カルチャー

特別展示『東京エフェメラ』をレビュー。

クリティカルヒット・パレード

2023年5月29日

illustration: Nanook
text: Chikei Hara
edit: Keisuke Kagiwada

 毎週月曜、週ごとに新しい小説や映画、写真集や美術展などの批評を掲載する「クリティカルヒット・パレード」。5月の5週目は、原ちけいさんによる『東京エフェメラ』展のレビューをお届け!

特別展示『東京エフェメラ』
会場:インターメディアテク
会期:〜9月3日
©インターメディアテク

 近年アートシーンでも耳にする機会が増えた「エフェメラ」とは、ポスターやフライヤー、ハガキなど、一時的な使用を目的として作られる筆記物や印刷物のことを指す。美術作品や書物に比べて小さく、劣化が早いことから廃棄されやすい傾向にあり、以前は美術館や図書館施設でコレクションの対象として目が向けられづらかった。しかし、エフェメラの研究資料的側面と美学的価値から再評価は年々加速しており、企画展での特集や保存収集プロジェクトなども以前に比べて多くなった。

 インターメディアテク(丸の内)で開催中の企画展『東京エフェメラ』は、エフェメラや各種資料によって流通したイメージを通して、戦後東京という都市のアイデンティティを広く捉えようとする試みである。本展では各種地図から都市計画書、報道記事、フライヤー、デザインマニュアル、国外向けパンフレット、観光ガイドマップに至るまで、東京に関わる広義のエフェメラを扱う。どのようにして戦後東京という都市が記述され、市民の手に渡っていたのだろうか?そしてエフェメラそのものの魅力とはいったいなんだろうか?

 1945年の終戦を経て、戦火で荒廃した東京が復興へと向かう中で、新たな東京というアイデンティティの模索が始まる。ここで興味深いのは、GHQの統治下に置かれ日本国内に駐屯するアメリカ軍が対外的に推し進めた「日本の復興」と、日本の行政が推進した復興事業が多層的なアイデンティティを描いていくことである。エフェメラを通して細かく見ていくと、多数の視点が混ざり合う当時の情勢がひしひしと伝わってくる。

 展示冒頭にあるいくつかの地図からは、実体のない空虚な東京の姿が浮かび上がる。戦時中の焼け跡を生々しく記録した『戰災燒失區域表示帝都近傍圖』は東京大空襲の跡を色濃く反映する資料であるが、ほぼ同年代に制作された東京のランドマークを訪日観光客に向けて紹介する『東京・近郊案内絵図』という観光ガイドマップでは、鮮やかな色彩や印刷によって文化的な豊かさが発揚されており、同じ街とは思えないほど両者は異なる見え方をしている。

 経済成長を見据えた大規模なインフラ開拓と生活様式の変化により東京の街並みが大きな変化を遂げる1950年代には、マスメディアの発達により数多くのイメージが生産されていく。朝日新聞社から発行された『TOKYO 東京』は日本で報道写真というジャンルを確立した写真家・名取洋之助によって編集された特集号であり、ルポルタージュ写真が社会で起こった出来事のリアリティを伝えることに貢献していた様子が見て取れる。

 また、随筆家の木村荘八が編集した作品集の別冊として1954年に発表された写真家・鈴木芳一の『銀座八丁』は、京橋から新橋までを東西に一直線で繋ぐ銀座通りを一枚のパノラマとして繋げた、4mに渡る蛇腹折の写真集である。美術作家が制作したアートブックで最も著名な作品の一つである美術作家・エド・ルシェの『EVERY BUILDING ON THE SUNSET STRIP』でもこの様式が採用されている事が有名な逸話でもあるが、こうした歩行者の身体感覚を備えた表現はエフェメラならではであるともいえる。

 都市の発展と共に東京が集合的なアイデンティティをお祭りのような形で形成しようと図られた過程には、1964年の東京オリンピックの存在が大きく関わっている。戦後初めての東京オリンピックの開催がIOC総会で決定した1959年に『東京広報』に掲載された特集「首都高速道路の建設」では、渋滞解決の一環で施工された首都高速道路の連続立体交差の必要性を訴える文面が記されている。世界的にも稀な都市構造をもつ東京がどのようにして大規模なインフラモデルを作り上げたのかを知ることができる資料である。また、同時期に丹下健三研究室が発表した『東京計画1960』は、52ページに渡る冊子で周到な都市調査レポートとメタボリズム思想を体現する改革案の構想を綴っている。急速に拡大する高度経済成長に対応した新しい都市空間を形成するために、皇居を中心とした旧来的な求心型放射状の構造を否定し、東京湾の先までリニアにつながる開けた海上都市を建設する未知の試みは、実現こそしなかったものの都市の未来を描き永遠に拡大する経済圏を模索するケーススタディであった。

 エフェメラは時として、アンダーグラウンドシーンや反体制派の息吹を克明に感じさせる貴重な資料として継承される。戦後に渋谷、池袋とともに東京の副都心として指定された新宿は、独自の文化を生みながら急速な発展を遂げていった。花園神社で繰り広げられた唐十郎の『状況劇場』によるテント公演や新宿東口広場のフーテン、西口地下広場で行われたベトナム戦争に反対するフォークゲリラ集会の様子を伝える資料は、当時の人々の手に渡っ熱量をそのまま伝えて、歴史をそのまま閉じ込めた資料のようである。新宿東口に位置した『アンダーグラウンド蝎座』は、インディペンデントな実験映画を多く扱ったATG映画を紹介する本拠地であった。蠍座のポスターコレクションは、大島渚や寺山修司、岡部道男、大野一雄、0次元、朝倉摂など錚々たる作家がアンダーグラウンドシーンで交わっていたことを知ることができる貴重さと共に、シルクスクリーンのきめ細かい印刷表現とコンポジションの妙に驚かされる。

 エフェメラを通して都市を観察すると、戦後東京は多様な文化と情報が交差しながらも、社会文化的な記号が絶えず消費され続けることで形作られ、スクラップアンドビルドで更新され続けていった実像を結び得ない土地であることが知れる。エフェメラは人々が交流し文化形成を測った過程を知ることができるインターセクションとして機能した記録媒体であったと共に、この物体が作られた背景にある人々の無数の思考が、都市の総体を作り上げたことに気付かされる。

レビュアー

原ちけい

はら・ちけい | 1998年生まれ。写真、ファッション、アートを中心に、幅広い分野でのリサーチや執筆、キュレーション等を行う。主に携わった展示企画に「遊歩する分人」(MA2 Gallery,東京,2022)、「新しいエコロジーとアート」| HATRA+synflux(東京芸術大学美術館,東京,2022)、「不在の聖母」(KITTE丸の内,東京,2021)など。