カルチャー

2025年のピンボール。

ゲーム愛が築いた極彩色の天国『Heavenly Pinball』。

photo: Hiroshi Nakamura
text: Ryoma Uchida
edit: Toromatsu, Kosuke Ide

2025年8月1日

デ〜ンディッ! ディディディッ!

という刺激音は、ジュークボックスから流れるポップスとともに、まさに僕らの青春の音だったんだ。

 とは、本誌『POPEYE』1978年10月25日号の特集「ファンタスティック ピンボール」に掲載された、松山猛さんによる「ピンボールのファンタスティックなポップ感覚が大好き。」の一文(抜粋)。映画『トミー』(1975年)でのエルトン・ジョン扮するピンボール・チャンピオンが歌唱する「ピンボールの魔術師」や、ピンボールをテーマに据えた青春映画『プリティギャンブラー』(1979年)、個人的にも筐体を所有していたという村上春樹の小説『1973年のピンボール』なんかもまさにそうだけど、この号が発売された’70年代は、大ピンボール時代。遊園地、温泉、ボウリング場、ゲームセンター、バー、『日比谷 映画街』や『浅草 新世界』といった当時の複合商業ビル内など、至るところに台が置かれ、キッズたちは夢中になっていた。この『POPEYE』にも、パリのカフェでタバコを燻らせながらピンボールを堪能する若い衆や、LAのバーで上機嫌に酔っ払った男たちがプレイする日常が描写されていた。

1978年10月25日 第41号「ファンタスティック ピンボール」

ピンボールマシンのフィールドを大解剖。細かなパーツや装置を取り上げ解説する。

 フリッパーと呼ばれるパーツで金属の球を打ち返しながら、転がして得点をゲットするシンプルなルールに加え、刺激的な音楽と魔術的なデザインを用いた世界観、体を使って極彩色のマシンと一体となってのプレイスタイル。多くのキッズを夢中にさせたカルチャーの最先端は、このアーケードゲームにあった。しかしながら、ビデオゲーム機の台頭にはじまり、’90年代の格闘ゲームの大ヒットにより、1プレイあたりの稼ぎの効率に圧倒的に差が出たことから人気の低迷が進みはじめた。また、メンテナンスの大変さ(オペレーター側からして手間暇がかかる)というアナログゲームの宿命的な土台があったのも斜陽に拍車をかけた。ゲームセンターの存在すら危ぶまれる今、日本でピンボールの姿を見ることはほとんどない。

 そんなピンボールを博物館級に所有している施設が埼玉県羽生市にあると聞いた。その名も『ヘヴンリーピンボール』。ピンボールを触ることはおろか、見たことすらなかったから、とにかく「プレイしてみたい」というシンプルな衝動に駆られ、その“天国”へ行ってみた。

 羽生市の工業地帯のシンとした夜の景色のなか、取材のために特別に巨大な倉庫にも似たそのお店を開けてもらった。扉を押した瞬間に、暗闇から突如として飛び出す極彩色の明かりと終わりが見えないほど無数の機体のグラフィックたち。店内に響き渡るド派手な音楽。壁面には、ピンボールにまつわるポスターやグッズが大量に並べられている。これは異世界!? まるで子どもの頃に見た夢に迷い込んだような不思議な気分になる。

『スタートレック』『ターミネーター』『ゴジラ』など映画をもとにしたものから、『オリンピック競技』や『トランプ』などを模したシンプルなルールのもの、『タイムマシーン』や『ダイナー』をテーマにした変わり種。1960年代のものから最新のピンボール機器まで、約100台ほどの筐体が、広大な敷地に所狭しと敷き詰められている。それだけじゃなく、題材となった映画のポスターやビデオ、本、レコードまで、ありとあらゆるものが広がった、まさに天国。

 ここを運営するのは、実店舗を秋葉原に持ち、レトロPC・ゲームの取り扱いや買取と販売を行う会社「BEEP」の代表、小林正国さん。約6年ほど前から、アメリカに直接買い付けに行ったり、譲り受けたりしながらコツコツ集めてきたそう。大変なメンテナンスも、ほとんどを小林さんをはじめとする会社の仲間たちと、有志の若いボランティアチームで自力で修理し、管理。定期的に入れ替えを行いながら、所有する内の約9割ほどをすぐに遊べる状態にしている。

