カルチャー

今月の副読書。Vol.5/寺尾紗穂『戦前音楽探訪』

歴史に埋もれた人々の“歌”に耳を傾け紐解くエッセイ集。その探訪の旅路を導いてくれた3冊。

今月の副読書。

photo: Yuki Sonoyama
text: Ryoma Uchida
edit: Kosuke Ide
2026年4月 948号初出

2026年4月6日

「副読書」とは教科書の補助的教材として用いる資料集など、二次的に参考にするための書物のこと。本連載では毎回1冊の本を取り上げ、併せて読みたい「副読書」を著者が自らレコメンド! 理解を深め世界を広げる〈副〉読書のススメ。

今月の本

今月の副読書。Vol.5/寺尾紗穂『戦前音楽探訪』

『戦前音楽探訪』

ミュージシャンとしての活動の傍ら、執筆活動を続けてきた著者が、「五木の子守唄」「炭坑節」「隣組」など、古謡、わらべうた、労働歌、流行歌などの日本の戦前音楽を探求する音楽エッセイ集。土地へ足を運び、時に地元の人の話を聞き、時に図書館でリサーチし、その歌の作詞家や作曲家、訳者、それを歌った人々の背景へと分け入り想像を膨らませる。2019〜2024年まで『ミュージック・マガジン』誌上で連載された内容を書き下ろしを加え、書籍化。(ミュージック・マガジン)

💬「本当はいくつもの声があるけれど、小さな声は歴史に残らない」

 昨年は「戦後80年」の区切りということもあり、関連する番組の放送や書籍の刊行など、戦後の日本がこの80年間に辿った道のりにいま一度目を向ける機会が多かった。そんな最中、昨夏に寺尾紗穂さんが上梓したのが『戦前音楽探訪』。愛媛県今治市大三島に伝わる「浜子歌」や、沖縄県八重山地方に伝わる「月ぬ可愛しゃ」など、同時期にリリースしたオリジナルアルバム『わたしの好きな労働歌』ともリンクしながら、古謡、軍歌、特攻隊が作った替え歌などについてが丹念なリサーチに基づき軽やかに綴られる。本書にあるのは「戦後80年」という大きな括りの言葉からは抜け落ちた遠くの世界、すなわち「戦前」「戦中」の風景、人々の営み、録音技術が発達する以前から各地で伝承されてきた歌の数々だ。

 2019年から2024年末にかけて『ミュージック・マガジン』誌上に掲載された同名の連載をまとめた本書。自由な音楽連載を、という最初の依頼を受け、寺尾さんが「戦前」の歌へフォーカスしたのには理由があった。

「これまで文章では、戦争や植民地について『南洋と私』『あのころのパラオをさがして』『日本人が移民だったころ』など、サイパンやパラオといった南洋を起点としたノンフィクションを書いてきました。その取材の際に、教育勅語をはじめ皇民化教育を受けたチャモロ(グアムなどに暮らす先住民族)の人々から『隣組』『洒落男』など日本語の戦時歌謡を聴いたんです。彼らはずっと覚えていたんですよね。取材当時はピンとこなかったのですが、後々ちゃんと調べなくちゃと頭のどこかにあったんです。そこから戦前の音楽へと興味が広がりました」

 とはいえ、戦前の歌にはかなりマイナーなものや、作者不明のもの、まだ発見されていないものまで多数ある。寺尾さんはそれらについて時間をかけながら、YouTubeのSP音源や国会図書館のデジタル資料、ライブで訪れた土地の資料館などで調査を重ねる。書名に掲げられた「探訪」とは寺尾さん自身の学習の道程なのだ。今回、副読書に挙げた松永伍一『定本 うたの思想』『武満徹 エッセイ選―言葉の海へ』の2冊は論考集とエッセイ集。体裁は違っても、いずれも音楽を話題の中心に様々な著者の思考が張り巡らされ、「探訪」感が味わえるはず。

