ライフスタイル
[#3] 漫画編集者の仕事の中でいちばん言語化しづらいところ。(担当・中川編)
トーチ編集部員4名によるリレー形式コラム。
2021年5月23日
text: Atsushi Nakagawa
edit: Yu Kokubu
「新文化」の取材を受けました。
同紙は出版業界の動向を伝える業界紙で、私が取材を受けたのは「編集者の仕事」というコーナーです。今までの自分の仕事を振り返る良い機会をいただけたことが嬉しく、また伝統ある業界紙からご指名をいただいたことが光栄で、これまでに培った漫画編集者としての哲学と実践を余すところなくお伝えしようと張り切って取材に臨んだわけです。
当コラムの読者に向けてなぜこの話を始めたかというと、皆さんもしかして漫画編集者の仕事にけっこう興味がおありなのでは? と思ったからです。無かったらすみません。ご興味がおありの方もそうでない方も、本稿、トイレットペーパーみたいに長いですが全部読んでもおそらく15~20分くらいではないかと思います。最後まで読んでくれた方に「へえ」と思ってもらえるようがんばりますので、少々おつきあいください。
「漫画は漫画家が描くわけですよね。じゃあ編集者は何をしているのですか?」とよく聞かれます。件の取材もその辺りのこと、つまり、あんたいつも何してんの、というところから始まったのですが、いや、あー、う~ん、日によって全然……まあ、つくってますよね、本……あ、いや、漫画は漫画家が、装丁は装丁家が……私? 入稿とか……校了とか……メール?とか電話?とか……あとは、なんか、考え事したり……ていうか、え?
漫画編集者が、というか私が普段どんな仕事をしているか、実は私自身が一番わかっていないことがいきなり露呈し衝撃を受けました。執筆している漫画家の横で「先生、もう時間が…!」と急き立てる人であるとか、漫画家とネームの打ち合わせをしている人であるとか、持ち込みの新人に助言か何かしている人であるとか、サザエさんのノリスケであるとか、確かにああいう感じではあるのですが、それが全てでは全然ない。あとノリスケは漫画の編集者ではありません。彼の担当する伊佐坂先生は小説家なのでノリスケは文芸の編集者でした。間違えました。すみません。
よく大手出版社の新卒採用ページなどで「コミック〇〇編集部・東地太郎(とうち・たろう)さんの1日」みたいな感じで先輩社員の仕事が紹介されていますよね。午前10時出社。メールの返信、関係各所への電話連絡、企画会議など(午前中は意外と慌ただしい!) ランチは会社の近くに最近できた南欧風カレーバルで(新しいお店ができたらまず行ってみる! 色々なものに常にアンテナを広げておく好奇心も編集者にはだいじ!)。午後は△△先生と次回ネームの打ち合わせ(う~、漫画家さんも東地さんも真剣そのもの…緊張!)、夕方は雑誌の入稿(写植の書体・級数の指定、アオリ文の作成は編集者の仕事!)、夜は新刊の色校をチェック(仕上がりに東地さんも満足げ。「この作品、絶対売れますよ」とこっそり教えてくれました!)……とかなんとか。こんなもの全部嘘ですからね。いや実際にこういう1日があったとしても、その翌日なんかは二日酔いのため14時に出社。席に着くとサンダルをぬぎ椅子の上に胡座。ツイッター巡回開始。遅い昼食はまるごとソーセージとジョア。漫然とネットニュースなどを見て17時頃ようやく二日酔いがさめてくるのでネット巡回を継続。18時、担当作家に電話。あーもしもし、今週の原稿、明日までに上がらないと落ちますから。そうなるとあなたこの業界で二度と仕事できなくなりますからね。よろしくどうぞ。ガチャン。18時10分、銭湯で一風呂あびてビール片手に雀荘へ……こんな感じですからね。まあこんな人はいないでしょうけど、妙な小話をでっちあげてまで何が言いたかったかというと、上のように時系列で示された普段の仕事というのは、時系列で示すために抽出された特別なものであるということで、これはもはや普段の仕事とは言えないということです。逆に言えば、あれをした、これをした、と一つ一つ羅列してしまった時点で、それはもう「あんた“いつも”何してるの?」に答えるものではなくなってしまうということです。
