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プレッピーを更新する3つのマイルストーン。
What’s TOMMY HILFIGER?
2026年3月6日
text: POPEYE
photo: Naoto Kobayashi
translation: Togo Uchida
1985年の誕生以降、〈トミー ヒルフィガー〉の歩みは、プレッピーが色彩やポップさを帯びる道のりと重なる。それは、人々がプレッピースタイルに目覚め、ファッションの歓びを知る過程でもあるのだ。
プレッピーを切り拓く〈トミー ヒルフィガー〉の歴史には、象徴的な3つのマイルストーン、すなわち画期的なトピックスがある。1つ目はトミーさんがブランドを立ち上げ、デザイナーとして成功を掴むまでのサクセスストーリー。2つ目はプレッピーがカルチャーを帯びる先駆となった、時代を彩るミュージシャンとのつながり。そして、3つ目はモータースポーツとセーリングとの邂逅。幼少期からスポーツ、特に海やマリンライフに憧れと情熱を抱いていたトミーさんにとって、それは夢の実現でもあった。
ここでは3つのマイルストーンを基軸に、トミーさんの自叙伝『AMERICAN DREAMER』から名言を引用しながら、〈トミー ヒルフィガー〉が世界的なブランドになるまでの道程を紹介したい。
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プレッピーをツイストさせ、叶えたアメリカンドリーム。
This is one of my core beliefs: No one is an inventor in the fashion business.
No one creates the pant, no one creates the shirt or the sweater or the jacket.
Designers re-create fashion. We take something that exists and make it newer.
これは私の核心的な信念の一つだ。ファッション業界に発明者は存在しない。
誰もパンツ、シャツ、セーター、ジャケットを創造はしない。
デザイナーはファッションを再創造するのだ。
既存のものを取り入れ、新たな形に作り変えるのだ。
多種多様な遊び心(ツイスト)によってプレッピーを再創造し、魅力的なスタイルとして更新し続ける。『AMERICAN DREAMER』の中で目を引いた名言は、そんなトミーさんと〈トミー ヒルフィガー〉の在り方を象徴している。
実はトミーさんも、ファッションビジネスの最初からプレッピーの道を選択したわけではない。NYのエルマイラという街に小さなブティック『ピープルズ・プレイス』を開店したことがキャリアの始まり。トミーさんはビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、レッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックスといったアーティストの音楽に魅了され、「ミュージシャンのファッションに携わりたい!」との思いを募らせる。
1969年、18歳の学生だったトミーさんは、わずか150ドルの資金で店を開くことを決意。当時、アメリカではカウンターカルチャーが勢いを増し、若い世代は自由と個性を求めていた。このムーブメントに敏感だったトミーさんは、ロックTシャツやベルボトムのジーンズといったスタイルで、若者文化と音楽を融合させた空間を自ら作り上げたのだ。
ビジネス的な浮き沈みを経験したものの、このショップを通して「人々にインスピレーションをもたらす服を作る!」という信念を育んだ。この創業体験は起業家精神を呼び覚まし、〈トミー ヒルフィガー〉設立へとつながっていく。
トミーさんは過去にコカ・コーラのユニフォームとプロモーションウェアをデザイン。このコラボレーションは、世界的なマスブランドとファッションを結びつけた先駆的な事例として、大きな意義を持つ。
実用一辺倒だったユニフォームに鮮やかな色彩とプレッピーな要素を加えて、コカ・コーラを若々しいイメージへと刷新することにも成功。このときの知見が、ポップで親しみやすく、そして紛れもなくアメリカらしい、後の〈トミー ヒルフィガー〉のシグネチャースタイルの基礎を築いた。
1985年、トミーさんは〈トミー ヒルフィガー〉を設立。ボタンダウンシャツやチノパンなどのクラシックアイテムにツイストを加えると同時に、無名のデザイナーがアメリカを代表するデザイナーたちと肩を並べる心意気を示した“ハングマン広告”という、ひねりを加えたプロモーションで一躍時代の寵児に。
1995年には、トミーさんが権威あるアメリカファッションデザイナー協議会(CFDA)からメンズウェア・デザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞。この栄誉はクラシックでプレッピーなスタイルにモダンな感性を注ぎ込み、アメリカのメンズウェアに革命を起こしたことへの称賛であり、グローバルブランドとして認知された証しでもある。2012年にCFDAから名誉ある生涯功労賞を贈られるなど、その後も数々の受賞歴を誇る。
もちろん、トミーさんのサクセスストーリーはトロフィーの数だけでは計り知れない。プレッピーを華やかに、そして素敵に磨き上げる熱意やアティチュードによって、トミーさんは世界中のファッション好きから敬愛されている。これこそが、トミーさんにとっての最高の“成功”なのかもしれない。
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音楽とのシンクロにより、カルチャーとして語られるブランドへ。
That was the night that made Tommy Hilfiger supremely cool with “the youth.”
