カルチャー
二十歳のとき、何をしていたか?/RYO-Z
2026年1月11日
photo: Takeshi Abe
styling: Hideyuki Kanemitsu
hair & make: Miki Yoshizawa
text: Neo Iida
2025年2月 946号初出
東京下町、住吉の商店街で育った、
音楽とダンスに魅せられた少年が、
ヒップホップクルーを作るまで。
カーキのコート 参考商品(ハイスクリームセンター highscreamcenter@gmail.com) デニムジャケット¥50,600(コノロジカ)、チェックシャツ¥51,480(マナベ/ともにヘムト☎03·6721·0882) パンツ¥40,700(ハイスクリームセンター) ツイードのキャスケット¥12,540(カシラ☎03·5773·3161) その他は私物
ローラースケートにハマり、
運命のマイメンと出会う。
2026年3月に結成25周年を迎えるRIP SLYME。底抜けに眩しくてエモい平成のヒットチューンと令和の新曲を携えた4MC+1DJの5人は昨年10月、11月のワンマンツアーを駆け抜けた。そのMCの一人RYO-Zさんが生まれ育ったのは、墨田区イチの繁華街、錦糸町から程近い江東区住吉。実家は商店街で呉服屋を営んでいたという。
「親父は建設の仕事、おじいちゃんは日本橋で煙草屋をやってたので、おばあちゃんとお袋で店を切り盛りしてました。今思えば昭和って感じですけど、週末は“アパ公”って呼んでた団地の公園に紙芝居が来てたんですよ。友達とも遊ぶけど、黙々と一人で遊ぶのも好きでした」
小学校1年生でイチ早くローラースケートを手に入れ夢中に。高学年になって光GENJIがデビューし、ブームが巻き起こった頃にはスイスイ滑れていた。
「隣町にうまいヤツがいるって噂が轟いていて、それがILMARIくん。同じ小学校に通う1個下で、小学生には先輩後輩もないから友達になって。あの頃バックでスーッと滑れるのは俺とILMARIくらい。始まりはローラー仲間ですね」
近所に住む叔母の家でマイケル・ジャクソンの「スリラー」のビデオを繰り返し観て、風見しんごの「涙のtake a chance」でブレイクダンスを知った。空き教室でウィンドミルの練習をするも失敗。習得には到らなかった。そんなふうにストリートカルチャーの影響を受けた小学生は地元の中学校へ進学したが、男子生徒は丸刈りという厳しさ。1年後に入学したILMARIさんはすぐインターナショナルスクールに転校してしまった。なんとか中学生活をサバイブし、RYO-Zさんは中野の商業高校へ。部活には入らず地元の友達と遊んでいると、バンドブームの終焉と同時に『ダンス甲子園』がスタート。小学校以来のダンス熱が再燃した。
「当時、ダウンタウン司会の『DANCE DANCE DANCE』とか、いろんなダンス番組があったんです。カッコいい! と思って、VHSに録画して見溜めて、マインドはすっかりダンサー。一人でも踊りながら歩いてたんで、先輩に『お前どうした?』って言われたりして(笑)」
知識を得るべく、RYO-Zさんは近所のレンタルビデオショップに向かった。レジにはスパイク・リー監督の『モ’・ベター・ブルース』のポスターが貼られ、イケてる先輩がたむろする憧れの店。俳優の山口祥行さんもよく顔を出していた。
「『祥くん、何を聴いたらいいですか?』って聞いたら『いきなりMCハマーを聴いてもしょうがないぞ。ジェームス・ブラウンから行け』『今日はギャングスタだ』『ジャズヒップホップだ』と歌謡曲しか聴いてこなかった俺にド渋な音楽を教えてくれて。英才教育を受けました」
ラジカセを片手に夜中の公園でダンスの練習を始めると、隣町に踊りのうまいヤツがいるという噂が轟いてきた。
「マジ? と思ったらまたILMARIくん(笑)。中学以来の再会で遊ぶようになって。彼は渋谷のインターに通ってたから、放課後のルートが変わるんです」
’90 年代の渋谷センター街はチーマーと呼ばれる若者が跋扈し、下町の少年には怖い場所だった。でもILMARIさんも同級生たちも渋谷の街に慣れていて、絡まれることはなかった。さらに学校でも仲間が。
「高校2年の修学旅行でチャンピオンのスウェットのセットアップで寝てるヤツがいて、『もしかしてヒップホップ聴いてる?』って声をかけたのが、初代DJのDJ Shige。彼に『友達の兄貴がEAST ENDってラップグループをやってるけどライブ行く?』と言われて、初めて日本語ラップのライブを観ました。カッコいいダンサーはみんなブレイクダンス上がりだけど、俺は小学校の頃に上達しなくて心折れてるし、ラップのほうが目立ってモテそうだしやってみようと」
AT THE AGE OF 20
