カルチャー

写真集 『JOBIM』レビュー。

クリティカルヒット・パレード

2023年4月24日

illustration: Nanook
text: Runa Anzai
edit: Keisuke Kagiwada

 毎週月曜、週ごとに新しい小説や映画、写真集や美術展などの批評を掲載する「クリティカルヒット・パレード」。4月の4週目は、編集者の安齋瑠納さんが、吉野英理香の写真集『JOBIM』をレビュー!

 2019年、吉野英理香のもとにやってきた一羽の青い小鳥。「音楽のメロディに合わせて美しい声でさえずり、リズムに乗って楽しそうにスウィングする」と吉野が表現するその鳥は、ボサノバの創始者、アントニオ・カルロス・ジョビンから名前を取ってジョビンと名付けられた。本作は、ジョビンという一羽の同居人を主な被写体に、ふたりの生活を取り巻く日常の風景を織り交ぜながら全編インスタントカメラのチェキで撮影された写真で構成されている。吉野が昨年設立した自費出版レーベルPAYSLEY BOOKSから刊行され、デザインは服部一成が手がけている。

 吉野は、1989年から写真家として活動をはじめ、1990年以降はストリート・フォトグラファーとして数々のモノクロ作品を発表。2010年からはカラー作品の制作を開始し、本作はそれ以降に刊行された5冊目の写真集だ。過去4冊は吉野の代名詞ともいえるストリートスナップを中心とした写真集で、すべて横長の判型が用いられている。一方で本作はジョビンを迎え入れてからほどなくして訪れたパンデミック下に、外で自由に撮影することを断念せざる終えなくなった吉野が、主に自宅やその周辺の非常に限られた場所で撮影した写真群で構成されている。手のひらに収まるほどのコンパクトな縦判型の仕様は、吉野の過去作を手に取ったことがあれば非常に新鮮な印象を受けるはずだ。さらに、本作で吉野は、はじめてインスタントカメラのチェキを用いて撮影を行っている。通常のカメラとは、撮影するテンポや被写体との距離感がまったく異なるチェキにおいても吉野のシグネチャーと言える多重露光や光の反射、陰影を捉えた表現は健在だ。むしろ、チェキという小さな世界に吉野の捉える光が収められることで、より一層の輝きを放っているように感じた。それらの写真が実際のチェキと同じ62mm x 46mmのサイズでレイアウトされているのも興味深い。名刺ほどのサイズのチェキを手にした時の感覚やツルッとしたフィルム特有の手触りが、写真集のページをめくりながら感じ取れるような仕様になっているのだ。写真集に収められている吉野の手にちょこんと乗るジョビンの姿。そんな被写体と写真家の親密な関係性が、この写真集とそれを手に取った鑑賞者の間にも生まれていくのではないだろうか。そして、アントニオ・カルロス・ジョビンがその生涯を過ごしたブラジルの国旗を彷彿とさせる明るい黄色と緑を用いた表紙を一度開けば、軽快で温かみのあるボサノバの音色のような優しい時間が流れはじめる。

 パンデミックという未曾有の事態は、結果、吉野にチェキという新たな手法とジョビンという新たな被写体に向き合うきっかけを与えた。しかし、写真集の最後に収められている東京都写真美術館学芸員、武内厚子のテキストには、パンデミックに対する吉野の「これまでに感じたことのない恐怖や閉塞感」、「写真を撮影しないことによって閉塞感が増えていった」というコメントが綴られている。ストリートスナップを主軸に活動を続けていた吉野にとって、街に出てさまざまな被写体に出会うことが制作の原動力であったことは容易に想像できる。そして、予期せぬ形で制作を止めざる終えなくなってしまったことは、吉野にさらなる閉塞感を与えたに違いない。しかし、同時にその閉塞感から解放してくれたのも写真だったのだ。家の中というプライベートかつ限られた空間で、吉野にインスピレーションを与え、そっと寄り添い続けたジョビンの存在は、軽率にペットと呼ぶことはできず、同居人やパートナーという言葉が相応しく感じる。

 武内厚子はテキストの中でジョビンと吉野の関係性を「ただそこにいるだけで十分」と表現している。当たり前が当たり前でなくなった世の中で、誰か、何か、に対してただそこにいるだけで十分だと素直に思えること。自分や他人との向き合い方、仕事や生活のあり方が大きく変わっていった数年間を経て、大切な存在について改めて考えるきっかけをくれるような作品だ。

レビュアー

安齋瑠納

あんざい・るな|1995年、長野県生まれ。2011年に渡英。ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション、ファッションフォトグラフィー学科を卒業後、2017年に帰国。以降、東京を拠点とするクリエイティブエイジェンシーkontaktでプロデューサーとして従事しながら、写真やファッション関連の執筆を行う。