副読書①

『定本 うたの思想 ―唄の救い・歌への挑戦―』松永伍一

詩人として活動し『日本農民詩史』や子守唄研究で知られ、文学・美術・民俗学評論などの分野で文筆を行った松永伍一(1930〜2008)による、唄に関する論考集。私的な事柄や映画、お笑いなどの話題も交えつつ「わらべうた考」「軍歌考」から「森進一論」、生前親交の深かった「西郷輝彦への手紙」まで幅広く展開する。現在は絶版。(新人物往来社)

副読書②

今月の副読書。Vol.5/寺尾紗穂『戦前音楽探訪』

『武満徹 エッセイ選 ――言葉の海へ』武満 徹

若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画やテレビをはじめ、戦後日本の前衛音楽を代表する作曲家として知られる武満徹。名曲「ノヴェンバー・ステップス」の作曲秘話や、ビートルズについてをはじめとした音楽評論、文化論など、生前に残した多くの著作の中から幅広いジャンルを網羅したエッセイ62編を厳選し、文庫オリジナル編集としてまとめた一冊。(筑摩書房)

『うたの思想』は、子守唄や古謡などについて調べていたときに出合いました。実は、戦前の歌謡について書かれた本はあまり多くないんです。けれど、今でもみんなが当たり前に口ずさむメロディや歌詞がどこから来て、どう訳されたのか知りたかったし、実際に辿っていくと興味深いんですよね。この本では、田植え唄から森進一論まで扱っていて、振れ幅も広く、読み応えもあります。著者の松永伍一さんは詩人としても活動されていたからか、学術的な視点にとどまらず、自分自身の感覚が詳細に書き込まれているんです。歌を聴いた当事者としての気持ちがありありと記されていて、それが面白い。『武満徹 エッセイ選』『戦前音楽探訪』の最後の章にて、著作権に関する文章を引用しました。図書館などで、誰かが後世に伝えるため残した地元の歌の楽譜が見つかることがあるのですが、館の慣例によっては複写できないんですよね。本来作者のいない古謡に著作権などないのですけど、一律に楽譜はだめ、としていたりする。それに、歌をカバー曲として歌う際にもかなりの使用料が設定されていることがあります。武満さんは本の中で『著作権は野蛮ではないか』と問うていて。音楽が録音物として形になると、それを囲い込み、誰かの固有のものとして、お金に変えるシステムが生まれる。人間の創造性を広く共有“させない”ことで、法的に音楽を保護する。それは先進的なことなのか。私自身、このシステムによって生計が成り立っているわけではありますが、その問いからは、録音技術が生まれる以前の音楽芸術の自由な在り方と現在との落差を考えてしまいます」

 歌ってそもそも何だっけ。そんなことを思わせてくれる書籍たち。音楽は単なる商品ではなく、生活や身体と密接に結びつき、もっとリアリティのあるものだったのではないか。だからこそ寺尾さんは戦前の音楽を受け継ぎ歌っていく上で、人々がどんな状態で、どれくらい過酷だったのか、その歌の背後に隠れた景色を理解したいと思うのだろう。

「戦前の音楽について、これまでにも民俗学や音楽史の観点から書かれた書籍もありますが、学術的であればあるほど、一つ一つの細かな話への言及は抜け落ちてしまうことがあるんですよね。私としては、もっとそれぞれの歌の面白さを取り出して想像したい。例えば、以前にアーティストの小林エリカさんとの音楽朗読劇『女の子たち風船爆弾をつくる』でも歌った『海ゆかば』という軍歌。私は中学高校と桐朋女子に通っていて、そこは昔、造船成り金が軍人の子弟教育のために、と資金を出した経緯があり、開校に際して東條英機が来校したような学校だったのですが、まるで校歌のように『海ゆかば』を歌っていたそうです。私は在学中、新聞部で『山水』という校内新聞を作っていたのですが、そのタイトルは『海ゆかば』の歌詞『海行かば 水漬く屍、山行かば 草生す屍』から取ったという説もあり。当時はそんなこと全然知りませんでした。知らない間に歴史に触れていた。戦時中に軍国主義に巻き込まれていった人や高揚する空気に乗せられていった人の気持ちとか、なかなか想像し難いけれど、やはり歴史の続きの中に、今の私たちがいる」