二十歳前後の様々な出会いが5人を結びつけて、RIP SLYMEに。DJ Shigeさんと一緒に観に行ったEAST ENDのライブでバックダンサーをしていたのがSUさんとDJ FUMIYAさんの兄のタケさん。DJ FUMIYAさんはDJ Shigeさんと地元が一緒で、“年下の兄弟子”でもあったそう。左/1995年、二十歳の頃に雑誌『東京ストリートニュース』の主催ライブに出場したときのもの。右/同じく’95年、六本木のクラブ『jungle bass』にBusta Rhymesが初来日したときの思い出の一枚。
ハードコアよりポップネス。
RIP SLYMEの誕生。
興味はダンスからラップへ。ILMARIさんとDJ Shigeさんと一緒に、見よう見真似でマイクを握った。先輩がレギュラーを持つクラブやライブハウスに足を運び、RHYMESTERやMELLOW YELLOWにも出会う。しかし「ラップでメシを食う」なんて考えは勿論なく、高校卒業後は三千里薬局に就職をした。のだが……。
「配属先は渋谷店。でも『これがやりたいわけじゃないなあ』と思って、一日で辞めちゃって。で、スーツのまんま渋谷のセレクトショップに行ったらMICROPHONE PAGERのP.H.FRONくんがいて。同い年だけど活動を始めてるしラップもクソうまい。『仕事辞めたんですけど、ラップってどうやるんですか?』と聞いたら『許可がいるわけじゃない。思ったことをラップすればいいし、今からでも始められるよ』と言ってくれて。よし、やっぱラップ頑張ろう! と」
ひとまず渋谷クアトロ地下の古着屋でバイトをした。そこへやって来たのが、ILMARIさんの後輩のPESさんだ。
「よくギターを弾いてスケボーで滑ってるおしゃれな子、という認識でした。『ILMARIくんとラップやってるんですよね。僕も一緒にやりたいです』ってデモテープを持ってきて、オリジナルの楽曲が4~5曲入ってた。やるじゃん、一緒にやろうよって、俺たちオリジナルないのに偉そうに(笑)」
そして1994年8月、今はもう閉店してしまった井ノ頭通り沿いのマクドナルド渋谷店の2階に、RYO-ZさんとILMARIさんとPESさんの3人が集まった。
「まず3人の頭文字を取ってリップ。あとドラム缶に入ったおもちゃのスライムがニューヨークっぽいし、グニョグニョして自由でいいねって。それで名前が決まったんです。まさに二十歳の頃ですね」
「ラップがうまくなりたい」と、仲間と始めたRIP SLYME。親には心配されたけれど、その年の終わりにはラップ・コンテストで優勝し、インディーズデビューが決まる。さらに翌’95 年、思いがけない出来事が。
「ハードコアな同期もたくさんいたけど、僕らは元々ポップネスがあったんですよね。それで憧れたクルーのひとつがLeaders of the New School。そのメンバーのBusta Rhymesが来日して、前座をやるRHYMESTERや先輩たちが『リハから来い』って言ってくれたんです。サインもらいに行ったら『これはお前のリリックノートか? やってみろ』って言うんで、超緊張しながらラップして『お前らいいな』とか言われて。しかもショーの最中に『日本の友達を紹介していいか?』って俺たち3人をステージに上げてくれたんですよ」
二十歳の熱意は憧れの人に届いた。そしてRIP SLYMEとして走り続けた数年後、ご褒美のような出来事が。
「2008年にテリヤキボーイズでリリースした『Zock On!』は、ファレル・ウィリアムスのトラックでBustaをフィーチャリングした曲。BustaのPVパートを撮りにNYに向かうスタッフに『あなたを目指してラップをやってきて、今回一緒に共演できて光栄です』と伝言をしたら、Bustaが『お前がずっと続けてきたからこういうことが起こるんだ。お前が続けてきたことがすべてだし、それをお前と共有できる俺も光栄だ』と返事をくれて。この話をすると毎回泣けちゃうんですけど、続けてきてよかったと思います」
プロフィール
RYO-Z
リョージ|1974年、東京都生まれ。2001年、ヒップホップグループRIP SLYMEのMCとして「STEPPER’S DELIGHT」でメジャーデビュー。デビュー25周年イヤーを記念し、2026年3月までの約1年間にわたり、期間限定で再集結。3月20日〜22日にTOYOTA ARENA TOKYOでライブを開催。
Official Website
ripslyme.com
取材メモ
撮影場所は夜のお店がひしめく錦糸町の江東橋。この付近にあったクラブ『club nude』で、RIP SLYMEとして初のマンスリーレギュラーをもらったのだそう。そもそもRYO-Zさん、人前に出るのは得意だった? 「中学の頃は卓球部の他に演劇部を掛け持ちしてました。演技に興味はなかったけど、立ち回りの稽古をしてた先輩の受け身がカッコよくて。『山椒大夫』では主役、『アンネの日記』では父親のオットーさんを演じて、部長まで上り詰めました。掛け持ちなのに」
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