カルチャー

足元に埋まった“水の都”の400年の道を辿る『東京都水道歴史館』。

東京博物館散策 Vol.4

photo: Hiroshi Nakamura
text: Ryoma Uchida
edit: Toromatsu

2024年12月29日


公立ミュージアムに、私設ミュージアム、記念館に資料館、収蔵品を持つギャラリーなどを巡ってゆくこの企画。様々な文化が掘り起こされる今だけど、歩いて得た情報に勝るものはない。だからこそこの記事を読んだ人もぜひあなたの「東京博物館散策」へ。

 海外遊学中、パリ・セーヌ川の美しさを目にした永井荷風が帰国後に隅田川を「発見」したように、かつての東京の下町は、お堀や水路が発達し、ときにヴェネチアにも例えられるほどの美しき水の都であった。人々が水に親しみや美しさを感じていたのは言わずもがなだが、東京と水の関わりは、実はこの地中深くにも存在する。約400年前から続く“水の道”の歴史があるのだ。

 そこで訪れたいのが『東京都水道歴史館』。東京都水道局のPR施設として1995年に建てられたここは、古文書などの資料や、大型模型、映像などの展示によって江戸時代〜現代まで続く水道の歴史に特化して紹介する博物館だ。裏には「本郷給水所公苑」、最寄り駅は神田上水の掛樋(かけひ)に由来する「水道橋」、「御茶ノ水」と、水に縁の深い絶好の場所に位置する。

 まずは2階の「江戸上水」の展示スペースから。東京水道の歴史は徳川家康の江戸入府から始まる。船での貿易や運搬に必要とされる河川のように目に見える水だけでなく、その後百万都市となる江戸に住む人々に多くの水をもたらすために、水道設備も整える必要があったのだ。

「伝承では徳川家康の頃と伝えられていますが、実際には3代将軍・家光の頃までのどこかに、最初の上水道が整備されたと考えられます」

 この日は特別に江戸時代の遺跡や水道など、考古学を専門とする館の学芸員の金子さんに案内をしてもらい、さらに理解が深まる。江戸の二大上水といわれるのが、多摩川の羽村から取水し43キロメートルの長さの水路をもつ「玉川上水」と、井之頭池からひく「神田上水」。水道管のルート自体は今とさほど変わっていないのだとか。石組みから木、そして竹でできた水道管へと流れる仕組みで、江戸時代初期から、都市の下に巨大な配管システムを構築していたことにただただ驚く。明治31年に淀橋浄水場が完成し、3年後の明治34年に、近代水道の整備進展により廃止となるまでは、このようなスタイルだったとか。

実は8代将軍・吉宗の時期に、二大上水以外の上水道は一度途切れている。上水道を多摩部の農耕に用いるために確保した説が有力だそう。なかには江戸中に水道網を引くと地中の神様が苦しくなり、風が巻き起こって火事になる、なんていう説もあったとか。これは、赤穂事件で浪士たちを擁護したことで知られる儒学者の室鳩巣(むろ・きゅうそう)が唱えていた。

玉川上水の取水口にあった「陣屋」と呼ばれる役所で記された日記や記録(複製)を展示。年に一度、実物を公開するという古文書『上水記』(通常は複製を展示)も見どころの一つ。こちらは玉川・神田の二大江戸上水の概要から、水路図、当時の技術などを窺い知ることのできる書物だ。

人形劇で江戸上水を解説。実はあの松尾芭蕉も水道にゆかりがあるため登場する。一説には「神田上水」に溜まったゴミを町人たちで掃除する際の人の手配やまとめ役を担っていたといわれているのだ。

江戸時代の長屋の様子をリアルに再現したエリア。上水井戸を用いて水をシェアして使っていたのだ。館で貸し出されている専用タブレットを使いながら歩いてみれば、ARの映像が映る。気分は江戸町人。

