カルチャー
二十歳のとき、何をしていたか?/タケイグッドマン
2025年12月11日
photo: Takeshi Abe
text: Neo Iida
special thanks: SO TIRED
2025年1月 945号初出
ぼんやり、ハッキリと見えていた、
いつか何者かになる未来。
一歩ずつ、宿命と運命の彼方へ。
自我の芽生えとカルチャーと。
将来を考えた高校時代。
「何者かになる、こういう人間になるってわかってたんです。フォトグラファーとかミュージシャンみたいな肩書じゃなくて、“タケイヨシヒト”としていろんなことをやるんじゃないかってことが、ぼんやり、ハッキリわかってた。変な言い方ですけど、根拠もない自信がずっとあったんですよ。だからのちにこの仕事に就いたときに、あーなるほどって思いましたね」
映像作家のタケイグッドマンさんは、盟友スチャダラパーをはじめ、小沢健二、TOKYO No.1 SOUL SETなど、錚々たるアーティストたちのMVを手掛け、彼らの表現活動を映像によって具現化してきた。しかし、その実像は煙に包まれてきた。「裏方ですからね。裏で手ぐすね引いていました(笑)」と笑うタケイさんに、「タケイヨシヒト」から「TAKEIGOODMAN」になるまでの半生を聞いた。生まれは静岡県。サッカー大国だけあって、タケイさんも子供の頃からサッカー漬けの日々を送ったという。
「勉強もスポーツもできて、6歳から16歳まではサッカーのことしか考えてませんでした。うまかったし選抜に選ばれもして本気でプロになりたかったけど、当時はJリーグができる前。高校で進路を考えたときに、実業団に入ってセミプロになって、30歳を過ぎて引退してラーメン屋さんになる人生は違う気がする。自分は一体何になるんだろうと自我が芽生えたんです」
富士山の二合目にあるタケイ家は、祖父がパチンコのチューリップのパカッと開く装置などを開発した町の発明王だったという。戦前に破産してしまったが、鍵の安全装置の特許は手堅く、金庫の販売会社が残された。父親は兄の新聞販売店を手伝う傍ら、銀行や個人宅の金庫の鍵の点検などを行っていた。小さい頃、夜中に父親に連れられて金庫の鍵が壊れた老夫婦の家を訪れ、解錠の様子を眺めたこともある。帰りに富士の樹海を通ったこと、女性が上着も着ずに立っていたこと、そんな一晩の思い出を、タケイさんは今も鮮明に覚えている。高校時代はどんな学生だったんだろう。
「本当はダメなんですけど、バイク通学してました。父親に『もし学校に怒られても家が新聞配達関係の仕事をしてるって言い訳できるんだし、免許は取っておいたほうがいいぞ』なんて言われて。学校の近くに酒屋の同級生が持ってる小屋があって、そこにバイクを停めてました。2階にビリヤードとかテレビゲームがある溜まり場で、僕の学生服も吊るしてあるから、朝は私服にフルフェイスでブーンッて走って、そこで着替えるからバレませんでした」
天気が良ければ学校を通り過ぎて海へ。たまには小田急線に乗って東京へ行き、原宿の『ギャラリー360°』や『A STORE ROBOT』に顔を出し、新宿でマルクス・ブラザーズの映画を観た。特にアメリカのニューウェーブバンドDEVOが大好きで新宿『VINYL』を筆頭に片っ端からレコードを漁った。好きなものが明確で、自由で、大人びた学生だったタケイさん。進学校でほとんどの生徒が大学へ進むなか、受験をしない僅か数名の生徒のひとりでもあった。
「自我が目覚めてひねくれてもいるから、大学行ってどうなるんだろうって」
その頃、千葉大学に通う3歳上の兄から「ラジカル・ガジベリビンバ・システムの公演に行った」と連絡が入る。シティボーイズを母体に竹中直人さんや宮沢章夫さんたちが参加し、1985年に生まれた演劇ユニットだ。「やばいもん観たぞ。でもうまく説明できない」。兄の言葉を聞き、タケイさんも同級生の亀井さんと「ここから彼方へ」というライブを観に行った。
「そのあとの『スチャダラ』も2回観に行きました。もう死ぬほど面白くて、学校を辞めてここに入ろうと思って、パンフレットに書いてあった番号に電話したんですよ。そうしたら『あなたいくつ? いいから高校だけは出なさい』って諭されて」
憧れのラジカルに入れないなら高校を辞めよう。そう思ったが、退学なんて簡単にできるわけじゃない。結局、タケイさんは進学をしないまま高校を卒業。従兄弟の経営していたフランス料理店を手伝った。
AT THE AGE OF 20
