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ひとり体験記 その1 「寄席」/文・上白石萌歌

ひとりがたり Vol.27

2025年10月30日

ひとりがたり


photo & text: Moka Kamishiraishi
illustration: Jun Ando

はじめての体験に触れたい。たびたびわたしの心のなかに衝動的に立ち上がる気持ちだ。日々繰り返される営みのなかにふっと新しい空気を取り入れたくなる瞬間は、きっとだれにだってあるだろう。

ある日の昼下がり、突如頭に「寄席」の二文字が浮かんだ。なんとなくテレビで落語を目にしたことはあったが、敷居が高そうなイメージがあり、実際に出向いたことはなかった。日本に生まれたからには、一度は肌で感じてみたい文化! 調べてみたところ、基本的には席がある限り予約なしの当日券でOK、ドレスコードも特に指定はなく、Tシャツにジーンズというようなラフな格好でもよいとのことだった。どうやら想像してたよりずっとカジュアルな気持ちで出向けてしまうみたい。思い立ったが吉日、今日この時この気持ちを逃すまいと、えいやっ、とひとり家を飛び出した。

すこし暑さの落ち着いた真夏の日暮れ、たどり着いたのは都内の歴史ある演芸場。提灯やのぼりに彩られた外観に、さっそく胸がちいさく踊り始める。ついに来てしまった、あこがれの寄席! しかし、こんなにもビルの立ち並ぶ繁華街のなかにひっそりと佇んでいるとは。木戸と言われる寄席の入り口でチケットを購入し、さっそく中へと足を踏み入れた。

サンダルを脱いで裸足で踏む木造の床。建物全体に立ちこめる江戸の風情。天井には提灯がほんのり光を放ちながら並び、畳の香りにはどことなく祖母の家が思い起こされる。荘厳でありながらも和やかな空気が流れているのは、きっと今までここに訪れたたくさんのひとの笑い声が隅々に染み込んでいるからだろう。まだ着いたばかりなのに、身体にまとわりついた錘のひとつひとつを脱いでゆきたくなるような、やわらかな心持ちになる。

1階は前売り券指定席、常連さんっぽいお客さんが肩を並べる。当日券のわたしは2階へ通され、いちばん後ろの4人がけの長椅子に、おじさまたちに挟まれる形で着席。平日にもかかわらず、ほぼ満席の活気あふれる場内! みんなこの場所を心から求めているのがわかる。わたしが選んだのは夜の部だったので、仕事を終えたサラリーマンやお母さんと一緒の幼い男の子など、幅広い年層で溢れていた。

いざ、待ちに待った幕開け! するするっと緞帳があがると、現れたのは照明に照らされ煌々と光る高座に座布団が一枚。舞台装置なるものはひとつもなく、本当に身ひとつで届けているのか…と思わず震える。講談師さんの凛としたよく通る声がすこんと隅々まで響き渡り、ついつい背もたれから離れて前のめりになってしまう。

寄席はひとつの演目が15分ほど。落語や講談だけでなく、色物(いろもの)と呼ばれる漫才や曲芸、手品なども楽しめる。この日はテレビでもよくお見かけするねづっちさんも出演していたので、なんと生「整いました」をうっかり聞けてしまった!お客さん参加型の曲芸も目で見て楽しく、場内は終始笑い声に満ち、和やかな空気に包まれた。人の心をひきつける職人たちが、限られた時間に魂を込めて表現をし、次から次へとリレーのようにバトンを渡してゆく。そのさまはしびれるほどにかっこよく、わははと肩を揺らしながら時間はあっという間に過ぎていった。

この日のトリは『怪談 牡丹灯籠 お札はがし』。落語にあまり馴染みのなかったわたしでも、たまたま知っている題材だったのでかなりテンションがあがった。怪談というものの持つパワーは特殊で、さっきまでの空気とは一変、客席に座っているひとりひとりの心の糸がぴんと張り詰めてゆくのを肌で感じる。たっぷりと怪しさをはらんだ巧みな口調にのせられ、蒸し暑い夜にひんやりと背中も涼んだ。

すべての演目がおわり、めでたく全員で三本締めして演芸場を後にする。なんて充実した没入体験だったんだろう。すっかり日の落ちた真っ暗な空に、過ぎた時間のはやさを思い知らされる。耳のなかには色とりどりの笑い声が心地よく残り、家までの道もなんだか足取りが軽かった。

はじめて触れた寄席という文化。身ひとつの削ぎ落とされた表現は、わたしたちを豊かな想像の世界へとトリップさせてくれる。そしてなにより、笑いというものが灯してくれる光はこんなにもあたたかいのだとあらためて感じた。頬を心をゆるませに、えいやっとまた出向きたい。

ひとこと
いよいよ本格的に冬の到来を感じつつあるので、寝具をぽかぽか仕様に一新しました。あまりの心地よさに、布団から出たくなくなる….
布団vs自分の闘いに打ち勝つんだ、わたしは!

上白石的テーマソング:Hinoki Wood /Gia Margaret

プロフィール

ひとり体験記 その1 「寄席」/文・上白石萌歌

上白石萌歌

かみしらいし・もか|2000年生まれ。鹿児島県出身。2011年、第7回「東宝シンデレラ」オーディショングランプリを受賞。12歳でドラマ『分身』(12/WOWOW)にて俳優デビュー。ミュージカル『赤毛のアン』(16)では最年少で主人公を演じた。映画『羊と鋼の森』(18/東宝)で第42回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。主な出演作にドラマ『義母と娘のブルース』(18/TBS)、『教場Ⅱ』(21/フジテレビ)、『警視庁アウトサイダー』(23/テレビ朝日)、『ペンディングトレイン-8時23分、明日 君と』(23/TBS)、『パリピ孔明』(23/フジテレビ)、『滅相も無い』(24/MBS)、映画「366日」(25/松竹)、「イグナイト –法の無法者–」(25/TBS)」など。映画『トリツカレ男』が11月7日(金)に、映画『ロマンティック・キラー』が12月12日(金)に公開予定。adieu名義で歌手活動も行う。

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