 続いては1階「近現代水道」の展示スペースへ。村山貯水池にある取水塔を実物大で再現したモニュメントが入り口にずどんと構える。水モノが忌避される博物館には珍しく実際の水が流れており、さらさらと流れるせせらぎの音とアンビエントな館内BGMがマッチしてなんだか癒される。このフロアで紹介されるのは、明治〜現在までの成長する東京水道の歴史だ。

 1868年に始まる明治維新で、ガス灯や蒸気機関車など、街には目に見える変化が起こり始める。一方で東京の水道は、規模の大きさ故、横浜や函館などの港町に遅れる形で整備が始まった。江戸上水では自然の水を利用していたが、近代水道では水を綺麗にしてからポンプに送る仕組みへと変化。展示では水道の鉄管の一覧と、近代水道の父、中島鋭治の紹介からはじまる。 

 見どころの一つは実物の「共用栓」。江戸時代に井戸を共同で使っていたように、一つの水道をシェアするように作られた「共用栓」は、蛇口も注目ポイント。西洋ではライオンの口を模したものが定番なのだが、東京版では日本風にアレンジして、水の神様として考えられていた龍がモチーフになっていたそうだ。そんな「蛇体鉄柱式共用栓」は「蛇口」の語源とも言われており、水の神様である蛇にゆかりある龍の口から水がでる様子から取られたという説や、柱が蛇腹だったからという説があるんだとか。

こちらは馬水槽。馬車が走ってるのにもかかわらず、馬が水を飲めなくて苦しんでいると感じたイギリスの人が本国に報告し、ロンドンから贈られたとも伝えられている。明治期の写真で、日本の写真文化の発展に影響を与えた小川一真の『小川写真館』の印も付されていた。街並みはほぼ西洋だ!

 「玉川上水」や「淀橋浄水場」含め、東京の水は長らく多摩川がメインだった。その集大成ともいえるのが水道のためにつくられた「小河内ダム」である。ただ、多摩川の規模だけで戦後の大都市・東京を支えることは難しかった。

 「東京砂漠」なんて歌があるが、これは元はといえば1960年代のはじめに東京で起こった深刻な水不足から。東京オリンピックを控えた64年の多摩川系の大渇水によって、水がなくなることが懸念されたのだ。この時期を境に、都内の水の多くが利根川水系に移り変わる。そんな様々な事件、災害、戦争、渇水を経て、「おいしさ」や「安全」を目指すいまの水道へとつながっていることがわかる。

日本最大級の水道管の迫力たるや!

裏手にある「本郷給水所公苑」の屋外スペースには、1980年代に発掘された神田上水遺跡の一部を移築・復元した「神田上水石樋」があり、地下数メートルに埋まっていた江戸時代の水道管の姿を鑑賞できる。

建物3階はライブラリースペースで、水の調査研究から、小学生の調べ学習まで利用可能。貸出登録されている書籍は2週間借りられる。

「本郷給水所公苑」も、地球を眺めながらのんびりする人たちがいて、かなりいいかんじだった。

「遺跡が発掘されたり、様々な資料を見たりすると、江戸時代はこんなに進んでいたのかとハッとさせられますよね」

 東京の足下には、形は変われど400年前から引き継がれてきた“道”が埋まっている。「水の都」の歴史に学んでみることが、未来の東京を想像する一つのヒントになるのかもしれない。

インフォメーション

足元に埋まった“水の都”の400年の道を辿る『東京都水道歴史館』。

東京都水道歴史館

◯東京都文京区本郷2-7-1 ☎︎03・5802•9040
9:30~17:00 (入館は16:30まで) 第4月 (休日の場合はその翌日)、年末年始(12月28日~1月4日)休

東京都水道歴史館で保存している古文書・古記録や絵図、写真などの貴重資料の画像閲覧サービス「デジタルアーカイブ」も閲覧可能。ちなみに、学芸員の金子さんは館で開催される講座の講師も担当しており、無料参加可能だ(参加方法は公式HPにて)。気になる人はぜひ。

Official Website
https://www.suidorekishi.jp/