TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#4】健康法の零地点

執筆:三品輝起

2026年4月3日

 店をはじめたころは、不調があるたびに腹筋腕立て、ストレッチ、健康食品、靴下の重ねばき、鉄アレイ、咀嚼法、ランニング、栄養剤、ヨガ、瞑想、半身浴、マッサージ、整体、呼吸法、水泳……などなど、ありとあらゆる健康法をかじった。だが、なにひとつつづかなかった。なにひとつ、だ。健康法とは日々継続しないかぎり微塵も意味をなさない、という意味において、すべからく依存であろう。地上より投射されたボールが、放物線をえがきながら数秒後にかならず足もとへと落ちてくるように、私の健康に対する努力のすべては重力に屈し、確実についえる運命にあった。だからなにもやらなくなった。そしてやれないことをぜんぶ自己証明し終えたあと、疫病が私を街ごと飲みこんだ。

 だれもこない雑貨屋で足を組んで読書すること以外に、いまなにが残っているのだろうかとぼんやり考えた。日がかたむくと往来からひとが消え、ミニパトカーが、こちらは杉並区安全パトロール隊、不要不急の外出を……といいながら走り去っていく。彼らは、朝から数えて街を3周以上はしているはずだった。しばらくもの思いにふけったあと、どんな状況であっても、出勤時間がくれば本を閉じて家から店へ移動し、閉店時間がくると店の鍵をかけて家へと移動する、そんなくりかえしの時間が、濡れた海辺の砂漣のように浮きでてきたとき、普段なら意識することもなく折りたたまれた歩行という、小さなちいさな足場に私は立っていた。これならつづけられる、というか、もうこれがつづけられないのなら運動と名のつくものをやめるほかないだろう、という健康法の零地点を発見した瞬間でもあった。

 まずは4千歩でいい。いや6千歩からだ。ちがう、幸せホルモンは8千歩からである。わかっていない、まず1日の歩行数に千歩ずつ足すのがいいのだ。なにをいっているのか、健康の夜明けは1万歩を超えたところからはじまるだろう。もうしわけないが、1万歩という歩数は万歩計という商品名によってまどわされた国民的な幻想にすぎないのだ。朝がいい。夜がいい。いやいや、しのごのいわず歩きたいときに歩きたいだけ歩くのが心身の健康にはいい。残念だけど、どれほど歩こうが正しい歩き方を知らなければ体のゆがみをかえって助長するだけである。否、ぜんぶまちがっている。そういうすべての歩く強迫観念を捨てて、ただただ自然のなかを無心にさまようべきなのだ。ノン。全員まったく理解が足りていない。だらだら歩くことに意味はなく、意識的に早歩きをはさまねば筋肉の蘇生も、脳内物質の放出も期待できない。ちがうちがう、そうじゃ、そうじゃない……このどこまで行っても高みに達することがなく、でもすべての説に、それなりの科学的な根拠を従えた健康主義の密林を焼き払うところからはじめなくてはならなかった。健康教のおびただしい経典もきれいさっぱり焚書し、その焦土にべつの言葉の種を植えていく。私の自己暗示の道はこんなふうに進んでいった。そしてじょじょに歩数をのばし、遠回りを、逸脱を、無目的な散策を、合目的な歩行を、消費をまとった遊歩をおぼえていった。

プロフィール

三品輝起

みしな・てるおき|1979年、京都府生まれ。愛媛県にて育つ。2005年より西荻窪で雑貨店『FALL』を経営。著書に『すべての雑貨』(ちくま文庫)、『雑貨の終わり』(新潮社)、『波打ちぎわの物を探しに』(晶文社)などがある。

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