カルチャー

今月の副読書。Vol.11/西プネウマ『ぜんいんでしゅくふくせよ』

読み味の楽しさがつまったデビュー詩集と、“1枚隔てた”先からやってくる名作文学3冊。

今月の副読書。

text: Ryoma Uchida
edit: Kosuke Ide
photo: Natsuki Ito
2026年11月 955号初出

2026年11月6日

「副読書」とは教科書の補助的教材として用いる資料集など、二次的に参考にするための書物のこと。本連載では毎回1冊の本を取り上げ、併せて読みたい「副読書」を著者が自らレコメンド! 理解を深め世界を広げる〈副〉読書のススメ。

今月の本

『ぜんいんでしゅくふくせよ』

ガソリンスタンド、闘牛場、クリスマスのトイザらス、ジャスコ、ガチャンゴの島、うちう……ものすごく近くて、ものすごく遠い。場所も時代も人物も人物じゃないものも、言葉のスタイルも、縦横無尽に駆けながら、「ぜんいん」をのみ込む圧倒的なパワーとイマジネーションで綴られる。「第14回エルスール財団新人賞」現代詩部門を受賞した、大注目の詩人のデビューを告げる充実の第1詩集。表題作の他、「ジャック・ロメロ」「オストラシズム」「阿部家の人々」「銃」など、24編を収録する。(左右社)

💬「何を語るかより、どう語るかに興味があるんです」

 わかりやすく、簡潔に。紙幅の限られた雑誌で文章を書くときの基本のオキテ。……と思っていた。ルールをぶち壊したい。そんな気持ちになったのは久しぶりだ。西プネウマさんによる第1詩集『ぜんいんでしゅくふくせよ』を読んでから、どうも出力がおかしい。いつもどおりに執筆できない。収録された24編は、「ガソリンスタンド」「闘牛場」「サザビーズ」「うちう」などあらゆる場所を舞台に、私たちを遠い距離へと引きずり出して、自由なスタイルで、作家の内なる感覚を言葉でクリエイトする。詩の楽しさと素晴らしさを目の当たりにしてしまったからだ。わかりやすさとは縁遠い詩的な世界にもかかわらず、紡がれる感情と確実にコミュニケートした。パンクに衝撃を受けたキッズたちがギターを手にしたように、本書には、読者に言葉を与える不思議な力を持っている。西さんに詩があるように、自分にも詩があるんじゃないか。そんなふうに、言葉の世界に誘う魔法が存在する。「わかりやすさ」、クソくらえ! 「この記事は20分で読めます」、クソくらえ! コスパとタイパを重視した“わかりやすい病”に罹った現代社会に、なんだか“よくわからないもの”のカッコよさは、あまりにも輝きすぎている。だから西さんが出身地である熊本県で幼少期から通っていた熊本市現代美術館について「子供時代に、“意味がわからないもの”に触れる経験ができたことは、すごく豊かなことだったと思うんです」と振り返っていたことに深く共感した。

文章の“窪地”に誘われ、
問題を解く手から書く手へ。

 2000年生まれの西さん。「近所の湖とモールの往復という退屈な暮らしで。大好きだったのは本とテレビでした。田舎なので、どこへ行くにも車移動で、習い事へ向かうために親が運転してくれている後ろで、ずっと本を読んでいましたね。車の後部座席は暗いので、かつて工事現場などで使用されていたカンテラを灯して本を読み続けていました」

 中国の故事「蛍雪の功」を思わせる読書家ぶり。それでも関心は創作へとは向かわなかった。「テレビっ子だったので『ヒルナンデス!』で目にした素敵な水族館、原宿のレインボーパフェ、包み焼きハンバーグなど、画面を一枚隔てた先にある遠くの東京に魅了されて。熊本から出たい、東京へ行きたいという気持ちが強くありました。だから高校時代は受験勉強に必死で。“問題を解くための手”だったので、ペンを持てば書けるっていう当たり前のことに気づいてなくて」と語る。転機は東京の大学へ進学した際のこと。

