお二人のこだわりだったのでしょうか。

リュック そうですね。ベビーカーに乗せて車道を渡るシーンなどは危険だったので人形を使用しましたが、それ以外では基本的に使っていません。それは赤ん坊も大人の俳優と同じだと考えていたからです。つまり、小道具のように、こちらの都合で出したり引っ込めたりすべきではない、と。もちろん、自分がフィクションの世界にいることを知らない赤ん坊は、カメラの赤い光や、マイクの持ち手などに、興味を持ってしまいます。だからこそ、赤ん坊も含めたリハーサルは、撮影前から入念に行いました。それでも、撮影中にカメラを見つめてしまうといった事態が起こりましたので、そういう場合は時間をおいて再撮影しています。結果的に、1人の母親につき1人の赤ん坊……多くても2人の赤ん坊というカップルを作って撮影を終えることができました。

ーーこれもまた劇中に登場するものの話なのですが、本作の少女たちはほとんどみんなスマートフォンをいじります。物語を踏まえれば当然なのですが、スマホを劇中から排除する監督も少なくありません。ウェス・アンダーソンなんかはその最たる例でしょう。お二人は自作でスマホを出すことに、抵抗はないのですか?

ジャン=ピエール  私たちが作るような映画では、ときにスマートフォンはとても重要な小道具になります。しかし、それは現実において、若い女性をはじめとする多くの人がスマートフォンを日常的に使っているからではありません。少なくとも、それだけが理由ではありません。単なる日用品という枠を超えて、真のドラマが息づくシーンの演出を、可能にするからこそ重要なのです。今回の映画でいえば、とりわけ若い母親の1人であるペルラは、いつもスマートフォンをいじっています。教育係の女性から赤ん坊のお風呂への入れ方を学んでいるときですら手放しません。それは彼女が赤ん坊の父親から見捨てられ、焦っているからです。そして、その仕草がシーンのリズムを作っているんです。

右がリュックで、左がジャン=ピエール。

ーー最後に、少し大きな質問をさせてください。お二人にとって映画を作ることは何を意味するのでしょうか?

リュック 私たちにとって、映画を撮るということは、1人の人間の“顔”を撮ることです。ここでの“顔”とは、必ずしも顔そのものを意味しません。人間の身体のことであって、肩の場合もあるし、手の場合もあります。しかし、代替可能な“顔”ではなく、かけがえのない、唯一無二の個人の“顔”です。それを撮り、存在させることこそが、映画の使命だと思います。私たちは、どこかで見たことがあるような、ステレオタイプの顔には興味がありません。観客が「人間を見た!」と思えるような“顔”を、映像に残すこと。私たちにとっては、それが映画を作る原動力です。難しいことはありますが……。

ジャン=ピエール 付け加えるなら、現代社会には既存のイメージが溢れています。映画の映像にしても、事情は変わりません。本来、カメラとあなたの間には何もないはずなのに、イメージのイメージ、ステレオタイプ、欲望といった既存のイメージが邪魔して、そこに“顔”があるという事実が見えなくなっている。私たちが撮りたいのは、“顔”そのものなのです。だからこそ、人生の脆さ、儚さ、美しさ、そして激しさを、あたかも初めて目にしたかのように撮影する必要がある。初めてではないと知りつつ、それでもなお初めて目にしたかのように振る舞うこと。それこそが、直接的に“顔”と向き合える方法だと、私たちは信じています。

スケッチブックに綴られている言葉は、”Jeunes Mères”。リュックが書いた『そして彼女たちは』のフランス語原題で、意味は「若い母親たち」。

プロフィール

ダルデンヌ兄弟

ジャン=ピエール・ダルデンヌとリュック・ダルデンヌによる兄弟コンビ。ドキュメンタリー映画製作を経て、1986年に『ファルシュ』で長編劇映画デビュー。ドキュメンタリー的な撮影方法で知られ、世界各国の映画祭で賞を受賞している。主な作品に『ロゼッタ』『ある子供』『少年と自転車』『トリとロキタ』など。

インフォメーション

『そして彼女たちは』のダルデンヌ兄弟にインタビュー。

『そして彼女たちは』

若くして妊娠した女性たちを支援する施設で共同生活を送る、ジェシカ、ペルラ、アリアンヌ、ジュリー、ナイマの5人の少女の物語。第78回カンヌ国際映画祭で脚本賞とエキュメニカル審査員賞をW受賞した。「CLOSE クロース」のルーカス・ドン監督が共同プロデューサーに名を連ねている。公開中。