左が小林正国さん。会社の仲間たちと。みんなが保存を担う少数精鋭の技師たちなのだ。

 小林さんは、このピンボール機がびっしり敷き詰められた倉庫を、月に1〜2回ほど無料で自由に遊ぶために開放。三連休などの特定のタイミングでは、「国際フリッパーピンボール協会(IFPA)」が定める世界ピンボールプレイヤーランキング(WPPR)に関係する大会も開催しているのだとか。今、なぜピンボールなのか。ピンボールにはどんな魅力があるのか。色々気になることは山積みだけれど、まずはこの夢の世界を構築するに至ったそもそものいきさつから伺った。

ピンボール“天国”を創造するまで。

「音楽が好きで。オーディオマニアというか古いものが好きだったんです。アンビエント系のDJをしたりプラプラしていました。その後、最初の仕事は古本屋から始めました。で、元々ゲームも好きだったので、本だけじゃなくソフトの買取販売もしていたんです。’80年代のゲーム最盛期に幼少期を過ごしてきたのもあり、ファミコンとかを見て『これ好きだったなあ〜』って懐かしい思いが込み上げるんですよね。その仕事を続けるうち、2000年代以降はレトロゲームの相場が上がってきちゃって。ソフトが劣化して市場から消えたり、希少価値が上がることで、誰も手に取ることができなくなってしまったり。そういったことに問題意識を持つと同時に、ただ売るだけじゃ面白くなくなってきちゃったんです。そこでマニア間で、2011年に『ゲーム保存協会』を立ち上げて、理事を務めました」

「ゲーム保存協会」は「ゲームの保存方法の開発および確立」「研究成果の共有」「他の法人などとの連携、プロジェクト支援」を目指して立ち上げられた非営利団体。ゲームソフトのアーカイブを目指し、現在も文化庁の協力のもと取り組んでいる。(その内容はNHKワールドにて2016年に放送された番組で詳しく紹介されている)現在は「HeavenlyPinball」や仕事に専念するために理事をやめているそうだが、そこで小林さんは、ゲームは、保存・継承だけではなく、実際に「遊ぶ」ことも重要と考えたんだそう。

実はオーディオマニアだという小林さん。

業務用ターンテーブルの名機(RCA)も。若い頃はアンビエント・ノイズ系DJもやっていたらしく、『Meditations』などのレコード店にも通っているそう。

「汚しても壊してもいいから、子どもが遊ぶみたいにゲームと触れ合えることも大事だとも思ったんですよね。古いものが好きっていうところから、私の興味は始まったのですが、古いモノでも初めて触れる人にとっては初めての体験というか、新鮮な経験なはずです。そこに古いとか、新しいとかは関係ない。いいものはいいみたいな。そういう体験も伝えていきたいと思ったんです」

 趣味を追いかけて、興味の赴くままにコレクションし続けた小林さん。ピンボールだけじゃなく、アーケード・ゲーム、ファミコンからパソコンゲーム、非電源系のアナログゲーム。トレーディングカードゲーム……あらゆるものを収集すると同時に事業も拡大し続け、会社の社員はいつしか150人ほどへと成長。先述した「BEEP」の店舗営業をはじめ、中古買取販売、修理・保存、ゲーム雑誌の制作や、はたまた「Nintendo Switch」の新作ソフト開発も(!)、“ゲームまわり”としか形容できないほどさまざまなゲーム関連事業を手がけるようになった。「ゲームへの気持ちが燃えちゃったってことですよね。いつのまにかこんなことになっちゃった(笑)」。と小林さんは語るが、なかでも特にピンボールにこだわる理由はなんだろう。