「詩人の伊藤比呂美さんの授業を受講しました。そこでは毎週1回、詩を書いて提出することになっていて。『いいわねえ』と伸び伸びやらせてもらううちに、詩作することに面白さを感じました。それからはひたすら書いていて」

 文学、エッセイ、記事……文章にもさまざまな形態があるが、詩に惹かれたのはなぜなのだろう。

「詩の持つ懐の深さ、言葉の使い方に興味があって。エッセイや小説も好きですが、詩はその“どれでもない”文章が集まっている窪地的な場所でもあると思います。そんな“その他性”に魅力を感じたんです。『こうしないと綺麗な文章にならないよ』とか言われることがない場所。言葉を壊す楽しみ方をしていい場所というか」

 たしかに、エッセイや小説や批評など、わざわざジャンルで切り分けて判断することが野暮に感じるような、言葉そのものの豊潤さのまじわりを味わい、楽しむ詩がたくさん載っている。

「もちろん、分類することはそれぞれの作品を考える上で役に立つとは思いつつ、簡単に切り分けされないものにも惹かれる自分がいるんです。そんなあわいに存在するのが詩だったのだと思います」

 そんな西さんが副読書として挙げたフォークナー『響きと怒り』は時間の跳躍や登場人物たちの主観の切り替えが作中で複雑に行われ、技巧を凝らした独特の文体によって構成される一冊。難解な作品として知られるが「そこがいい」と語る。

「人の頭の中で巻き起こる思考をそのまま抽出し、話の中の時空が唐突に切り替わる、いわゆる『意識の流れ』が用いられます。それに衝撃を受けたんです。こんな書き方があったのか、という驚きと、ノーベル賞受賞者による〝文学〟って、なんだか難しそうな感じがするけれど、こんなめちゃくちゃでいいんだ、と教えてくれました。実験的な意欲が溢れる本作が文学としてアリなら、なんでもいいじゃんって。創作を始めてから、何度も読み返しては元気をもらっているんです」

副読書①

今月の副読書。Vol.11/西プネウマ『ぜんいんでしゅくふくせよ』

『響きと怒り』ウィリアム・フォークナー

アメリカ南部の名家が、古い伝統と因襲のなかで没落してゆく姿を描く、フォークナーの最高傑作と名高い一作。「その“暗さ”も好きです。フォークナーは架空の土地『ヨクナパトーファ郡』を舞台に様々な作品を創作していて、“土地の呪縛”を描いている作家でもある。そして、登場人物たちが誰も嬉しそうじゃない感じもいいですよね」。平石貴樹、新納卓也訳。(岩波文庫)

 セオリーどおりじゃなくてもいい。スタイン『みんなの自伝』も、そう思わせてくれた一冊だ。

「美術史の文脈で知られる人だと思いますが、詩人として、その文体が好きなんです。美しいものを『美しい』と書かない。情緒的な要素をどんどん削ぎ落としていった先にある文章というか。どこかあっけらかんとした佇まいがあるんです。私は人と会話するときに『~で、~で、~で』と、文を繋げて話してしまう癖があるのですが、スタインの文章にもそんな喋り言葉のような“子供っぽさ”がある。上手な修飾語や正確な記述を避けて、同じ言葉の繰り返しを多用したり、リズミカルに韻を踏んだりしながら、彼女の頭の中に浮かんだ感覚を、話しかけるようにそのまま書き込んでいる。でも、子供っぽいからこそ見えるものがあると思うんです。読み手が自由に想像できる範囲がすごく広い。むしろ、作者が的確な表現を書くと、“読み方”を読者に作為的に強制するようで、想像が狭まることがあると思うんですよね。そんな文体も含め、内容も、考え方も非常に影響を受けた作家です」

