トリップ

ゴールドラッシュをめぐる冒険 in New Zealand Vol.7

写真・文/石塚元太良

2024年7月17日

 次の日、途中の林にデポしたままだった自転車を回収し、アロータウンの街に下山した。近くの宿で久しぶりのシャワーを浴びて、ベッドに入りぐっすりと眠った。テント内の寝袋での睡眠が続くと、真っ白の洗濯したての寝具があるというだけで幸せに感じてしまう。

 次の朝、アロータウンの小さなジェネラルストアが開くの待って、3日分の食糧の買い出し(パスタや、鰯の缶付やサラミ、チョコレートや、果物など)を済ませ、早々に山に戻ることにした。夏の最盛期のアロータウンのメインストリートには観光客が溢れている。僕だけが何か共有できない使命感を抱え、場違いな気がしていた。僕にはまだ山中での「宝探し」が待っている。100年の時を超えて、また山河をさすらうのだ。

 もちろん、街での眠りは快い。お腹いっぱい食べたいものを食べて、ビールを飲んで久しぶりにwifiの入ったiphoneでポッドキャストでも聴きながら、良い気持ちで寝具に入り安眠する幸せよ。

けれど些細な物音や、鳥の声、風の音にさらされるあの電波さえ届かない極小のテントの中で見る夢の中に、多くの創作のためのインスピレーションがあると思ってしまう。

同時にそれは21世紀の過剰な情報社会や、過剰な物質消費社会から自分を守る僕なりの手段だとも言える。街の中でそれらから完全に自分のことをシャットダウンするのは至難の技だ。サウナで汗をかき「整える」ように、きっと僕は束の間のテント生活で、身体と精神を「整えて」いるのかもしれない。

 5日前に自転車でスタートしたトレイルを、今度は初めから、バックパッキングで歩き始める。使い慣れた45リットルのリュックの中身のほとんどは、撮影の機材である。リュックの外側に縛られた、極小のウルトラライトのテントとマットレス。最低限の食事と着替え。それらがぎゅっとまとまり背中に馴染む。自分の人生そのものも願わくばこんな風だったらと思う。つまり、無駄なものを所有せず、その全てを持ち歩いて、いつでもどこでも歩いていけるというこの感覚。

 数時間歩くと、後ろから一台の四輪バギーに追い越された。バギーは僕を追い越した先で速度を落としながら止まる。年季の入ったネルシャツを着たおじさんが、「乗っていくか?」と話しかけてくる。

 歩いているのが気持ちよかったので、一瞬断ろうかと思ったが、なぜか反射的に「イエス」と答えてしまった。おじさんがあまりに「いい感じ」だったせいである。

「どこまでいくんだ?」

「メイスタウンンの先まで」

 助手席は散乱した荷物でいっぱいで僕の座る場所はない。

「荷台に昇って、振り落とされないようにつかまれ」と聞き取りづらいニュージーランド訛りの英語で、荷台を指をさす。バギーは、凸凹道で激しく揺れて、振り落とされないようにしがみつくのにも必死である。

 しばらく走ると、後ろを確認するように、「まだ乗ってるか?」と運転している彼はニヤニヤと笑う。ジムという名の彼は、アロータウンに住んでいて、こうして川沿いの道を愛用のバギーで、暇な時にパトロールしているのだという。長靴に半ズボンにネルシャツというスタイルに、度の強いメガネをかけた人懐っこい彼は、運転しながらすでにビールを飲んでいる。

 そんな風に、僕はジムの運転するバギーで最小のエネルギーで、メンスタウンのキャンプサイトに戻ってきて、また今晩も極小のテントに寝袋で眠っている。寝る前にジムにもらったニュージーランドの缶ビールを開けた。そのビールのせいで、夜中にテントを這い出し小便に出ると、南半球でしか見ることのできない南十字星が真上に見えた。眩く輝くそれらの星々は、見ていると微かに点滅しているようで、その微かな音さえ聞こえてきそうな気がした。

プロフィール

石塚元太良

いしづか・げんたろう|1977年、東京生まれ。2004年に日本写真家協会賞新人賞を受賞し、その後2011年文化庁在外芸術家派遣員に選ばれる。初期の作品では、ドキュメンタリーとアートを横断するような手法を用い、その集大成ともいえる写真集『PIPELINE ICELAND/ALASKA』(講談社刊)で2014年度東川写真新人作家賞を受賞。また、2016年にSteidl Book Award Japanでグランプリを受賞し、写真集『GOLD RUSH ALASKA』がドイツのSteidl社から出版される予定。2019年には、ポーラ美術館で開催された「シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート」展で、セザンヌやマグリットなどの近代絵画と比較するように配置されたインスタレーションで話題を呼んだ。近年は、暗室で露光した印画紙を用いた立体作品や、多層に印画紙を編み込んだモザイク状の作品など、写真が平易な情報のみに終始してしまうSNS時代に写真表現の空間性の再解釈を試みている。