カルチャー

小さな店のはじめ方。Vol.8

編集者、タコス屋になる。

2023年2月25日

photo & text: Taichi Abe
cover design: Bob Foundation

 器は大事だ。人間だって、タコスにだって。

 人としての器について多くを語れるような男ではないことは自覚しているが、料理のプレゼンテーションにおける器の重要性も自覚するところ。味は悪くない。うん、でもなんか見た目が残念!そう思ったが最後、不思議とメニューに載る金額が高く見えてきて仕方なくなる。人間はゲンキンなのだ。少なくとも、僕は何度かそう思ってしまったことがあるので、自戒も込めて器の重要性を叫びたい(まだ店をスタートさせてもいない人間が偉そうに語ってすいません)。

 というわけで、僕はタコスを盛る器について考えてみた。自宅の食器棚からあれやこれやを取り出して、雑貨店をめぐって、ウェブや雑誌をチェックして…そこで、ふと思いついた。和食器でタコスを出したら面白いんじゃないか。色々とタコス屋を巡ったけど、和食器でサーブされた記憶はあまりないし、僕のうちはもともと蕎麦屋。薄くはあるけど和食器を出す理由がある。だって、アメリカ西海岸やパリなんかでも和食器で料理を出す素敵な店だってあるじゃない!いいじゃん!いいじゃん! 思い立ったらすぐ行動。トルティーヤを焼いて載せてみる。ん…おや?おやおやおや?「トルティーヤが余ったから、あんた食べるか?」と実家で出されたようなテイストの1皿が僕の前に存在している…大事なことを忘れていた。そうだ、僕はネイティブ日本人。アイテムを選びに選ばないと“和食器に載せる”アイデア自体は、日本では普通中の普通になってしまうのだ。絶妙なバランス感覚を要するこのプランは、ひとまずそっと脇に置いておくことにした。

 さて、どうする。調理用のバットに載せたり、紙皿で提供する、いわゆる“ストリート”なテイストも嫌いじゃないけど、ストリートであることはマインドとスタンスだけでいい。他の店でもこのスタイルはたくさん見かけるし。家で食べるのとは違う、と思ってもらえる非日常的な見せ方ってなんだろう。いきついた先は、オリジナル皿の制作だ。調べてみると、名入れのサービスを行うメーカーはたくさんあるけど、もうちょっとデザインからいじりたい。僕が好きな陶器のプロダクトを出しているブランドにも「オリジナルでお皿をつくっていただきたいんですけど」と控えめな交渉メールを送ってみたところ、最少ロット数として挙がってきたのは、僕の店の4号店ができたときに発注するくらいの数字。「またお願いします!」と元気よく返信をしてPCをとじた。

 僕がマガジンハウスに入りたてのとき、デスクでひとり頭を抱えてうんうん唸っていたら、先輩に教えてもらったことがある。大きな声で悩め。誰かが助けてくれるかもしれないから。これだ。僕は大きな声で器について悩むことにした。プロダクト関連にトピックスに強い友人のエディターに電話する。うーん、きっとこの人なら話を聞いてくれるんじゃないかな、とすぐに彼はショートメッセージで連絡先を送ってくれた。西海陶器/阿部薫太郎と、ある。いつだって、思い立ったらすぐ行動だ。さっそく電話をかけてみると、物静かに話をする男性が出た。時間にしたらおよそ3分間、簡単な言葉のキャッチボールをした後、「あ、できると思いますよ」と阿部さん。「え?おぅ、あぁ…そうなんですか」と挙動不審な返答になるくらいシンプルなやりとりで、えらく大きな一歩が踏み出せた。

 西海陶器は、長崎県波佐見町にある会社。その町の名前のとおり、波佐見焼の商品企画や卸売、小売を行う会社。同社が扱うHASAMI PORCELAINというブランドを見聞きしたことがある人もいるのではないだろうか。波佐見はどちらかというと受注製品を多く扱い、大量生産ができる体制を整える窯元が多い傾向がある。阿部さんは大学卒業後にスウェーデンにデザイン留学をして、タイの陶磁器メーカーで働いた後に帰国。波佐見の町をぶらぶら歩いているときに(!)、西海陶器の当時の社長にスカウトされた。現在は、デザイナーやプロデューサーとして活躍し、CommonやThe Porcelainsといったブランドを手掛けている。