副読書②

今月の副読書。Vol.11/西プネウマ『ぜんいんでしゅくふくせよ』

『みんなの自伝』ガートルード・スタイン

文筆家としてだけでなく、アートコレクターとしても活動した著者が、ピカソ、マチス、ダリ、ピカビアら芸術家たちとの交流をはじめ、回想を通して1930年代のパリとアメリカ文化を活写。「スタインの『アリス・B・トクラスの自伝』も好きで、その書きぶりや考え方に影響を受けた。『スタインになりたい!』とも思っていたほどです」。落石八月月訳。(マガジンハウス)

“遠く”からやってくる
読み味を探して。

「何を語るかより、どう語るかに興味があります」と西さん。『ぜんいんでしゅくふくせよ』には、外国文学さながらの翻訳調もあれば、リズム感に重きを置いたもの、饒舌に語り尽くす一編もあり、さまざまな文体を楽しめる。そんな「言葉の響きのおいしい部分が詰まっている」と語るのがアチェべ『崩れゆく絆』。

「海外へ1年ほど留学していた際、ナイジェリア出身の先生が教えてくれたのがチヌア・アチェベでした。アフリカでは、文字に頼らず、歌や語りを通じて歴史や神話を伝える口承伝統があって、寓話やことわざに教訓を託して次世代に伝えていたんですよね。この本では、1つの共同体のダイナミズムや、大きな流れに巻き込まれる主人公の悲しみを描きつつも、そんな小さな寓話や格言がたくさん登場してきて、その物語全体でのバランスや、言葉自体が面白いと思うんです。その土地の歴史や、呪術的な背景があって、何百年もかけ、人の口から口へと渡り、どんどん削ぎ落とされ、ときに増えて、最初とは違う形になって、今に伝わっていて。歴史のもつ重みと、ユーモアがある。一人の人間では到底作れない言葉をいっぱい読ませてもらえるんです」

副読書③

今月の副読書。Vol.11/西プネウマ『ぜんいんでしゅくふくせよ』

『崩れゆく絆』チヌア・アチェベ

古くからの呪術や慣習が根づく土地で、一代で名声と財産を築いた男。そこに忍び寄る新たな植民地支配の影を3部構成で描く。『No Longer at Ease』『Arrow of God』と、未邦訳の続編がある。「『夜になると蛇に聞こえたらまずいので、蛇は蛇と言わずに紐と呼ぶ』など、口承文化の言葉の面白さがたくさんある」。粟飯原文子訳。(光文社古典新訳文庫)

 たった一行に込められた、恐ろしいほどの年月をかけ筋力をつけた言葉。それは、読者に都合よく寄り添う、わかりやすい言葉では決してない。テレビ画面の向こうに見えた、遠い東京も、よくわからない美術も、何年もかけ口承された言葉も、時空すら平気で飛び越える、実験的な文体も。西さんが惹かれてきたのは、いつも隔たりの向こうから一方向でやってくるものだ。

「SNSも苦手だし、日常を愛でるような、ウェットな“寄り添いすぎる”エッセイや小説は苦手です。距離が近いというか。何か1枚隔てたいのかもしれません」

 たしかに、副読書3冊はいずれも言語を経由した“翻訳”本だ。

「その遠さ、がいいのかもしれません。翻訳本は言語を隔てているからか、若干の違和感と、独特なドライな空気がありますよね。詩を書くときも、読む手触りを気にしています。メッセージを伝えたいとか、気持ちの変化が起こってほしいとか、全然なくて」

 勝手にやっているのだ。わからせようとするのはおこがましい。“どう伝えるか”という問いを研ぎ澄ませた先に、わかりやすさでは決して辿り着けない景色が広がっている。

プロフィール

にし・ぷねうま

にし・ぷねうま|2000年、熊本県生まれ。詩人。第1詩集となる本書を’25 年に刊行。ポエトリー・コレクティブ「ニジュウサンジュウ」に参加。

読み味の楽しさがつまったデビュー詩集と、“1枚隔てた”先からやってくる名作文学