18、19歳の頃、新聞配達の手伝いで貯まったお金で骨董品を収集していたタケイさん。かぶっているのは大正時代のシャッポ。その頃は「DEVOマニアの集い」によく参加していたそう。「オフ会みたいな集まりで、新宿の薄暗いカフェバーに10人ぐらいでアイテムを持ち寄って『どこで買ったの?』とか情報交換するんです。そこには石野卓球くんや砂原良徳くんもいて卓球くんはもうバンドの『人生』を始めてた。砂原くんも東京に住んでいて、オタク特有の地名で呼ぶノリで『清瀬』って呼ばれてたかな。みんなでDEVOのプラスチック製の帽子『エナジードーム』をグラスファイバーでDIYしたりしてね。のちに本物を手に入れたけどサイズ感が全然違ってた(笑)」
盟友スチャダラパーとの出会い。
そしてTAKEIGOODMANに。
同じく大学には進学しなかった親友の亀井さんは東京の桑沢デザイン研究所に入学。ある日、ラジカルのメンバーでもある中村有志さんの公演が桑沢の裏にあるエッグマンで開催されると知ったタケイさんは、いつものように亀井さんを誘った。そこに現れたのがBoseさんとANIさん。亀井さんが桑沢で仲良くなったマイメンだ。
「ANIはオカッパでいとうせいこうさんカットでしたね。Boseはパーティでいちばん飛び跳ねるんで有名だった。あと空気を読むのが非常にうまいと評判で。それで僕も二人とものすごい仲良くなるんですよ。そしたらいつの間にか亀井とBoseとANIの弟のSHINCOの4人でラップを始めて、『スチャダラパー』とか名乗るから、何それ(ラジカルの演目のタイトル)まんま、っつか『パー』付けただけじゃん! って……。絶対ダメだと思ってた(笑)。でも今は『スチャダラパー』のほうが有名になっちゃいましたね。そんな姿を見て、俺もそろそろ静岡を出る時期なのかもと」
親には「写真の勉強をするから」と言い、亀井さんから半年ほど遅れて実家を出た。まず千葉大の兄を頼って下宿で2か月ほど暮らしたのち、奥沢に兄弟で引っ越した。翌年、蒲田にある専門学校に入学。東京での日々を謳歌するが、何より大きかったのがスチャダラパーの活躍だ。1990年にメジャーフォースからデビュー。ニューヨークで行われる大規模コンベンション「ニューミュージックセミナー」に参加したときは、メジャーフォースの中西俊夫さんや高木完さん、編集者の川勝正幸さんに交じって、タケイさんも付いていった。
「東京に戻ったある日、スチャダラパーからスペースシャワーの番組に出演したビデオを見せられたんです。ECDとA.K.I.が一緒に出ていてラップのビデオがガンガン流れてて……。僕はその頃、渋谷のタワレコの下にあった店で、MTVとかを録画したブートのVHSをよく買ってたんですよ。で、いいなあと思って電話番号を調べてスペースシャワーに電話したんです。そしたら『明日面接に来てください』と。面接を受けたらすぐ採用。僕、面接に一度も落ちたことないんですよ。小さい頃から友達のお母さんや大人とちゃんと喋れたので」
学校を辞め、スペースシャワーに入社した。あっという間にひとりで番組を担当することになり、ディレクターとしてのクレジットを「TAKEIGOODMAN」にした。遊んでいるとき、ANIさんが「ヨシヒトだからグッドマン」とふざけて口にしていた名前だ。タケイさんの映像作家としての人生は、そこからスタートしたのだ。
「高校生くらいから、自分の真ん中にずっと『悔いのない人生を』というのがあって。人生は一度きり、つまり限りがある。やりたいことは全部できないから、吟味しながら進んでいくべきで、そうやって誰も通ってない道を歩いていけば、自分だけの人生ができていくはず。そう考えていたことが、自然とTAKEIGOODMANに繋がったような気がします」
プロフィール
タケイグッドマン
1968年、静岡県生まれ。WIZ Entertainment代表。1990年、スチャダラパーのSHINCOらとLBネイションを発足。スペースシャワーTV入社後BUM TVやBeastie Boysの番組などを手掛ける。1994年、「今夜はブギー・バック」のMVを川勝正幸とともに制作。多くの映像作品を生み出す。
Official Website
https://wiz24h.com
取材メモ
「仏教系の大学に進学した友達が運命と宿命の違いを話してくれたことがあって。『宿命は起こるべくして起こる出来事。でも運命は変えられる。人生は自分でハンドリングできるんだよ』って。まさに高校くらいの自分が思ってたことで、すごくピンときたんです」。尾山台のダイナー『SO TIRED』のテラス席で、分厚いファイルを見せてくれたタケイさん。二十歳当時、1988年に観に行った公演のチラシや雑誌の切り抜きなどがぎっしり。若かりし頃、運命を形づくった選択の数々が詰まっていた。
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