We were trending. We were legit.
あの夜こそが、〈トミー ヒルフィガー〉が“若者”の間で最高にクールになった瞬間だった。
我々はトレンドの最先端に立っていた。我々は本物だった。
トミーさんの自叙伝『AMERICAN DREAMER』の該当文からは、“あの夜”の興奮がつぶさに伝わってくる。
あの夜とは、1994年にラッパー、スヌープ・ドッグが『サタデー・ナイト・ライブ』で〈トミー ヒルフィガー〉のラガーシャツを着てパフォーマンスを披露したスペシャルナイト。影響力のあるテレビ番組にて、最高にクールなアーティストが身に着けたことで、ブランドがユース層に浸透したのはもちろん、プレッピースタイルがまた新たな色彩を帯びることになった。ヒップホップミュージックおよびストリートカルチャーとの幸福な出合い。ファッションのみならず、カルチャーの文脈でも語られるブランドへと進化する大きなきっかけとなった。
1994年、スヌープ・ドッグが『サタデー・ナイト・ライブ』で着用したラガーシャツ。ブランドのアイコンであるレッド、ホワイト、ブルーの3色を左右非対称に配置。首周りのストライプの裏地は、一見では気付かない、心憎いツイスト。
では、なぜスヌープ・ドッグは〈トミー ヒルフィガー〉を選んだのか。その経緯も『AMERICAN DREAMER』には記されている。トミーさんが弟のアンディとF1を観戦した帰路。LAに向かう空港で、〈トミー ヒルフィガー〉を着用したヒップホップクルーと遭遇。アンディが「グランド・プーバとブランド・ヌビアンだ。彼らの曲『360°(What Goes Around)』で、〈トミー ヒルフィガー〉のことをラップしているよ」とトミーさんに伝えて、クルーや彼らのスタイリストとの交流が始まり、そこからスヌープ・ドッグとの知己を得る。スヌープ・ドッグから『サタデー・ナイト・ライブ』のリハーサル直前に電話を受けたアンディは、大量の服をホテルに持っていき、そこから興奮の一夜へとつながるのだ。
1992年の楽曲で〈トミー ヒルフィガー〉の服に言及する一節があるということは、ヒップホップ界隈では、既にクールなブランドと認識されていたことの証左でもあろう。
ミュージシャンからの支持は、ヒップホップアーティストにとどまらない。1995年、マイケル・ジャクソンが音楽雑誌『VIBE』で〈トミー ヒルフィガー〉を着用したのである。“キング・オブ・ポップ”が、ポップなプレッピーを身に着けたのは、まさに一大トピック。普遍的でありながら、常に挑戦心を抱き続ける。 “アメリカンドリーム”という視点からも、両者の緊密な関係性は大きな意義を持つ。
モノトーンのプレッピーが、“キング・オブ・ポップ”の称号を持つ、マイケル・ジャクソンの静謐な佇まいを際立たせる。
その後も、〈トミー ヒルフィガー〉とミュージシャンとの邂逅は続く。1999年、マライア・キャリーとともに恵まれない子供たちのサマーキャンプのための資金を集めるチャリティオークションを開催した。マライア自身がカスタマイズした〈トミー ヒルフィガー〉のデニムショーツをオークションに出品。ファッションを通じた社会貢献という新たなアプローチを示した。
同年、ロック界のレジェンド、ザ・ローリング・ストーンズのワールドツアーの公式スポンサーになるなど、〈トミー ヒルフィガー〉は枠にとらわれないアクションを見せる。
2003年には、音楽界とファッション界のアイコン的存在のデヴィッド・ボウイと妻でスーパーモデルのイマンをキャンペーンモデルに起用。ボウイのアーティスティックな個性とイマンのエレガンスが融合したビジュアルを通して、“ロックとラグジュアリー”が調和した新しい美学を提示した。このコラボレーションは、〈トミー ヒルフィガー〉が単なる若者向けブランドではなく、文化や芸術を包含するモダンなアメリカンカルチャーの象徴であることを、世界にあらためて知らしめたのである。
2016年の『MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード』、そして2017年のグラミー賞授賞式で、ブルーノ・マーズが〈トミー ヒルフィガー〉の衣装を着用してパフォーマンス。鮮やかなブランドカラーを基調とした、光沢のあるスポーティなスタイルは、1980年代から’90年代のアメリカンカジュアルとポップカルチャーをミックスさせ、彼のステージ上での存在感を際立たせた。