「私はファミコン世代で、アーケードゲームも格ゲーやらシューティングゲームやらが好きで、アナログなピンボールの良さがイマイチわからなかった。けれど、試しに一台プレイしてみたら、ピンボール独特の爆発力というか、面白さのピーク値が他のゲームと全然違ったんです。手や指の位置が大事だし、精神を集中させてプレイするから、身体的な体験が魅力で、本当に五感を使うんです。だからこそ、物理的体験がよりダイレクト・フィーリング。“これじゃなきゃ面白くない”としかいえない良さがあったんです。それに、いわゆるギャンブル性がある「スマートボール」(※パチンコの変種でゲーム結果によって賞品を提供する風俗営業に供された)とも違って、こちらはもっとスキルやテクニックを競うもので“ゲーム性”が大事になってくる。台に記される“For Amusement Only”の文字はその印なんです」

 実際に、ピンボールを初プレイ。意外だったのが「全身を使う」遊びであること。耳を澄ませ、フリッパーを動かして盤上の球を意のままに操る。反射神経も肝心だ。装置をいかに動かすか、その結果として球がどう動くか、マシンがどんな反応を見せているか。戦術を組みながら盤上を旅する。“揺らし”もOK(筐体の棒が振れてしまうとゲームオーバーになってしまうが)。先述の『POPEYE』にもコンセントレーション(精神集中)がキホンと書かれていた通り、マシンと一体となる不思議な感覚があった。1プレイだけでもかなり疲れたし、難しい! けど、こんなに面白かったのか。そのプレイ中の姿勢にも美学があって、やはりフィジカルな魅力をもっている。あまりマシンに近づきすぎないのがベスト。足はクロスして台の50cm手前に、わずかにマシンに寄りかかるとサマになるし、プレイもしやすい。上手い人はワンコインでエンドレスに遊んでいるらしい。

 玉を転がして点数を競う木製ゲーム「コリントゲーム」が発展してできたピンボール。そのルーツは19世紀アメリカで、ビリヤードにも似た玉突きゲームであると言われている。1931年、アメリカの〈ゴッドリーブ〉社が製造した「Baffle Ball」がその第1号機だ。様々な競合の参入と改良が重ねられ、1960年代に入るとほとんど現在目にするピンボールの形ができあがる。’70年代後半になると筐体にCPUが搭載され、複雑なスコアの計算処理やよりリッチな画面や音楽の演出が可能になった。

 ’60年代中盤の宇宙開発競争激化のころには、多数の宇宙テーマのマシンが登場。67年に『アポロ』、『ブラストオフ』などがヒットし、’73年にはフットボール人気を反映して、フィールドをフットボール場に模したものが登場したり、サイケなデザインものが登場したりと、都度、時代の流れが映し出されるのも面白い。そしてそのいずれもが、イケイケなアメリカン・カルチャーであるのも趣がある。

映画やシナリオ通りの進行をするとハイスコアを取れたり。隠れた加算ルールが存在する。

ピンボールは現在進行系の文化である。

 ピンボールの歴史を辿ることができるのもこの場所の魅力。かつて隆盛を極めたゲームだからこそ、古いものだけだと思っていたけれど、実は現在進行形で新製品が発売されているらしく、なんでも、アメリカでは再ブームが到来しているんだとか。

「〈ゴッドリーブ〉、〈ウィリアムス〉、〈スターン〉が主要メーカーで、全てシカゴに拠点がありました。〈スターン〉社は今でもあって、実は今、本国ではピンボール産業は活発なんですよ。毎年のようにアメリカでバンバン新製品がでているんです。業務用ではなく、個人が購入しているんですがね。日本は輸入する際の手間が大変なのに加え、“ゲーム大国”なのがかえってブームを阻害している面もあるんです。やっぱり日本は’80年代からビデオゲームの名作を作ってきた覇者。日本人からすると、ピンボールは遅れてるものなんです。でも個人的にはこの遊びからでしか得られない栄養素があると思うんです。どんなゲームもそうかもしれませんが、やっぱり代替が効かない。スマホゲームやPCゲーム、携帯ゲーム機、様々ありますが、近年のアメリカでのブームを見ると、このフィジカルなゲームには何か可能性がある気もするんです」

小林さんイチオシの『フィッシュテイル』。ピンボール界には伝説的デザイナーのスティーブ&マーク・リッチー兄弟がいて、こちらは弟のマーク作。持ち手がルアーに。
「兄のスティーブの方は戦争や車などマッチョな題材が多く、マークの方はタクシー、ダイナーや釣りなど一風変わったものが多い。マークのファンなんです」と小林さん。

