TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#2】ブラインド

執筆:稲川淳二

2024年8月16日

岡山で会社勤めをしている、若い女性で、

仮に綾子さんとしておきますが、

彼女が入居したアパートは、

畳は新しいし、壁も台所も綺麗だし、

それでいて、家賃が安い、

と、結構な物件なんです。

ただ、狭い路地を挟んで、

同じようなアパートが建っているんで、

陽が射し込むのは、

一日のうち、せいぜい昼をはさんだ、

わずかな時間に限られてしまって、

室内はいつも薄暗い。

雨の日などは、

朝でも夕方のように暗いんですが、

それでも家賃は安いし、

部屋もリニューアルされて、

綺麗なんでさほど気にもしなかった。

ただ気になるといえば、

綾子さんの部屋は1階の一番端なんですが、

狭い路地を挟んだ、

向こうのアパートの端の部屋と、

ちょうど窓と窓が向かい合った恰好で、

その、向かいの部屋の窓には、

四六時中、ブラインドが下ろされたままで、

それもいつ見ても、

ピッタリと閉まっている事なんですね。

もともと、陽の当らない窓に、

日除けのブラインドを、

下ろしているなんておかしな話で、

それは恐らく窓が向い合っているんで、

部屋を覗かれたくないという、

自分に対する意志表示のように見えて来て、

まるで自分が、

他人の部屋を平気で覗き見るような、

モラルの欠如した人間と思われているようで、

少々、不愉快に感じていたんですがね。

(まあ感じの悪い人と顔を合せるよりいいか)

と、納得する事にした。

そうして、日が過ぎてゆくうちに、

(多分、向いは入居者のいない空き部屋なんだなぁ)

と思うようになった。

そんなある日、

職場の同僚の、紗也香さんから、

「ねえねえ、怖い話、教えてあげようか?」

と、噂話を聞かされた。

それというのは、

30代後半の独身のOLが、

鍵の掛かったアパートの自室で、

変死体で見付かったというんです。

死因は自殺でなくて、

過失による窒息死で、

死後、既に一週間程経過していて、

部屋の中は、酷く汚れて、

耐え難い異臭が漂っていたそうです。

その女性は、自らの嘔吐したものの中に、

顔を沈めて横たわっていたという。

話では、このOLは、職場での人間関係とストレスから、

精神を病んでいたようで、

休暇をとっていたんだそうですが、

酒と薬物の多量の摂取で、体の自由を奪われて、

起き上がる事が出来ずに、

嘔吐しながら部屋の中を這いずり回って、

血も吐いていたようで、

それが、喉に詰まって呼吸が出来ずに、

踠き苦しみながら、

窒息死したというんです。

死ぬまでに、たったひとりで苦しむ時間が、

かなりあった事が哀れだった。

で、そんな事からか、

この部屋に、死んだOLの怨霊が取り憑いてしまって、

時々姿をみせるというんです。

と、まあこんな話を聞かされて、

ついでに、

「その怨霊のいる部屋っていうのがねぇ、どうもねぇ、

あなたのアパートの近くらしいのよ」

と教えられて、

驚くのと同時に、

(待ってよ、それって、

ブラインドの下がった、

真向かいの部屋の事なんじゃないかな・・・)

と、ふっと思った。

(幽霊の出る部屋なんかがあったら、

他の部屋も借り手がつかなくなっちゃうし、

雨戸が閉まったままじゃ、怪しまれちゃう。

ブラインドを下ろしておけば、

空き部屋かどうかわからないし、

外から幽霊が見える心配もない・・・・か。

なるほど、

それで向かい合ってる私の部屋は、

家賃が安い訳なんだ)

と、そう考えると全てに納得がいく。

とはいっても、

そんな部屋が目の前にあるというのは、

やっぱり気味が悪い。

見ないようにしようと思っても、

狭い室内ですから、

どうしても窓が視界に入ってしまって、

必然的に、

向かいの窓のブラインドが見えてしまう訳で、

例の話を思い出してしまう。

かといって、

越して来たばかりで、

またすぐ引越しをする余裕なんてないし、

なんといっても、

家賃が安いというのもすてがたいんで、

引越すかどうかは、

おいおい考える事にした。

そして、そんなある晩、

同僚たちとの飲み会があって、

ほろ酔気分で部屋に帰るなり、

すぐに横になりたくて、

着替えをしようと、

ふっと視線が閉め切った硝子窓にいくと、

(?!)

向かいの窓のブラインドの隙間から、

わずかに明かりが洩れているのに気付いた。

(えっ?!明かりがついている!)

