カルチャー
町田康著『口訳 古事記』レビュー。
クリティカルヒット・パレード
2023年5月15日
illustration: Nanook
text: Kohei Aoki
edit: Keisuke Kagiwada
毎週月曜、週ごとに新しい小説や映画、写真集や美術展などの批評を掲載する「クリティカルヒット・パレード」。5月の2週目は、アメリカ文学を研究する青木耕平さんによる、町田康著『口訳 古事記』のレビューをお届け!
文芸評論家の福田和也は、「現役の作家と作品に点数をつける」という大胆なコンセプトが大きな話題を呼んだ2000年刊行の『作家の値うち』で、大御所にも若手にも関係なく容赦ない辛口採点を施すなか、1996年に作家デビューしたばかりの町田康を激賞し、以下のように評した:
現代文学に「語り」のダイナミズムと「話芸」のニュアンスを導入した功績と意味合いは測り知れないものがある。それは同時に小説における叙述の力、そのダイナミズムと表現力を覚醒させた. . . 町田康の登場は、現代文芸の動向にとって決定的であったと云える。
さらに福田は、町田のデビュー作『くっすん大黒』に対し、「若い層を中心として、多くの読者を集めた。その点でも町田は文学の救世主と云えるかもしれない」と絶賛した。
あれから23年が経ったが、まさに福田の評は正しかった。町田康の登場は、現代文芸の動向にとって決定的であった。同書のなかで福田は村上春樹に対し最大の評価を下しているが、村上の文体が多くのエピゴーネンを産みだしたように、町田の「語り」と「話芸」は数えきれぬフォロワーを輩出した。評者が大学生活を送った2000年代半ばは、小説を読む若者はみなこぞって町田康を読み、その「話芸」に圧倒され、そして憧れた。そのうえで、誰一人町田康のようなダイナミズムある「語り」で小説が書けぬということを、『パンク侍、切られて候』と『告白』で町田は証明した。
自分語りで申し訳ないが、評者にとって村上春樹以降にデビューした日本文学の書き手で真に重要なのは、町田康ただ一人である。
さて、その町田康による『口訳 古事記』である。いったいどのようにあの『古事記』を訳したのかワクワクがとまらずに発売を待った、が、あることに気づき愕然とした。私は、『古事記』をまったく知らぬのである。あわわ。これでは町田の「口訳」がどれほど革新的なのか判断がつかぬではないか、そう思って私はまず『古事記』の原文にあたることにし、適当な箇所を開いた:
爾日子國夫玖命乞云「其廂人、先忌矢可彈。」爾其建波爾安王、雖射不得中。於是、國夫玖命彈矢者、卽射建波爾安王而死。
絶望した。私は漢文が全く読めないのである。これではまずいと、ついで訓み下し文となっている岩波文庫の同じ箇所を開いた:
ここに日子國夫玖命、乞いて云ひしく、「其廂の人、まず忌矢弾つべし。」といひき。ここにその建波爾安王、射つれども得中てざりき。ここに國夫玖命の弾てる矢は、すなわち建波爾安王を射て死にき。
やややっ。なんとなくしかニュアンスが取れないっ。漢文のみならず古文が不得意なのをすっかり失念していた。これではいかんと次いで蓮田善明による『現代語訳 古事記』の同一箇所を開いた:
ヒコノニブクノ命は、敵に向って、
「そちらから、まず、忌矢を放て」
と言われたので、タケハニヤスノ王が射られたが当たらず、次にクニブクノ命が引いて放てば、タケハニヤスノ王に命中して、射殺してしまわれた。
くほほ。読める。なるほど、当該シーンは弓を使った決闘の場面であり、最初に弓を放った建波爾安王の矢は外れ、日子國夫玖命が放った矢が相手を射抜く、という箇所だったのだ。さて、では町田康はこのシーンをどう「口訳」したのだろうか、私は期待に胸をふくらませて、このシーンが記されているページを開いた──
弓を満月のように引き絞り、いままさにひょうど放たんとしたちょうどそのとき、日子国夫玖命が言った。
「おまえ、チンポめーてんど」
言われて、ええ格好しいの建波邇安王は、
「嘘っ、マジか」
と、言って思わず下を向いた。股間を確認したのである。それはいいのだが、そのため肝心の狙いがはずれ矢はあらぬ方に飛んで、最終的に、ポチャン、と川に落ちた。
しまった、騙されたっ。
建波邇安王がそう思うと同時に、
「嘘じゃ、ぼけ。今度はこっちからいくぞ」
と言って、日子国夫玖命がひょうど射た。
矢は一直線、吸い込まれるように飛んでいって建波邇安王の胸に突き立った。
「あぎゃああああ、チンポおおおおっ」
一声叫んで、建波邇安王はドウと倒れ絶命した。
ほぼ即死であった。
私は白目を剥き口から泡を拭いた。いったいこれはなんですか? 今まで確認したけれど、「あぎゃああああ、チンポおおおおっ」などという文章は、どの版にもなかったじゃないですか? いったいこれはなんですか? 「口訳」ってなんですか? 混乱の極みに陥った私は、そもそも古事記ってなんですか? と疑念を抱き、調べてみた。
お話としての面白さが古事記には詰め込まれており、それは、外来の漢字を用いて書き記される以前、古事記の神話や伝承は、口から耳へ、耳から口へと、音声によって語り伝えられていたからだとわたしは考えている. . . 長い時を経て語り継がれ、音声によって育まれた、そうした「語り」が古事記の大元にはあったということである。
上記引用は国文学者の三浦佑之が池澤夏樹版「古事記」に寄せた解題である。さらに三浦は古事記の「語り」についてこうも述べている:
古事記に語られている神や人の歴史は、滅び去った者たちの側に寄り添っているように読める。それは、この作品に遺された物語を音声によって語り継いでいた人びとが、敗れた者、殺された者たちに共振していたからに違いない。そもそも語りというのは、そうした出来事に向き合おうとする表現ではなかったか。
なるほどね。つまり当代一の語り部である町田康は、元来が「語り」の芸術である古事記のなかの「敗れた者、殺された者」に共振しているのである。その共振が強すぎるがゆえに、町田の口訳はときに「翻訳」を超え「創作」の域にまで辿り着いてしまい、矢があたり絶命する建波邇安王の「あぎゃああああ、チンポおおおおっ」という語りになって現れるわけだ。
町田の「語り」を堪能できる読書体験ではあるが、「口訳」は「康訳」であり、本書をもって『古事記』を読んだ、と胸を張って言わないほうがいい。すくなくとも、「古事記、私も好きだよ。建波邇安王の絶命の言葉、泣いちゃった」とか、人に言っては、いけない。
レビュアー
青木耕平
あおき・こうへい | 1984年生まれ。愛知県立大学講師。アメリカ文学研究。著書に『現代アメリカ文学ポップコーン大盛』(共著、書肆侃侃房)。
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