 〈スターン〉社が新製品を販売しヒットしはじめたのを契機に、アメリカではピンボールのリバイバル・ブームが到来中。『ゴジラ』『ウルトラマン』など日本にも馴染み深い作品をテーマにしたものも販売された。

「日本では全然盛り上がってませんけどね(笑)。だからこの場所は日本で一番のコレクションがあると思います。そしてアメリカには、世界一のピンボールコレクターの方がいるのですが、実はその方も尊敬する“ピンボールの神様”が日本にいるんですよ」

 ピンボールの天国を創るために、小林さんはその“神様”に会ったのだとか。

「日本では最初期ごろからピンボールを集めていた、佐藤順彦(さとう・よしひこ)さんです。〈アズテック〉というアミューズメント機器の販売・修理を専門とする会社で働かれていて、佐藤さんはピンボールのオーバーホール(修理)の天才なんです。海外のコレクターたちからも「ヨシ」の愛称で親しまれていて、一緒にアメリカに買いに行ったこともありました。夜通しの修理作業を手伝ってくださったり、感謝しかありません。佐藤さんは東京都日野市のJR豊田駅近くで、ピンボールのゲームセンター『ネバーランド』をやられていたんです。ピンボールをずらりと並べていて、ファンにとっては『聖地』でした。2016年の閉店後、常連さんたちにまたピンボールに触れてもらう目的で、クリスマスなどに遊んでもらうイベントを開催し、徐々にその輪を広げていく活動をしていました。コロナ前まで毎年のようにやっていて凄い盛況でしたよ。身動き取れなくなるくらい人がいて。『Heavenly Pinball』はその気持ちを継いでいるといいますかね」

「私は様々なゲーム事業をやっていますが、この場所も、ピンボールの保存も、全く採算がとれませんよ。購入も、修理も、維持も、全てに費用がかかる。けれど、ゲームで食わせてもらってるんでね。会社やお店の広告もシラけるんでやりません。ただ楽しく遊んで帰ってもらいたい」

 小林さんは笑いながらそう語る。この空間内はジュース飲み放題に設定。来た人には、ドーナツなどのお菓子やハンバーガーも配っているのだとか。どう考えても赤字なのに、ピンボールの文化そのものを伝えていこうという熱意に驚く。その小林さんの気持ちにつられてか、会社の経理の方は色の補修なども手伝っているほか、会社外でも、修理のためのボランティアも有志で集まってきているという。ボランティアチームには20〜30歳と若く熱心なピンボールプレイヤーたちも集まってきている。「毎週1回有志で修理に布教に大変な努力をしてくれており、若い彼らの力なしではここまでは出来なかったです」と小林さん。

「一度国外から出てしまったり、捨てられたりすると、2度と出合えない。文化を守るというよりも、結局、自分が好きなことで、他に同じようなことをしている人がいなかったから、もう“この役目を引き受けるしかない”という使命にも似たような気持ちなんですかね。でも、一日中熱中して遊んでくれる人がいるとやっぱり嬉しい気持ちになりますよ。なんというか……粋な部分を残したいんです。ゲームを生業にしているんだから、“楽しさ”を大事にしたいですね」

インフォメーション

Heavenly Pinball

◯埼玉県羽生市南6丁目21−5
開放日は不定期。駐車場利用などはサイトにて要予約。詳細は公式ウェブサイトをチェック。

Official Website
https://www.beep-shop.com/heavenly/


BEEP

「BEEP」は様々なホビーやゲームなど趣味のものを取り扱うほか、「Nintendo Switch」などでのゲームを製作するゲーム会社でもある。各種ピンボールの問い合わせはこちらではなく、上記『Heavenly Pinball』のサイトor Xのみ返事が可能。

秋葉原店
◯東京都千代田区外神田3-9-8 中栄ビル 地下1階
☎︎03•6206•9116

秋葉原店 Official Website
https://www.akihabara-beep.com/

BEEP Official Website
https://www.beep-shop.com/