と、一瞬、

スッと暗くなって再び元に戻った。

(・・誰かいるんだ・・・・。

部屋の中を動いてる・・・)

で、窓の脇に寄って、

気付かれないように、そっと様子を窺うと、

それは、

ブラインドの隙間から洩れる明かりではなくて、

ブラインドを指で広げて、

そこから2つの目がジッと覗いていた。

(うわっ!どうしよう?

こっちを見てる・・・。

間違い無い死んだOLの怨霊だ・・・・、

怨霊が私を見てたんだ・・・・)

とっさに部屋の明かりを消すと、

向かいのブラインドの明かりも消えた。

(怖い、怖いけれど、

どうする事も出来ないし・・・・・)

小さな明かりを一つつけて、

着替えを済ますと、

蒲団に入って、目をつむっているうちに、

酔いも手伝って、

いつしか眠ってしまったんですが、

夜中を回った頃に、息苦しさで目が覚めた。

(ハァハァ・・・・ハァハー・・・・

ハァハー・・・・・ハァハァ・・・・)

静まり返った中で、

息遣いだけが聞えている・・・・。

胸が圧迫されて、

思うように呼吸が出来ない。

仰向けに寝ている身体の上に、

ずっしりと、

重いものが乗っているようで酷く苦しい。

(・・・何だろう?)

そのままの恰好で、

視線だけを下に向けると、

蒲団の上に両手が乗っていた。

(何だぁ・・・・そうだったのか)

ちょうど胸の上に、

手を置いた状態で寝ていたんで、

それで息苦しかったんですね。

昔から、胸の上に手を乗せたまま寝ると、

怖い夢をみるといいますからね・・・。

で、手をおろそうとすると、

(あれ?)

身動き出来ない。

体をよじって、

向きを変えようとするんですが、

ピクリともしない。

(いけない金縛りだ!)

ハァ・・・・ハー・・・・

ハァハー・・・・ハーハー・・・・

苦しい息遣いをしながら、

夢中で両手両足に力を入れて、

蒲団を蹴飛ばそうとし

ても、全身が固まったように硬直していて、

どうにもならない。

酸欠からか、ジットリと汗ばんでいる。

と、その時、はっと気付いた。

何と自分の両手は蒲団の中にある。

(という事は、蒲団の上に乗っている手は誰の手?)

と思った途端、

眠気が吹っ飛んだ。

小さな明かりが、

ひとつついただけの薄暗い闇の中、

蒲団の上で、

白く細い指がピクッと動いた。

(ううっ!・・・・、

ネイルアートしてる・・・女だ・・)

仰向けに寝ている、自分の上に、

女が乗ってる・・・。

悲鳴を上げて、

今にも逃げ出したいんですが、

声も出ないし、体も動かない。

と、

・・・・ズッ・・・・ズ、

ズ・・・・・ズズ・・・・・

と、掛蒲団が動いて、

重さが少しずつ、少しずつ、

上へ上へと移動してゆく。

やがて、赤い縮れ毛の頭が、

蒲団のふちからヌーッと這い上がってきた。

(いけない!)

咄嗟に目を瞑って、

ただもうひたすら祈っていると、

顎に先に、

サワッと髪の毛が触れて、

そのまま、顔を下から撫でるようにして止まった。

顔の上で、幽かな息遣いがする。

(私の顔を覗き込んでるんだ・・・)

と思った瞬間。

「グウェ―――ッ」

女が苦し気な息を吐いたんで、

思わず目を開けてしまった。

と、なんと仰向けの自分の顔を、

真上から、痩せこけた女の顔が覗き込んでいて、

とたんに意識が遠ざかっていった・・・・。

それから、どれ程の時間が経ったのか、

目が覚めると朝になっていて、

起き上がると、

パジャマが寝汗でぐっしょり濡れていた。

何だか酷く疲れている。

(なるほどそういう事か・・・)

と、全てが理解出来た。

変死体で見付かったOLの部屋というのは、

向かいの部屋でなくて、

この部屋だったんだ。

酷く汚れてしまっていたんで、

畳を取り替えて、

壁も台所も綺麗にしたのに違いない。

もちろん、そんな部屋だから家賃も安い訳だ。

向かいの部屋は、その話を知っていて、

見えないようにブラインドを下ろして

いたんじゃないだろうか。

それで、すみにこっそりと、

こっちの様子を窺っていたに違いない・・・・。

そんなわけで、

差し当って、その日のうちに、

この部屋を出る事にしたそうです。

終わり

プロフィール

稲川淳二

いながわ・じゅんじ|怪談家・工業デザイナー。32周年全国ツアー『MYSTERY NIGHT TOUR 2024 稲川淳二の怪談ナイト~怪談喜寿~』が開催中。稲川淳二の『稲川芸術祭2024』作品募集中。

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