西海陶器の阿部薫太郎さん。質問や要望をぶつけまくっても、ひとつひとつ優しく教えてくれるナイスガイ。

 東京出張のときの阿部さんを捕まえ、今回の経緯を説明。百聞は一見に如かずということで、僕は長崎まで足を運ぶことにした。長崎空港に降り立ち、レンタカーを走らせることおよそ40分。指定された場所〈西の原〉にクルマを停める。もともと「福幸製陶所」があったその場所には、旧来の建物を生かした波佐見焼のショップやカフェが程よい数で立ち並び、景観は風光明媚ながらコンテンツはハイセンス。その〈西の原〉の一角に、阿部さんのアトリエはあった。

 簡単に場所の案内をしてもらった後、もともとは工場だった場所の扉を開ける。いきなり飛び込むボルダリングのウォール。さらに奥に進むと「ラボ」と呼べるような場所に辿り着き、アーティスト・神山隆二さんのグラフィティがお出迎え。何気なく積み重ねられた陶器の数々を高揚感たっぷりに眺めながら、阿部さんに陶器の基本について教わる。今回の器のデザインを手掛けてもらいたいBob Foundationの朝倉洋美さんにも一緒に来てもらったので、知っているようで知らない成形のこと、デザインのこと、釉薬のことなど、ふたりで実際のアイテムを手に取りながら根掘り葉掘り阿部さんに質問していく。「やりたいこと」の裏には「やれること」がある。その技術の基本を学ぶことは、さらなるアイデアのブラッシュアップに繋がる。何でもリモートで解決できると思わないほうがいい。いつだって現場が一番楽しくて、最もクリエイティブだ。

 出発前にイメージしていた「やりたいこと」は、現場をみて学んでみると違う方向にいきそうだけど、それはいい、まったくもっていい。妄想をむくむくと膨らませている僕たちを、阿部さんは波佐見町に隣接する有田町に案内してくれた。いわずもがな、有田も焼物の町。有田焼の窯元にあるデッドストックをディグできる場所に連れていってくれたのだ。たくさんの木箱に格納された陶器を見てまわる。一生懸命みてまわっていると、遠くから大きな声で僕の名前を呼ぶ声がする。声の先に目を向けると、これまた一生懸命に朝倉さんが手を振っている。探す手を止めて、朝倉さんと阿部さんが一緒にいる場所まで行くと「やべぇの見つけたわ」と朝倉さん。指差した先には、鑑賞用イヤープレート(ねずみ、丑、寅…といった干支の図柄が入った皿)の数々。陳列されたそれらは、確かにやべぇ。こんな皿においしいものが載ってきたら楽しいだろうなぁ、なんて思い、必死で十二支を探す。抜けはあるものの、まとめて東京行きの段ボールに詰めた。

 人生は旅だ、なんて誰が言ったか知らないけど、旅先の有田の倉庫で僕は思う。僕が、有田でイヤープレートを買っているなんて、オリジナルの皿を波佐見でつくるなんて、そもそもタコス屋を始めるなんて、3年前の僕がどうして想像できたか。人生には前進しかなくて、前進した先には出会いがあって、その出会いを通じて考えた後には、さらに新しいことが待っていて。決して予測できないこの先の旅が楽しくあるよう願いながら、帰りの空港で五島うどんを勢いよくすすった。

プロフィール

阿部太一

阿部太一

あべ・たいち | 1979年、香川県小豆島に生まれて東京で育つ。大学卒業後、2002年にマガジンハウスに入社。anan、BRUTUS、Hanakoの3部署で編集者として活動した後、2022年4月に退社。両親で3代目となる「みよし屋」の屋号を継いで、フリーランスとしてエディターを続けながら、2023年4月のオープンに向けてタコス屋を準備中。オープニングスタッフ募集します。3月8日には、働きたい人限定のイベントも予定。詳しくはインスタをご覧ください。スタッフ募集&イベントに興味がある方、インスタもしくは以下のメールアドレスにDMください!

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