2017年春夏コレクションでは、レディー・ガガがランウェイショーの会場に〈トミー ヒルフィガー〉のドレスを着用して来場。時代のミューズとのつながりは、〈トミー ヒルフィガー〉の世界的な求心力を雄弁に物語っている。
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ブルーノ・マーズは2016年の『MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード』にて、〈トミー ヒルフィガー〉のアイコンであるレッド、ホワイト、ブルーを全面にデザインした衣装に身を包み、自身のヒット曲「24K Magic」を披露した。
©Getty Images
2017年春夏コレクションでは、レディー・ガガがランウェイショーに来場。まさに、稀代のポップアイコンであるガガと〈トミー ヒルフィガー〉のマッチングは、ファッションやカルチャーをダイナミックに動かすという、ブランド側の姿勢を端的に示している。
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2013年のツアー『Under The Influence Of Music』にて、A$AP Rockyが〈トミー ヒルフィガー〉のニットを着用してパフォーマンス。白いボディにブランドのアイコンである“フラッグロゴ”を大胆に施した一着は、プレッピーというクリーンな世界に長い年月をかけて落とし込まれた多彩なカルチャーの奥深さを教えてくれる。
次はどんなアーティストがコミットするのか。今や皆の耳目を集める〈トミー ヒルフィガー〉だが、そこにあるのは話題先行ではなく、ファッションとカルチャーの強い結び付きから生まれる、ポジティブなエネルギーをより多くの人に届けたいという想い。だからこそ、〈トミー ヒルフィガー〉の服やスタイルは、常に気高い明るさを保ち続けるのだ。
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セーリングとF1との“絆”がプレッピーを優雅に躍動させる。
I’ve always loved the look and feel of yachting and sailing and being on the sea.
It conjures places in the world infused with wealth, warmth, romance, excitement, inspiration, and aspiration.
私はヨットやセーリング、そして海にいる時の風景や感覚がずっと好きだ。
それは豊かさと温もり、ロマンと高揚感、インスピレーションと憧れが満ちた、世界各地の場所を思い起こさせる。
〈トミー ヒルフィガー〉を象徴するアイテムといえば、真っ先にセーリングジャケットが挙がる。船上でアクティブに動くための機能を備えたシンプルなウェアを、配色の妙や素材の切り替えでツイストさせる。『AMERICAN DREAMER』の一節からは、トミーさんがシティウェアとしてもセーリングジャケットを愛する理由が伝わってくる。それは、海から湧き立つロマンをいつでも感じていたいからに違いない。
『AMERICAN DREAMER』にはブランド創設時の服づくりについて、「私は2つのテーマに集中した。航海とサファリである」というトミーさんの言葉もある。ともに冒険がキーワード。それはデザインモチーフであると同時に、常に挑戦するという決意表明でもあったのではないか。
幼少期からスポーツに深い情熱を抱き、特にユニフォームデザインに強い関心を抱いたトミーさん。その観点からも、セーリングは重要なキーワードで、〈トミー ヒルフィガー〉の根幹の一つといえる。
セーリングジャケットの配色にはアイコンの“フラッグロゴ”が落とし込まれている。航海用フラッグ(国際信号旗)には、それぞれのアルファベットに対応した柄や色の異なる旗があり、本名のトーマス・ジェイコブ・ヒルフィガーのTとJとHを示す3つのフラッグをドッキングさせて、このロゴはデザインされた。前立ての裏地はグリーン。これまた小粋なツイストだ。
トミーさんの憧れの結実として、2003年にはセーリング競技に参入。世界トップクラスのクルーとパートナーシップを結び、クラシカルなアメリカーナのスタイルに、高い機能性をもたらした。