 抜け落ちた歴史に光を当て、声なき声に耳を傾けること。例えば、寺尾さんが本書で「大きな古時計」を扱った章。編曲者の仁木他喜雄の歩みを紹介しつつ「仁木はその仕事量の割に伝記の一冊も出ていないのだが、『他を喜ばす』か『他の幸福を喜ぶ』か、他喜雄という美しい名前を付けた彼の両親とともに気になる存在である」と記しているのが面白い。多くの人々の人生は伝記にも残らないけれど、残らないことと存在しないことは同義ではない。寺尾さんは、エッセイならではの距離感で、見知らぬ誰かに寄り添い、歴史が見落としてきた小さな視点を想像する。きむらけんによる『鉛筆部隊と特攻隊』は、書籍を貫く著者のそんな姿勢に共感した。

副読書③

今月の副読書。Vol.5/寺尾紗穂『戦前音楽探訪』

『改訂新版 鉛筆部隊と特攻隊』きむらけん

童話作家、郷土史家、文化探査者である著者が「北沢川文化遺産保存の会」として活動するなかで、ネット上に寄せられたコメントから明らかになった戦争秘話を追ったドキュメント。1945年、長野県の浅間温泉に滞在していた特攻隊員たちと疎開学童“鉛筆部隊”との知られざる交流。その歴史に埋もれた物語を発掘し、特攻隊史に一石を投じた一冊。(えにし書房)

「実は、昨年3月にリリースした楽曲『浅間温泉望郷の歌』はこの本の著者、きむらさんが発見した曲です。1945年3月、松本の浅間温泉で特攻隊を送る壮行会が開かれ、そのエリアに世田谷区から疎開していた学童の前で隊員が歌った歌なんですよね。それを当時学童として聴いて覚えていた方がつないだ奇跡的な曲だったんです。そんなきむらさんは歴史の中では埋もれてしまっていた浅間の特攻隊について多くの著作を書かれているので、ぜひいろんな作品を読んでもらいたいです。特攻隊についてもみんななんとなくは知っていると思っているけれど、実際に隊員一人一人が何を感じていたかまではわからないですよね。『故郷や家族を守るために出陣した』と語られがちですが、もっと個人にフォーカスしてみると違う景色が広がっているんです。マスコミの取り上げられ方、見出しの付けられ方によって省かれていってしまうものが必ずある。本当はいくつもの声があるけれど、小さな声は歴史に残らない」

 漠然とした「戦前」のイメージのなかに埋もれたいくつもの小さな声。社会の変化に翻弄されながら生きてきた人々が何に悩み、何をして、どう生きてきたか。「戦前」を探訪し想像することは僕らが歩む「戦後80年」のその先につながっているはずだ。

「戦前、とはもちろん戦争へと向かう時代。軍国主義が広がる中では、検閲や世間の『空気』の中で何も言えなくなる。それはただの昔話ではなく、今だってどうなるかわかりません。けれど、古謡や労働歌を辿ってみると、市井の人々の辛さの紛らわしや笑いの創造など、そこで生きた人々の生活の声が湧き上がる。洗練はされていないけどリアルな歌が。そういう歌は、大きなものに回収されない。これからどんどん『国』とか『日本人』とかに回収されうる歌が無意識にも意識的にも作られていくと思いますけど、庶民が生活の中で長いこと歌ってきたのはそういう歌じゃない、個人のばらばらな小さな声だって知っておいたほうがいいと思いますね」

プロフィール

寺尾紗穂

てらお・さほ|シンガーソングライター、文筆家。『りんりんふぇす山谷』の主催など、その活動は多岐にわたる。昨夏には『わたしの好きな労働歌』をリリース。

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