カルチャー
映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』レビュー。
クリティカルヒット・パレード
2023年4月10日
illustration: Nanook
text: Washitani Hana
edit: Keisuke Kagiwada
毎週月曜、週ごとに新しい小説や映画、写真集や美術展などの批評を掲載する「クリティカルヒット・パレード」。4月の2週目は、映画研究者の鷲谷花さんによる、映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』のレビューをお届け!
やや古びた語彙になりつつあるかもしれないが、かつて「少女趣味」と称された境地がある。たとえば、古典的なディズニー長編アニメーション映画の「プリンセス」たち、たとえば、屋根裏部屋の机の引き出しの小箱の中に、友だちの小鳥やネズミに着せるために手作りした小さな服を溜め込んでいるシンデレラあたりは、「少女趣味」を実践していたといえそうだ。あるいは、中国古典文学の名作『紅楼夢』のヒロイン林黛玉が、屋敷の庭に散り敷く花びらを拾い集め、塚を築いて葬ろうとする、名高い「葬花」の儀式に、「少女趣味」の真髄があるともいえる。
現実の心配事や憂いに取り囲まれた少女たちが、「少女趣味」に慰めを求めたとすれば、やはり現実に耐えがたさを感じる青年男子は、小動物に着せる服を手作りしたり、花びらの墓を作ったりとは別方向の憂さ晴らし――たとえば金閣寺に火を放ち、あるいは盗んだ車で走り出し、パトロール警官を射殺する――に打ち込んできた。本来の筋道からは外れた方面に向かい、自他に破壊的な結果をもたらすとしても、そうした攻撃的な力は、試練を乗り越え、闘争し敵を打倒する、「男らしい」偉業に欠かせないものでもあった。
一方、「少女趣味」に打ち込む少女たちにとって、いずれ立ち戻るべき本来の筋道とは「恋愛」だった。シンデレラはお城の舞踏会で王子様と踊って恋に落ちて結婚し、林黛玉は運命の相手だったはずの貴公子賈宝玉との婚姻の夢破れた絶望に悶死する。シンデレラが、小動物に手作りの服を着せておしゃべりする方ばかりに熱中し、お城の舞踏会と王子様には関心を向けないという展開は、かつては成立しなかっただろう。
大前粟生の同名短編小説を映画化した『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』では、1950年のディズニーの『シンデレラ』の時代には絶対的な「本筋」だった、「お城の舞踏会で王子様と踊る」が除かれ、「小動物に手作りの服を着せておしゃべりする少女趣味」こそが「本筋」となる。そして、過去の時代には、「少女趣味」と、「男らしい」攻撃的な憂さ晴らしの間には、超えがたい一線が画されていたのに対し、主人公の七森剛志(細田佳央太)にとっては、そうした境界線は最初から無にひとしい。路上の水たまりに落ちた白いくまのぬいぐるみを拾い上げ、風呂場で手洗いして優しくバスタオルでくるんでやる冒頭から、七森はかつて「少女趣味」と称された側にいる。
大学の入学式で、七森は、彼にとっての「林黛玉」―独特の鋭い感受性をもち、繊細で、世間に傷つけられて部屋にこもりがちな少女―麦戸美海子(駒井蓮)に出会う。初対面から意気投合したふたりは、連れ立って出町柳の種苗店を冷やかし、鴨川デルタをそぞろ歩き、一見「カップル」らしく過ごすが、七森と麦戸の関係は、一般的な「恋愛」に「発展」することはない。七森は現状では人類相手に恋愛感情をもつことがない。麦戸は、ひとり暮らしを始めるにはオートロックの部屋を選ばなければならず、公共交通機関でいつ不意の加害に遭うかもしれないという、若い女性であるだけで、理不尽なリスクを負わなければならない状況に耐えがたさを感じている。世間において若い「男性」であり「女性」であるという立場に伴う暗黙の了解や役割に適合できないふたりは、大学の「ぬいぐるみサークル」、通称「ぬいサー」に、くつろげそうな居場所を見出す。
「ぬいサー」には、それぞれに生きづらさを抱えながらも、それを生身の人間に打ち明けた場合に相手に及ぼす負担を恐れ、ぬいぐるみを相手にしゃべることにした、「やさしい」人びとが集う。「ぬいサー」のサークル室はぬいぐるみで一杯だが、個別のぬいぐるみの顔や存在感はそれほどはっきりせず、各人の心の中にしまい込まれたつらさ、しんどさのアウトプットに役立つ、いわばSNSアプリ的な使われ方をしているようにも見える。他の話を聴かないようにイヤホンを装着したメンバーたちが、ぬいぐるみを抱えてめいめいの打ち明け話をする部室の光景には、SNSプラットフォームを行き交い流れるテキストを、音声と映像に変換した趣もある。
「ぬいサー」に出入りする面々のうち、白城ゆい(新谷ゆづみ)だけは、ぬいぐるみ相手にしゃべろうとはしない。繊細で傷つきやすい麦戸に対し、より現実的で、世間の物事の道理をわきまえたように振る舞う白城は、『紅楼夢』の林黛玉に対するもうひとりのヒロイン、薛宝釵に近いタイプともいえる。薛宝釵が林黛玉に「女が字を覚えるなど余計なこと」と説くように、白城は「どうせ女は」と口にし、女性差別的な広告やサークルのセクハラを、「怒ってもしょうがない」と受け流す。賈宝玉が真に慕う相手は林黛玉でも、正式な結婚の相手は薛宝釵だったように、七森は誰に対しても恋愛感情をもたないにも関わらず、世間並に恋愛のできる「男」になるための足がかりを求め、自分から白城に申し入れて付き合いはじめる。
七森や麦戸のような繊細さを表に出すことはなく、ジェンダーやセクシュアリティをめぐる保守的な規範を、さして抵抗なく受け流して生きているかに見える白城に対し、七森はたびたび非難がましい態度で接する。しかし、「世間並み」にならねばという自分の都合のために利用している相手を、一方では「自分を傷つける世間」の側に置き、その言動に対して、頻繁に顔をしかめ、「嫌なものになっちゃうよ」と咎める、といったリアクションを返すのは、それはそれで相手を軽んじ、蔑ろにする振る舞いには違いない。
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の後半、優しく繊細な七森と、打たれ強くあろうとする白城の関係において、前者の後者に対する扱いの適当さが見え隠れすることで、本作の描く「傷つく/傷つけられる」関係の複雑さは奥行きを増す。現実に対する適応能力が高い、「世間をわきまえた女」だと見立てられた結果、気軽く利用し、少々粗末に扱っても支障ないということにされてしまう理不尽は、それはそれで、古今東西後を絶たないらしい。
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』は、繊細な人間たちが、自分と自分によく似た存在の苦しみや傷を思いやろうとする「やさしさ」の繋がりを描く一方、そうした「やさしさ」から距離を取ろうとする白城の視線と言葉に、独自の切実な重みをもたせる。社会の主流の規範に自分を合わせることができる「わきまえた」側が、適応困難な側をただ一方的に傷つけるという図式に収まらない、より入り組んだ力関係が、人間同士の間で常にややこしく動き続けている気配に対しても、本作は途切れなく注意を向けつづける。
レビュアー
鷲谷花
わしたに・はな | 1974年、東京都生まれ。専門は映画研究、日本映像文化史。近著に『姫とホモ・ソーシャルーー半信半疑のフェミニズム映画批評』。その他の著書に『淡島千景ーー女優というプリズム』(共著、青弓社)、訳書にジル・ルポール『ワンダーウーマンの秘密の歴史』(青土社)がある。
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