今、これまで担当してきた本の一覧を改めて眺めているのですが、自分の仕事は優れた作家と作品、そしてそれを購入し楽しんでくれる読者に支えられてきたのだなあ、とつくづく実感しています。世に出すにあたって芸術的・社会的・商業的に正当な理由が全ての作品にあり、特別な思い入れがあります。「新文化」の取材で「個人的に思い入れが強い本は?」と訊かれたのですが、すみません選べません……となって、記者も私も黙り込んだという。この一覧は私の自慢でもありますから、こうして一覧を示すこと自体に、活躍している漫画家たちの名前を借りて自分を大きく見せようという了見が透けて見えますし、漫画家やファンに、あんたに担当者づらされても困る、と言われないとも限らず恐ろしくもあります。私は本稿を通して自慢話をしたいのでは決してなく、あくまでも「私が普段何をやっているのか、やってきたのか」を明らかにし、読者の皆さんに「へえ、漫画編集者ってこんな仕事をしているんだ」と思ってもらいたいがために書き進めているのですが、一覧からわかるのは優れた作家が優れた作品を描いている、ということだけで、眺めているうちに自分が普段何をしてるのか、より一層わからなくなってきてしまい、なんかちょっともうどうでもよくなってきました。
私は自分の担当する優れた作品たちが一人でも多くの読者に届き、その心を打ち、世の中が少しでもマシになることを本気で願うものです。素晴らしい作品が世に出て、沢山の読者が読んでくれている。これ以上のことはないのであって、そのために編集者が何をしたか、普段何をしているかなど、本当にどうでもいいことだなと思いました。私が普段何をしているかを明らかに……などというのは自分こんなに頑張ってますというただの自己主張であり、褒められたいというそれだけのことであって、作品を世に出すため、本を作るため、沢山売るために心を砕き手を尽くして頑張ることなど当たり前のことです。当たり前のこととは、普通のこと、ありふれていること、ありきたりのこと、ですから、私が普段何をしているのかの答えが今、期せずして出たのであって、私は普段頑張っているのです。
漫画編集の仕事に就いて今年でちょうど10年になります。2011年にリイド社に入社し「コミック乱」編集部に配属、2014年「トーチweb」創刊。以来両誌の編集部を兼務してきました。先の担当作一覧を眺めつつ、10年かあ、という感慨を深めているのですが、自分がこの間、一番長く続けてきたことは何だろうと省みるに、山田参助さんの『ニッポン夜枕ばなし』なのでした。2014年4月発売の「コミック乱(2014年6月号)」に第1話が掲載されてから2021年5月現在まで、7年間に渡ってほぼ毎月掲載されています。(※こちらで試し読みができます。)
山田参助さんは、敗戦直後の東京を舞台にした人間ドラマ『あれよ星屑』(KADOKAWA)で2019年の第23回手塚治虫文化賞「新生賞」と同年の第48回日本漫画家協会賞大賞を受賞、『バロン吉元 画俠伝』(リイド社)の編者も務めており、昭和歌謡デュオ「泊」のボーカルとしても活躍されています。『ニッポン夜枕ばなし』は昭和大人漫画のムードで描く江戸の艶笑小噺です。
江戸を昭和の手法で令和の時代に描くという、山田さんにしかできないアクロバティックな技術と、放っておけば失われてゆく愛すべき文化を繋ぎとめようという献身によって描かれています。色々難儀なご時世ではありますが、おあ兄さんもおあ姉さんもはははと笑って元気に明日を迎えませう……といった風情で、とても愉快です。7年というのは一つの連載作品としては長い方で、同誌の定期連載でいえば、さいとう・たかを先生の『鬼平犯科帳』(原作 池波正太郎)、大島やすいち先生の『剣客商売』(原作 池波正太郎)、みなもと太郎先生の『風雲児たち 幕末編』という巨匠たちの連載に次ぐ長さです。
とはいえ、この7年間、漫画を描いてきたのは山田参助さんであって、じゃあ編集者は何をやってきたのという問いに戻るわけですが、私が毎月過たず続けてきたのは、同作の右柱のアオリ文を書くことでした。右柱のアオリ文というのは、漫画雑誌を読まれる方はご存知かと思いますが、各話の最終ページに担当編集者が書くもので、その回のまとめや次回への引きになるような短い一文のことです。コマ外の余白(右柱)に入れたり、最終コマに入れたりします。編集者の仕事というのは日によって、月によって、年によって変わってくるものですが、『ニッポン夜枕ばなし』のアオリ文、これだけは本当にずっとやっています。