そして、それはパフォーマンスの追求のみならず、トミーさんがデザインに込めてきた自由と決意の精神を示す。2024年には、現在まで続く、アメリカのSailGPチームの公式ライフスタイルアパレルスポンサーに。海への情熱は、ほとばしることを止めない。
アメリカのSailGPチームのユニフォームはもちろん、船体や帆にも〈トミー ヒルフィガー〉のブランドネームが掲げられる。
エネルギーを注ぎ込んだのは、セーリングだけではない。F1のフェラーリチームに所属していたミハエル・シューマッハのレーシングスーツの胸元に、〈トミー ヒルフィガー〉のワッペンが貼られていたことをご存じか。F1への憧憬もまた、公式パートナーという形で実を結んでいる。
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1998〜2001年、F1のフェラーリチームをスポンサード。皇帝、ミハエル・シューマッハのレーシングスーツの胸元で、〈トミー ヒルフィガー〉のロゴが誇らしげに存在感を放つ。
契機となるエピソードは『AMERICAN DREAMER』にも綴られている。それはブランド創業以前の1972年、F1観戦の際に、バックヤードを訪れる機会を得たときの話だ。
「メカニックやドライバーたちがお揃いの黒のユニフォームで集まっていた。世界一クールなスタイルだ。私は思った。これをショップで販売できたら、いや、自分で着られたら最高だな!」
1991年にはロータス・チームの公式スポンサーに。ドライバーのためのレーシングスーツはもちろん、スタッフが着用するアパレルなどを提供。これにより、プレッピーをベースにしたアメリカーナのブランドに、よりスポーティでアクティブな要素が加わり、国際的な知名度が一気にアップしたのである。
2018年にはメルセデス-AMGおよび同チームのF1ドライバーであるルイス・ハミルトンとのパートナーシップを締結。史上最多タイの7度の年間チャンピオンを獲得しているハミルトンは、人種やジェンダー、環境問題に積極的に取り組む社会活動家の一面も。オーガニックコットンやリサイクル素材の使用など、環境に配慮した生産を推進しながら、彼の“個性”を反映したジェンダーニュートラルなデザインやストリートウェアを発表。
華やかなだけではなく、常に先を見据えた、奥行きのある取り組みもまた、〈トミー ヒルフィガー〉の矜持として世界に認知されることになる。
2025年、トミーさんのF1への情熱はサーキットを飛び出した! 同年公開の映画『F1/エフワン』に公式スポンサーとして参加。ブラッド・ピットとブランドアンバサダーのダムソン・イドリスが出演する映画は、F1という音速の世界を舞台に、情熱と挑戦を描く。
F1との長年にわたる関係を生かして、〈トミー ヒルフィガー〉は登場人物の衣装デザインやプロモーション用アパレルを提供。音楽とスポーツに加え、映画というカルチャーをまとうことに。
2026年にはF1に新規参入するキャデラックF1チームとの公式スポンサー契約を結ぶ。アメリカの自動車メーカー、キャデラックとのパートナーシップは、2つのアメリカンブランドによる歴史的なコラボレーションとして大きな注目を集めている。
また、〈トミー ヒルフィガー〉×キャデラックF1チームのファンウェアコレクションも展開。公式チームユニフォームのレプリカをはじめ、両ブランドのロゴをあしらった多彩なアイテムをラインナップ。’26年シーズンを通して、特定のレースやドライバーの重要な瞬間に合わせた、追加ドロップも予定されている。
両者は“革新性と誇り”という共通の哲学を持ち、F1というエキサイティングな国際舞台で、オーディエンスを高揚させ、フレッシュで気高いエネルギーを放つことだろう。
そして、2026年の年明け早々に飛び込んできたビッグニュース! 〈トミー ヒルフィガー〉がサッカーのイングランド・プレミアリーグの名門、リヴァプールFCの公式グローバルパートナーに就任したのだ。NYのプレッピーのヘリテージとリヴァプールFCの本拠地スタジアムであるアンフィールドのスピリットの融合から、どれほどのポジティブなケミストリーが生まれるか。想像するだけで、高揚する気持ちが抑えられない。
トミーさん、そして〈トミー ヒルフィガー〉のアメリカンドリームは終わらない! プレッピーをもっとポップに、よりアクティブに、さらにエレガントに。勇気と創造性、そして大きな夢を持つという信念に突き動かされながら、物語はこれからも続く。新たな“マイルストーン”が築かれる日は、きっとそう遠くない。