アオリ文には作品のガイドとしての適切さと簡潔さが求められます。見当違いのものを入れてしまうと作品の魅力を損ねたり読者の興を削いでしまうので、私はけっこう苦しんで書いています。悩んだからといっていいアオリが生まれるわけでもないですし、これは入稿作業の最後の行程にあたりますので、漫画家から原稿を受け取り、15分後には印刷所に入稿しなければ……という差し迫った状況で書くことが多く、理性と霊感を総動員して一気に書き上げることになります。
『ニッポン夜枕ばなし』のアオリ文76本を改めて眺めてみるに、おれこんなこと書いたっけ? という驚きの連続です。「~すると逮捕されるので注意!」「エッチな妄想のしすぎに注意!」「モチの食べすぎに注意!」といった謎の注意がやたらに出てくる上、「カッパ……水神またはその化身。キュウリ、魚、果物、スモウが好き。鉄、鹿の角、猿が嫌い。」「ツバメ=繁殖期になるとオスはチュビチュビチュビチュルルルルルと比較的大きなさえずり声で鳴く。」といったwikipediaのコピペ、「腐女子の妄想を掻き立てる武士を『BL侍』と呼ぶようになったのは江戸の中頃から。」「今も歌い継がれる春暁尼さまの名歌、古文の授業で習った方も多いのではないでしょうか。」といった、ただの嘘が多くを占め、その時々の苦しい状況が伝わってきます。注意・コピペ・嘘が三種の神器みたいになっているのもひどいですし、大半が「!」「!!」で終わっているのもひどいです。ビックリマークの乱発は、内容のなさを勢いでどうにかしようという不安の表れです。
『ニッポン夜枕ばなし』のアオリ文を書くのは苦しいことです。というのも、同作は艶笑噺ですから、読んだ人がふふっと笑ってくれればこれ以上のことはないわけで、私が我武者羅にこしらえた謎の注意、コピペ、嘘などは間違いなく蛇足であり、できれば無視されてほしいものを書いて公開しなければならない矛盾に引き裂かれているのです。また、山田参助さん自身もこの最終ページにアオリを入れる漫画雑誌の古くからの慣習そのものに懐疑的で、無くても一向にかまわんのではないかという話を時々したりもします。これには私も大賛成で、この右柱のアオリ文がなくなれば作品に要らぬリスクを背負わせることもなく私自身も心安らかでいられるのです。
作者からも読者からも歓迎されておらず、作品にとって必要なわけでもなく、しかも私自身もやりたくないと思っているものを、余白を埋めねばという強迫観念と〆切りに急き立てられて書き続けてきた7年間。単行本に収録されるわけでもなく、誰にも顧みられず、書かれたそばから忘れられ、ただ時の無常を彷徨い消えていく……私が『ニッポン夜枕ばなし』の最終ページの右柱に刻み続けているのは「無」以外の何物でもないようです。
しかし、シーシュポスの神話や賽の河原の説話にもあるように、無意味なことを延々と強要されるのは人間にとって地獄であるにも関わらず、私がこうして7年もの長きに渡って続けてこられたのは一体なぜなのでしょうか。私はこれは一見虚無と見えるものの中にやはり何かしらの「善さ」みたいなものを感じているからではないかと思うのです。逆にそうでなければ7年もの間やり続けてこられたことの説明がつきません。誰にとっての「善さ」か。作品のためでも作者のためでも読者のためでも自分のためでもない、つまり人間のためでもまして動植物のためでもないとすれば、これは神仏のためのものである可能性が高い。だから『ニッポン夜枕ばなし』の右柱は書かれるものではなく「奉納」されるものだとする方がきっと正しいのだと思います。奉納。これも漫画編集者の仕事の一つなのです。
この7年の間に10歳の少年が17歳になったのであり、34歳だった私は41歳になりました。67歳だった実家の母は74歳になり、5%だった消費税は8%から更に10%に引き上げられました。大きな災害がいくつもあり、悲惨な事件がありました。時代は平成から令和へ。あなたは7年前、何をしていましたか? そして今、何をしているでしょうか。
私はつい3日前に77回目の奉納を終えたところです。
それはこういうものでした。
♨︎家にこもりがちな梅雨。セックスなどをして楽しく有意義なステイホームを!
皆さまの明日が穏やかで楽しいものでありますように。
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